<25> 本来そうあるべきであり、またそうであるべきでないもの
彼女からの連絡は、次の日の夕方、日が落ちるよりも前に来た。
手紙を配達したのは、自分より幾分年下の女の子の郵便配達員。その手渡しだった。
差出人の指定はきちんと功を奏し、「りりさま」という宛先でその手紙は寄越された。
「りりさま
ゆうがた たきだし、ところ、きて
ミカナ」
もっとも、手紙に書かれた文字はつたなく、片言だった。
まともな識字の勉強をしていないこが刺客であったことに、物悲しく寂しいものを感じる。
父上も領都の中にだけ注力できる立場になかったし、国で考えても識字を充実させる教育が行き届いているとは到底言えないのだから、文をしたためられるだけでも御の字と言える。
なおミカナという、彼女自身の名前が他のところに比べて丁寧に見えたのは、練習量の差かもしれない。
私はしばらく孤児院を留守にすることを、院長に伝えてから外に出た。
炊き出しのところというそれだけで分かった。
孤児院として、貧民街での施しを行っているあの場所。同時に、ヘルガドのスローガンを見つけた場所。
何かと、縁のあることがそこにあるのだと思って、記憶にある道をたどってその場所に向かった。
向かったのだけれど。
入り組んだ道のどの通りを進んで、どう曲がっていくかという部分が曖昧で、記憶通りに進んでいるはずなのに、完全に記憶と違う通りを進んでいるような状態だった。
いつもなら少し日差しの良さそうな場所を歩いているのに、建物の高さがどこか圧迫感を感じさせるようにそびえたってそこにあった。
歩くころには完全に日が落ちていた。色とりどりの魔法の光が書いたサインが、看板として浮かび上がっている建物が立ち並んでいた。
おそらくは繁華街かと思う。食堂や居酒屋が多く立ち並ぶ街路に差し掛かって、私は何事も警戒なくその道を歩いていたのだけれど。
だいぶ長く続く通りは、本当にあの炊き出しをしにいったときの通りだったのだろうと疑問符が浮かぶくらいにはあった。
それが時期に、最初に炊き出しに行ったときに通った道とつながったとき。
「ああ、あなたはリリさん?」
不意に、何かのお店の前に立っている、桃色のおさげをした、胸回りにしか布のないのと、短すぎるスカートをした女性がそこにいた。
あまりにも唐突な再会だったけれど、この間もこのあたりで出会ったわけで。
「セラフィさん」
「しばらくぶり、だね」
「そうですね」
「その後お元気?」
「え、ええ、まあ……うん」
体は五体満足を保てているけれど、心は到底万全とは言えない。
コレットを失った部分の穴が、とても底知れぬ広く深い闇になって空いてしまっていた。それを思い出しただけで、また目頭が熱くなりそうだった。でもそれを彼女に知られるのはあまり好ましくない。
「あなたは今日はどんな役割?」
「呼び込み当番。なかなかいい人通らなくて」
「そ、そう……」
「ね、リリさん、もし何かあるなら、信頼できる人に相談しよう?」
「え?」
そんな私の、心に抱えている闇のそれをセラフィは、とても距離感をつかめないような間近に顔を近づけて、見破って話していた。
近い。
セラフィの顔面の位置が、下手をすると唇同士を交えてしまいそうなほどの位置にあった。
「セラフィさん近い、近いですから」
「リリさんが気になったから」
害意がないから近づかせてしまった。
いくらなんでも無防備が過ぎた。
「私そういう趣味はありません」
「私もないよ」
「どういう趣味かわかって言ってます?」
「うん」
それに、私なんかよりはるかに、人と人とのやり取りに慣れている。
ごくわずかなサインでも、それを取り逃さない。
貴族の社交では、いったん作法が採点基準になって阻むけれど、純粋に人間同士が向き合う場面となれば、彼女に翻弄されないほうが難しい気がする。
「それなら、もう少し距離感を大切にしてください。でないと悪い勘違いを生みますよ」
「勘違いでもいいのだけど?」
「それはあなたの職業柄ならともかく、そうでない人には好ましくないですよ」
「ああ、うん、そうかもしれないね? でも、リリさんは、仲良くなれるよね?」
「それは」
セラフィは悪いこじゃない。踏み込んできたのは善意だから。
とても澄んだ瞳をして、それは素朴さに清涼さを覚えさせるような、透き通った泉の水のようだった。
そんなセラフィは不躾そのものではあったけれど、けして咎めたくなかった。
「そう、ですね、きっと」
「うん。私毎朝は送り出しで、闇の日から太陽の日は呼び込み当番してるから、もし通りかかったらよろしくね」
「は、花街は毎日は通りませんよ?」
「ああ、リリさんは孤児院の人だから、炊き出しの日くらいかな? っと、シェリーは元気?」
「ええ、シェレネは相変わらずですよ」
もっとも、セラフィの仕事は花街で娼婦。セラフィ個人と仲良くはなっても、そちらにはあまり縁をもちたくないのだけど。
「ええ、それと、人を待たせているので今日はこの辺で」
