プロローグ
―― それは、この世のものと思えぬ光景だった。
その場に居合わせたツェルト皇国からの留学生、第四皇子ユリウス・ツェルンガは、後にそう語った。
ただ、ちょっと変わった女子生徒だとユリウスは思っていた。
ユリウスと同じ闇属性ゆえに青紫がかったチャコールグレーの髪を持っていて、ユリウスと同じぐらい真っ黒な髪を持つ幼馴染のリオルを家族のように思っていて、周囲の視線など意に介さない、コロコロと表情を変える女子生徒。
時折静かに、まるで母親が子を見る眼差しと微笑みをこちらに向けてくる、ちょっと変わった子だった。
彼女は決して世間一般の美しいものには当てはまらない。
太ももまで届く長い髪をひとつの三つ編みにしていて、ふっくらとした顔つき、たぷんと揺れる肉がついた体つき。
髪の色はおいても、そもそも女性は細身が良いと宣う者が多い中、彼女はどちらかというと太っている部類だった。
だがどうだろう。
そんな彼女の美醜など些末なことだ、とこのときユリウスは思った。
少し前まで地に足をつけていた彼女は、リオルの肩ほどの高さに浮いていた。そこに見えない椅子でもあるかのように腰を下ろし、悠然と足を組んでいる。
彼女が身につけている衣服は、いつも見慣れたこの学園の装飾がついた制服ではなく、袖無しの黒のワンピースだった。彼女のつま先すら覆うほどの長さである。
布がたっぷりと使われていて、彼女のふくよかな体型を覆い隠していた。その黒のワンピースには装飾はないはずだが、時折きらりと何かが輝いている。
青紫がかったチャコールグレーのひと纏めされていた髪がいつの間にか解かれて、ウェーブのある漆黒のようでいて、光によって色味が変わる鴉羽色に変わっていった。その変化がユリウスの瞼の裏に焼き付いている。
そして、その美しい鴉羽色の頭に添うように小さなダイヤモンドが散りばめられたチェーンのティアラがあり、そこから額に垂れるように大きな一粒のガーネットが輝いていた。
黒衣を身にまとい、空中に腰掛ける彼女の前で、ユリウスの留学先である学園の長が両手と額を地面にこすりつけていた。
その体は小刻みに震えており、その様はまさに捕食者に見つかり命乞いをする小動物のよう。
その学長の後方では、土埃や細かい傷などを受けてボロボロの様相を見せているこの国の第一王子テオドール・グランディス。そして彼に抱きしめられて、彼と同じような状態の女子生徒がいた。
ふたりとも目の前の光景が信じられない、とでも言いたげな表情で彼女を見つめていた。
彼らの周囲には副学長、女子生徒と非常に《《仲が良かった》》数名の男子生徒が、彼らと同じ様相で、顔を真っ青にしながら彼女を見つめていた。
ユリウスからは、彼女の背しか見えない。けれど彼女が強い怒りを抱いているのは分かった。
今思えば当然だろう。このとき彼の隣には、”精霊もどき” と呼ばれる青い鳥が血まみれで瀕死になっていたのだから。
その子を助けようと、ユリウスと同じクラスの女子生徒が必死に治癒魔法をかけていた。だが、彼女が持つ属性では本格的な治癒魔法が使えない。あくまで一時しのぎでしかなかった。
地に伏していた学長が、震えた声をあげる。
「お、畏れ多くも御名をお呼びす」
《黙れ》
冷たく、威圧感のある声だった。
普段接していた彼女とは全く異なる。普段の彼女はケラケラと明るく笑うひとであった。
彼女は一体誰なのか。
彼女は一体何なのか。
彼女は、”メディア” という名の、少し強い闇属性の魔力を持つ女子生徒ではなかったのかと強い疑念を抱いたその時だった。
「落ち着いてメディフェルア!」
リオルの悲鳴にも似た叫びに、彼女はゆったりとリオルに振り返った。
直前まで無表情だった彼女はリオルを見て《それはちょいと難しい相談だねぇ》と苦笑いを浮かべた。 だが、その目は笑っていなかった。
ああ、それよりも。リオルは彼女を何と呼んだ?
メディフェルア、そう、メディフェルアと呼んだ!
この世界には精霊王がいる。
精霊王にも寿命があるため代替わりしているというのは、この世界の王族や高位貴族であれば誰でも知っていることだった。
そして当代の名を必ず覚えよと教育される。だからユリウスは覚えていた。
今代の精霊王の名は、闇の女王 “メディフェルア” であると。




