<1> 聖女は私の思い描くを挫く
6月中は毎日1話ずつ予定です。
それは、愛しき人の記念すべき日を祝す会場が、裁判所と変わる予兆だった。
ひとりで会場入りした私と、愛しき人にエスコートされて入場した女。その短めに切り整えられた、青みがかった銀髪の彼女と相対する様子は、さぞ周囲のものにとってこの対比は滑稽そのものに見えるだろう。
目の前の女の身分不相応な礼装は、自らを磨きぬいた成果によるものではない。素朴で、あどけなく、気品に欠けた彼女に対し、塗りたくって偽装した張りぼてに、私には見えた。
だが100人に99人は「ふさわしくない私」と「ふさわしいこの女」に見えているだろう。あまりにも忌々しいことこの上ない話。
憤りが喉元に吹き上がりかけていた。
「あら、完全に殿下は聖女様をお選びですのね」
「ファーステス様はもうお役御免にしたいのかしら」
「婚約も国のために進めた話でしたもの。今のほうが殿下が何倍も幸せそうよ」
「建国王の弟君の末裔も哀れなものですわね」
それに拍車をかけるかのような、陰口の数々が聞こえてくるようでならない。耳障りな婦人どものうわさ話が、聴覚強化の魔法を使うまでもなく伝わってくる。
でも私は、どうしてもここにいたい。
それなのに、いてはいけないという外圧として、その声その視線が私に向けられているのを感じさせられる。
私がここにいたいのは、この会場がこの国、ロヴァルド王国第一王子のライナルド殿下の立太子記念祝賀会の場であるから。
私が幼きころの出会いから、婚約の約束を元にずっと想いを馳せ、慕ってきたライナルド殿下。
彼が、公に次期国王として認定され、それをもって婚約が結婚へとつながるより具体的な段取りがなされるはずであったから。
そう、本来なら、殿下がエスコートすべきは、あの殿下のお隣で寄り添っていたのは私だったはず。
「ファーステス」
私の心があらぬ場所にあったことを呼び止めてくれた声がする。
声の主は実の父であり、建国王の弟君から続くベルサーネス公爵の現当主であるフアンザース・ノ・ベルサーネスである。
「父上、その」
「ひとりで入場すると聞いた時はいろいろと心配だったのだがな?」
「申し訳ありません、このようなことになってしまい」
「ファーステスに罪はない。確かに感情というものは、簡単には曲げられないのだろうがな。国を預かるということの自覚を陛下も殿下もわきまえてもらいたいものだ」
「はい……」
御年もそこそこであるのに、若き瑞々しさをどこか残し、また元来の端正さも失われていない。ただところどころ白髪が入り出したところに年齢を感じずにいられない方。
そんな父上は、我が一族の在り方を体現されている。
建国の頃の初代より今まで、このロヴァルド王国への忠義を篤く持ち、国王を守るために力と心を尽くされた。またそのための合理に魂を注ぎ、心を砕き、己を磨いてきたそれを、色濃く継いで来られている。
幼き頃から父上より、祖父上からさらにその前の代々に連なる「家訓」によって、私もまたそうあるように命を捧げてきた。
父上の背中は、私が常に追い続けている目標でもあった。
「そなたの母がすでに亡きことが、かえって幸運であるのかもしれないが……」
「それは……そうですわね」
私が殿下を繋ぎ留められなかったことを、父上がいう"私の母上"が知らずに済んだことを指していると思う。
その私の母上は、私は肖像と伝聞でしか知らない。私を産んだ後の肥立ちの悪さで亡くなられたので、存在感そのものが欠落していた。ただ父上は母上にあたる方への愛の強さと深さから、後妻を頑なに迎えようとしなかった。もし真に家と国を思うなら、感情を捨てて自らの血を確固たるものとすべきところのはず。
そう、それが合理なのだから。
ただ、私としては父の選択を否定するつもりは一切なかった。
それがけして間違っていないと断言できるから。
「ロヴァルド王国国王、アンラルト・ノ・ロヴァルド陛下御入場!」
父と今の在り方を話しているときに、この国の現王の入場を見たので、皆とともにかしずいて、その歩みを迎えた。
国王が定められた位置に付くまでの間に、その傍らを見やる。
彼が伴っている女性の中に、ユエラ王妃陛下の姿が、やはりなかった。
そう、この立太子の儀に、ライナルド殿下の実の母君であるユエラ王妃陛下をなぜ連れてこないのか。
それだけでもこの国王は、実の息子をないがしろにしているのに、あろうことか己の妾集団を後ろに連れていた。
名前を覚える必要なんかほとんどない。
彼女らは、寵愛を受けたというだけで分不相応な衣装を与えられていた。特にお気に入りなのはルーツ不明の平民出身者であったはず。そもそも釣り合わない家格出身しかいない彼女らが、王の家臣団やその家族を、まるで下々を見るかのように、扇越しに見下している様があまりにも腹の底を煮えさせる。
もちろん、妾それ自体を完全に否定するつもりはないし、平民だとか、ルーツ不明であることがどうこうだとかは言いたくない。
ただ、ライナルド殿下の実の母君であり、公の王妃であるユエラ陛下を伴わないことは、何より許せなかった。
「皆の者、今日は我が息子ライナルドのためにようこそ。この良き日を祝い、今後のロヴァルド王国のますますの発展を、慈愛と豊穣のオーシア様への祈りとともに尽くしてもらいたい」
王のための席についた彼が、参加者の礼節の姿勢を休ませてから、一言の口上を述べて開会の辞と変えた。
宴の開始が形となり、次々とライナルド殿下と、その傍らにしれっと寄り添う女……今国王が告げた中にある、慈愛と豊穣のオーシアに見初められた聖女が、その祝福の言葉を貰っていた。
あまりにもおかしい。彼女はライナルド殿下の婚約者ではない。ライナルド殿下の婚約者は私だ。それなのになぜ、皆、国王まで含めて、当たり前のようにあの女をライナルド殿下の今後の伴侶のように扱うのか。
名前は確かスコラ。そう、アンラルト陛下が連れて来ている妾にもいる、ルーツの不明な平民階級に同じものだ。オーシアの多くの教会は孤児院の併設が基本なので、恐らくはスコラもその孤児の出身なのだろう。国として決めたものではなく、国に認められた身分の資格ではなく、国が主として奉じる宗教の権威が保証を、なぜ正統とするのか。
そもそも国王の妾ともほとんど身分の変わらぬスコラに、ライナルド殿下の身の上にどこまで寄り添えるというのか。
「私も、殿下の立太子のお祝いを申し上げに行ってきますわ、父上」
「ファーステス?」
「ここで本当に大切なことが何かを教えて差し上げなければなりません」
「落ち着け、挨拶に行っている中に『我々の身近』はいないんだぞ」
「だとしても。だとしても、私は、この状況を黙ってみていられるほど人ができていませんわ」
父上の言う『我々の身近』に相当するものの姿は、確かに殿下とスコラを表敬するものの中にはない。ただ、現状に表立って彼らが声を上げることはできないと思う。今私が飛び出していったところでより面倒が待っているのは、「多勢の圧」があることからわかり切っているけれど、それでも何かせずにいられない。
なにより、スコラを、婚約者ではない女をライナルド殿下がエスコートすることにおいて、アンラルト陛下は何も触れていない。その黙認するライナルド殿下にある歪みを見過ごせなかった。
「ファーステス!」
父上が諫めの、呼び止めようとする声は、耳を通り抜けていた。私はライナルド殿下への挨拶という名を借りた「糾弾」へ赴いていた。
順番を待ってライナルド殿下とスコラの前にお目見えしたところで、淑女の礼を裾にしながら会釈する。
ライナルド殿下のまだあどけなさの残る様子があまりにも愛おしい。ひとつ年下の、弟のようにも思える、目に入れて痛くないくらいには気持ちを注いだ方がそこにいる。
「ひっ!?」
「?」
「ベルサーネス公爵第一公女、ファーステス・ノ・ベルサーネスですわ。この度、ライナルド殿下の立太子、おめでとうございます」
「ああ……」
スコラが私の顔を見て恐怖に引きつっていた。何かをトラウマに感じた小動物の愛らしさがそこにあった。それはさぞ、ライナルド殿下には可愛かろうこと。「何もせず」「ただ甘えてくれる」だけのそれが、心地よくないわけがない。
ただそれ以上に、なぜそのようなそっけなさでライナルド殿下は返されるのか。礼節は相応に帰すものと、たとえ感情が失われていても作法であると習わなかったのか。
「ところで。殿下はなぜ、正式な婚約者である私ではなく、そのような得体の知れない娘をエスコートされたのでしょう?」
「得体の知れない……?」
だから私は、胸の奥から吹き上がる灼熱のような嫉妬を抑えきれなかった。
「ええ。ただ聖女と祀り上げられただけの、どこの誰と知らぬ娘を、ですわ。そう、幼少よりの約束を信じて、私は長年、自らが傷つくことも厭わずに学び鍛えられたのは、ライナルド殿下を真にお慕いしていたからですわ! 国内の力関係も国際的な情勢も、ましてや家と家とのあり方など、あなたへの想いに比べたら小さな問題でしかありませんの! なのに、なのに殿下は……」
「ファーステス、お前は」
「殿下に弓術の鍛錬の姿を見て褒めていただいた言葉は、今でも忘れず私の支えとして生きておりますわ。なのに……なぜ殿下は、私を見てくださらないのですか!」
「お前は。この期に及んで何を言うかと思えば」
ライナルド殿下が、私の激情の訴えに反して表情を厳しくしかめた。
本来の婚約者と、本当のあるべき女との関係の行く末を、周囲は完全にその修羅場のような状況の観客となっていた。
誰もが展開を、見世物に等しいものとして眺めているようだった。
「ファーステス! お前は、この国にとってかけがえのないオーシア様の聖女に、いったい何をしたかわかっているのか!」
「何、とは」
「お前の屋敷に呼びつけて、ありったけの罵声を浴びせながら固い踵で踏みつけてスコラを傷つけておいて、よくのこのこと、私とスコラの前にこれたものだな?」
「それは」
だから、"事実"として思い当たることを突きつけられた時、変わった風向きとなった空気が、視線が、より私の心を深く貫くように差し向けられるのを感じずにいられなかった。
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