「そう……またどこかで会えるかな?」
「それはどういう」
「ああ、いらっしゃい、いいこ揃ってますよー、えっと、彼女はお店のこじゃないよ?」
私はそこで、セラフィが通りすがりの男性を捕まえて客引きの本業をしだしたので、また会えるというセラフィの言葉の意味を、きちんと問いただせなかった。
思った以上に大きな繁華街、もとい花街だった。
セラフィの勤める以外にも、数十の店が軒を連ねている様子だった。
セラフィと別れた後、もう少し日没に時間がかかりそうだったので少し、建物の軒を連ねる様子を観察してみる。繁華街・花街は貧民街と隣接した位置にあって、まるで『体を売ってやっと生活できる』身分のものの行き着く場所のようでもあった。お店務めすらままならない、みすぼらしい姿をした、とても瑞々しさも若さもない女性が、壁に寄りかかって通りすがる人々を見やっていた。
実家の領都で、こんな規模の歓楽街、それも春売りを本筋とするお店がこんなに多かったなんて。
でもオーシアは不本意な子を為すことを推奨し、それを途絶できなくしていたはずだから……
私は、それをどうすることもできない立場にある自分の無力さを痛感させられていた。
「お嬢様、今日はどちらへ」
「友人と待ち合わせがあるので」
「承知しました。もしご用命とあらばぜひ私どものことをよろしく」
もっとも、私がそれらを眺めて歩くうちに、清潔感に満ちた、礼装の着こなしが丁寧な、荒みを卒業しきれない感じのある男性に呼び止められた。彼が私を相手に呼び込んでいると気づいたのは、お店の名前の書かれたカードを渡されたことからだった。捨てるにしても目の前では破棄できず、かといってこのまま持ち帰るのは孤児院での様々に差し障る。孤児院に戻るまでに、どこかで隙をみて処分することにした。
もう日が暮れるので、さすがにいつまでも見学していられず、待ち合わせの予定地に足を踏み入れた。
この間孤児院で炊き出しをしていた場所。
それを行うためのような簡易の石造りのかまどなどが置かれているそこに、ふと気配を感じて暗視を巡らせ認識阻害を行おうと試みていた。
「反射的すぎる」
「どんな驚かせ?」
「本物か試した。だいぶ待った」
「お待たせしたのはごめんなさい、道に迷ってしまったので」
半分だけ嘘をついて、待ちぼうけさせてしまった人、あの夜の刺客と対面していた。
仕掛けた時と比べて、身に着ける衣装はよりリラックスしたものだった。そのように布地が十分なはずの服にあっても、やはり細身を隠せない少女だった。そう、痩せぎすで、きちんと食べているのかが不安だった。
セラフィやシェレネと同世代だと思う。
でもセラフィが幾分満ちてて、シェレネが不相応にふっくらしているのに対して、どう見てもお腹いっぱい食べさせたくなりそうな感じ。
髪もほとんど整えられていないし、くぼみ気味な目は鋭く警戒するような睨みを利かせた感じがする。
「うん。でも来てくれて良かった。リーダーにとても怒られた」
「それはまあ……この場を設けたからですの?」
「半分正解」
それでいて、言葉数を切り詰めた独特のしゃべり方をするこ。
けして、機嫌が悪いという感じの抑揚ではない。きっと素なのだと思う。
「それで、聞きたいことって何」
「そうですわね。血の約束とはどんな組織か」
「簡単に言うと、あなたに仕掛けた私」
「それはわかりますわ」
暗殺者集団か、何かという意味合いなら重々承知である。
「生贄の心臓に、三角に刃を入れた儀式が、依頼者との契約の条件ということはあってますの?」
治安部隊が知っていた情報の再確認を求める。
「あってる。本当は儀式の後の死体はわからないよう処分してほしいけど、みんな処理しないで放置してるせいで、治安部隊に目の敵にされてる」
「そうなのですわね。それで、失敗したあなた……ミカナで良いかしら?」
「かまわない」
「ミカナは罰を受けたりしませんの?」
「仕掛け損ねても治安部隊に突き出されず帰れたのでおとがめなし。でもリーダーに怒られた」
「もう半分の正解ということですのね」
「ううん、それだけじゃない」
ミカナは治安部隊に捕まらなかったので大丈夫だった、ということまでわかった。
それはきっと、失敗して刺客としての身分がバレたら、単純な咎めは司法によって行われるのだろう。
私は在りし日の自分の口調のまま進め、ミカナも淡々とした抑揚で問答に応じていた。
「一番の理由は、あなたを試して勧誘しなければならなくなったから、怒られた」
「それは随分と、心の狭いリーダーですのね」
「リーダーのこと悪く言ったら、私が怒る」
「それは悪かったですわね……」
ますますリーダーがわからない。
ミカナの恩にどう応えているのだろう?
でも私に、それを確認する暇はなかった。
「ですけれど、試してとはどういうことですの?」
「それは」
ミカナは少しだけ言葉を溜めると、その意図を打ち明けた。
「あなたに、殺しの依頼をするから」
まだ未加入な私には、あまりにも唐突で不躾だった。




