第1話 精霊王はぽっちゃりで推しが大好きである
この世界は、天界、地界、冥界の3階層に分かれているという。
地界は生きているものたちが住む世界。
冥界は死したものたちが罪を償いながら地界で再び生まれ変わるのを待つ世界。
そして天界は、神や精霊たちが暮らす世界。
そんな天界で、ある日。
「というわけで!! 精霊王やめまァす!!」
「どういうわけ!?」
仕事部屋でせっせか仕事をしていた爺のところに、ノックされて返事する間もなく乗り込んできた精霊王に宣言された。
脈絡も何もない内容に困惑した悲鳴をあげた爺は、この世界の神である。
その見た目はヨボヨボの爺で、頭のてっぺんは禿げており、そこに月桂冠がある。
月桂冠の位置にあるこめかみの少し上辺りから白髪が顎下まで伸びている。口元にはながーい口ひげがあって、口を開かなければ口ひげに埋もれて口元が見えないほどだ。
やや腰が曲がっており、彼は立つといつも腰に手を添えて歩いている。
顔つきは悪くないのだから若い頃はイケメンだったんだろうな、と乗り込んできた本人はいつも思っていた。
その、乗り込んできた精霊王本人はというと。
見た目は20代前半の女性。ウェーブがかった鴉羽色で太ももまである長髪、たっぷりとした布で作られた袖無しの黒ワンピース。もっちりとした肉付きが良い二の腕が惜しげもなく見えている。
そんな彼女の体の横幅は、ワンピースで多少誤魔化しているとはいえ、ヨボヨボでヒョロヒョロの神の約1.5倍。顎にも少し肉がついていて顔にはやや丸みがあった。
この世界の男性視点では「デブ」なのかもしれないが、本人的には己は「ぽっちゃりである」と普段から豪語している。精霊たちの中でも判断は分かれているらしく、彼女の体型がデブなのかぽっちゃりなのかの真相は闇の中だ。
他に特徴的なのを、と言われれば、頭にある小さなダイヤモンドが散りばめられたチェーンのティアラだろう。そこから額に垂れるように大きな一粒のガーネットが輝いている。
腰に手を当てて鼻息荒くふんすと息を吐くと、女性は続けた。
「前世絡みだと言えば伝わります?」
「ああ……あの小説とやらのか」
「そう。ここで助けないと推しがこれから非常に辛い目に合ってあんな超絶綺麗な魂が歪んじゃうんです。そんなの嫌です」
「だったら加護を与えればいいんじゃないかのぅ」
「加護を与えたら搾取されちゃうじゃないですか。ただでさえあの子、魔力量が多いんだから」
「うーん。一理ある」
腕を組んで神は唸った。
どうやらこの ”ぽっちゃり” とした女性 ――齢一千年を超える、魔法チート婆であるメディフェルアの話を聞くつもりになったようである。
なお、神の年齢は幾星霜だ。メディフェルアはおろか神自身すら知らない。
メディフェルアには前世の記憶がある。
本人が発した言葉の『小説』『推し』などの単語から分かるだろうか。彼女は元日本人である。
そして、とある小説の大ファンだった。
その小説は電子版のみの発刊だったが、仕事に疲れ適当にポチって読んだそれが彼女を沼に突き落とした。
小説に登場するキャラクターたちはいずれも魅力的だったが、その中でも《リオル・グランツ伯爵令息》という当て馬キャラが彼女の心を突き刺したのだ。それはまるで返しがついた銛のごとく、彼女の心にドスンと。
彼女は、リオルに夢中になった。それは転生してから今もそう。
「元は平民でご両親と静かに暮らしてたのにグランツ伯爵とかいうクソ親父に目をつけられたせいで幼い頃からご両親から無理やり引き剥がされて頑張って勉強してるのに属性が《闇》だからって義母と義姉から虐められて性格歪んで自分の婚約者に近づく主人公をどうにか排除しようと頑張るリオルが!! 健気で!! かわいいんですぅ!!」
「いつも思うが、よく一息でそれだけ言えるのぅ」
「推しがこの世に存在している!! 私は推しを守りたい!!」
「うんうん」
「だから精霊王辞めますッ!!」
「却下」
「なんでェッ!!」
バァンッとメディフェルアは神の仕事机を叩いた。
その拍子に机の上にあった、水が入ったグラスが垂直に飛び上がったので神はひょいと人差し指を振って、静かに机の上に着地させる。
そうして、神は大きくため息を吐いた。
「精霊王の代替わりは、精霊王となった者の寿命が潰えたときじゃろうが。お前さんはまだ死ぬ気配がうんともすんともないわ」
「それなら今すぐ死……んだらリオルに会えなァ〜〜〜い!!」
「さすがに儂でも死んだもんは生き返せんなぁ」
メディフェルアはさきほど手をついた、神の仕事机に伏せてワッと泣き始めた。
そもそも、先ほど神が言った通り精霊王の代替わりは “寿命” がキーである。
仮に、メディフェルアが今死んだとしても精霊王は現れない。本来、来たるべき時に生まれ、成長した精霊へと受け継がれていくものだから、誰かが代わりにその座につくことはできないのだ。
そして空座の期間中は、神が精霊たちを管理しなければならない。
神はそれを一度経験したことがあるが、非常に面倒くさくて疲弊した記憶しかないので、神としてはもう二度とやりたくない事象だ。




