第7話 精霊王は忍び込む (2)
幼子の葛藤を見たメディフェルアはひとつ、深呼吸をして。
《やっぱり諸悪の根源はグランパス伯爵だろ。ハゲろ》
《やっちゃう?》
《やっちゃえ》
《ステイステイ。すぐじゃなくて、こう、もっとじわじわと真綿で首を絞めるように苦しめなくちゃ》
突然、前振りもなく髪の毛がすべて抜けるのも絶望させることができるだろうが、どうせなら徐々に抜け毛を増やしていくのが良い。
どんなに対策を取っても、どんなに高級な薬品を使ってもそれを防げないという絶望感をじわじわと与えていくのが良い。
うんうんと両腕を組んでグランパス伯爵の頭を徐々に禿げさせる薬に必要な材料はなんだっけなとメディフェルアが思い返していると、くいとメディフェルアが身につけている黒いワンピースの裾が引っ張られた。
そちらへメディフェルアが視線を向けると、魚の子。彼女を見上げている。
《女王さま。ぼく、あの子と一緒にいたいな》
メディフェルアは何度か目を瞬かせたあと、柔らかく微笑んで《いいよ》と答えた。
答えを聞いた魚の子が、嬉々として幼子の方へ飛んでいく。
幼子は突然現れた魚姿の水の精霊に「あっ」と驚いたようだったが、魚の子が「しずかに」と伝えれば頷く。
魚の子に誘われて、父親がいる部屋から離れていった。
幸いにも幼子の声は部屋の中には届かなかったようだ。
ふわふわとドアの前に浮かびながら、メディフェルアは腕組みをしたまま考える。
(母親がなぁ。ちゃんとカバーしていたら、小説の “ミラージュ” もあそこまで歪んだりしなかっただろうに。ああ、いやリオルを見て「よりにもよって闇属性の子を連れてくるなんて!」って激昂して、まだちっちゃい “ミラージュ” によりかなり厳しくし始めたから、やっぱ諸悪の根源はグランパス伯爵だ)
小説では “意地悪な継母” としてしか表現がなかったが、夫人も余裕がなかったのだろう。
しかし、現実ではリオルはこの伯爵家には来ないことが確定した。
夫人が愚かでなければ、先ほどの幼子の ―― たとえ表立ってできないとしても、味方にはなるだろう。
《さっきの子にさ、あの子どもの母親が味方にならないようだったら教えてって伝えてくれる?》
《はぁい!》
びゅん、と一緒に来ていた鳥の子が飛んでいった。あれは中級なので、このぐらいの命令なら完遂できるはずである。
鳥の子が戻ってくるまでの間に、メディフェルアは再び部屋の中を覗いた。
グランパス伯爵は両膝に肘をついて頭を抱えながらソファに座り込んでおり、報告に来た男が困ったように立ち尽くしている。
「……あの女がもうひとり子を、男を産める体であればこんな心配をせずに済んだというのに」
「だ、旦那様」
ぼそっと呟かれた言葉に、メディフェルアは目を見開いた。
さすがに言葉が過ぎると思ったのだろう、報告に来た男が思わず声を上げる。それにフンと鼻で笑ったグランパス伯爵は、頭から手を離して上体を起こし、ソファの背もたれに寄りかかった。
「スペアがいないのだ。当然だろう」
「……」
「ミラージュを生んだことだけは感謝しよう。だが、あれは女だ。爵位は女でも継げるとはいえ、あれの質が悪かったらどうする。我が伯爵家は先々代に子爵から成り上がったが、我々の代で地位を手放すわけにはいかん。余所の種でも、我が伯爵家を継げる優秀な者を見繕わなければ。ああ、あれが男であれば良かったのに」
(あ〜〜〜〜、そういうこと言っちゃう〜〜〜?)
すう、とメディフェルアは大きく息を吸って天井を見上げた。
破壊するのはかんたんだ。おそらくメディフェルアの号令ひとつで、精霊たちはやる気満々になるだろう。
だが、とメディフェルアは考える。やはりこういう腐った考えの人間には、より多くの嫌がらせがいいだろう。
逃げることは叶わない。
なぜならば、精霊はこの世界のどこにでもいるのだから。
死んでもらっちゃ困る。
こいつには悔いても悔いても終わらぬ苦しみを与えねば。
《伝えてきたよー! ……女王さま?》
戻ってきた鳥の子が、キョトンとした声を出した。
天井から、グランパス伯爵へとメディフェルアが視線を戻す。
それと同時にグランパス伯爵を指さした。
《当面の間、イタズラしておやり。怪我するようなものはダメ。あと、これの娘であるあの子にはやっちゃダメだよ。加減は、さっきの子と相談しながらやること》
はぁい! と鳥の子の大きな返事が廊下に響いた。
けれど精霊たちは自ら望むか、生まれながら見える者以外は不可視、不知覚の存在。部屋の中にいるグランパス伯爵はおろか、報告に来た男、それから屋敷内にいた誰もがこの声に気づくことはなかった。
―― ここの屋敷がしばらくの間、精霊避けのまじないが消えていることに気づかず、精霊たちのイタズラに大いに悩まされることになるのは、数日後のことである。




