第4話 精霊王は推しと戯れる
アパートメントの階段を上がり、先ほど母親が入った部屋の前へと静かに近づく。
メディフェルアは神の近くでふわふわと浮いていた。やや緊張した面持ちである。
実質ここには何回か来ているが、直接部屋に入るのは初めてなのだ。普段は、窓の外から眺めていたり、彼女らが歩いているところをこっそり眺めているだけだったので。
それを現代日本では「ストーカー」と呼ぶのだが、ここは異世界なので指摘する者はいない。
コンコン、と神がある一室のドアをノックした。
するとドアの奥から「はい、どなたですか?」と若い女の声が返ってくる。
「突然の訪問、申し訳ありません。ウォーレン教会バラディア支部所属の神父、ウォレスと申します。エリーさんとリオルさんのお宅でお間違いないでしょうか?」
懐から取り出した手帳を掲げながら神 ―― ウォレスがそう声をかければ、ドアが開いた。
きょとんとした表情でウォレスを見るのは、リオルの母であるエリー。
なお、この手帳は現代日本でいう警察手帳のようなもので、神官であることを示す証である。
本人そっくりの似顔絵の下に本人の氏名と所属が記載され、そしてワッペンと同じマークが手帳の表紙を開くと見える。
一見すると偽造できそうに見えるのだが、この手帳に魔力を注ぐと似顔絵が浮き出る仕組みになっている。
この仕組みは偽手帳には真似できないもので、一般人でも偽物かどうか分かりやすいという代物だ。
ウォレスは慣例通り、エリーの目の前で手帳に魔力を流し込んだ。
似顔絵部分が浮き上がり、立体化する。
それを見たエリーはホッと安堵の表情を浮かべた。
「まあ、神父様が来てくださるだなんて。どうぞ、あまり片付いていないのですが、中にお入りください」
「ありがとうございます。お邪魔いたします」
ウォレスが部屋に入るのに合わせて、メディフェルアもスッと中に入った。
すると、アパートメントの狭いリビングダイニングの中で絨毯が敷かれたところに、コロコロと黒髪の赤子が寝転がっていた。
人が入ってきたのに気づいたのだろう。エリーとウォレスを見上げ、それから視線がふわりと浮いているメディフェルアへ向いた。
バチッとメディフェルアと目が合うなり、赤子は「きゃー!」と嬉しそうに声を上げる。
(―― 彼女を認識している)
それに少なからず、ウォレスは内心驚いた。
メディフェルアはわざわざ赤子に見えるように認識度を上げたりとか、そういうことを一切していない。
事実、ウォレスの隣にいるエリーはメディフェルアに一切気づいていなかった。赤子の様子を見て「あらまあ」と言うだけだ。
その赤子の隣で《んああああきゃわいいい〜〜〜!! リオルんメディが遊びに来たよォ!!》と一緒にゴロゴロしながらデレデレに顔を崩している精霊王がいるというのに。
「精霊様が来てくださったのかもしれません」
「精霊様ですか?」
「ええ。この子が生まれてから、時折外に来てくださるようで……よく窓の外を見ながらリオルが笑うんです。私は一度もお見かけしたことがないのですが、この子はお姿を拝見できているようですね」
(それは見えなくて良かったと思う)
ウォレスは強く思った。
赤子のよだれまみれの手を顔中にべちべちされながらもエヘエヘと笑いながら受け入れているメディフェルア。
今、ここにいるのは王としてどころか精霊としての尊厳もない。ただの子供好きのふっくらした近所のおばさんである。
エリーからお茶を出されたウォレスは、それを一口飲む。
それから、ゆっくりとエリーに話しかけた。
「本日、突然訪問させていただいた理由は、ご子息のことです」
「リオル、ですか?」
「はい。つかぬことをお聞きしますが、ご夫君は?」
「夫は騎士を務めておりますが、任務で長期遠征に出ておりまして……まだしばらく戻らないかと」
「なるほど……。本題になりますが、ご子息の魔力量は、同世代の子らと比べても非常に多い。それは実力者が近くにいればすぐに分かります。実は、おそらくご子息の魔力量の話を聞きつけたであろう者がこの周辺を嗅ぎ回っていることを耳に挟みまして」
エリーが驚愕の表情を浮かべる。それからだんだんと青ざめていった。
「まさか、そんな」と狼狽える彼女に「そうなるだろうな」とウォレスは思う。
魔力量が通常であれば、リオルは目をつけられなかった可能性が高い。
なぜならば、リオルは”闇属性”だからだ。
この世界はよくあるファンタジー世界であり、火、水、地、風、光、闇の六大要素を六大属性と呼ぶ。
人々はその属性を生まれながらに身に宿してくる。そうするように設計したのは他ならぬウォレスこと神だ。
そしてその者が持つ属性は、その者の髪の色で表す。強さは色の濃さで。
(はじめの頃は良かったんだがなぁ)
いつ頃からか、闇だけが忌避されるようになった。
どれも力の使いようによっては簡単に人に危害を加えられるというのに。
闇だけが、闇だけが。
つまり、ただの闇属性であればリオルは忌避される立場なので、貴族たちの手にかかることはない。
問題は彼の魔力量だ。
(魔力量ばかりはその者の魂による。生まれ変わっても、魔力量は同じまま。精霊と契約すれば多少変動するが、まあ微々たるものだろう)
リオルの魔力量はこの国の貴族以上に匹敵する。下手すれば王族にまで手が届くかもしれない。
忌避される属性ではあるが、手に入れておく方が損がない ―― と考える貴族がいる。
と、かつてメディフェルアが言っていたのである。
実際、その貴族は存在していたし、周囲を嗅ぎ回っていたのも事実。
―― そのメディフェルアだが、エリーたちがいるすぐ隣で《ずりずり上手だねぇ〜〜! リオルこっちおいで〜〜〜!》とずり這いするリオルを同じ目線(つまり寝転がっている)で応援している。
リオルがずり這いでメディフェルアのもとにたどり着き、「う!」という声とともにベチンとメディフェルアの顔を容赦なく叩いた。ずいぶん痛々しい音だったのでさすがにエリーも気づいたのか、驚いてリオルの方に振り返っている。
しかし、叩かれたメディフェルア自身は《すごい! 天才! さすがリオル!》とリオルの柔らかな頬をムニムニと撫でている。
キャッキャと楽しそうに笑うリオルを見てエリーも少しは落ち着いたらしい。
ゆっくりとウォレスへと振り返ると、真剣な表情を見せた。もうそれは子を守る母の表情である。




