#104 三人目ではない
ほんのりピンクに染まり始めた夕空の下、無事に弔いを済ませた僕たちは名残惜しみながら旧校舎を後にして馴染みの天ぷら屋〈たちばな〉へと移動した。
「遅かった! 電話しようかと思ってたとこだったの!」
のれんをくぐって一番にそれを言うか。などと思ってはいけない。この妻には素直に「ごめん」が一番だ。それより。
「はは、懐かしいね。その格好」
美咲が天ぷら屋の店員の格好をしていた。
「でしょ! 着たくなって借りちゃった!」
──と、その時だった。
「どいてどいてどいてーっ」と人垣を掻き分けてひとりの女性が美咲に駆け寄る。
何事かと目をパチクリする僕には見向きもせずに、女性は美咲に勢いよく抱きついた。
そう、ちょうど公民館で僕と再会を果たした時の梅吉のように。……ということは。
「あああん、うわあん、会いたかったよおおおお、美咲ちゃあああんっ」
「え、え、……芹奈?」
やはりそうだった。
それにしてもすっかり垢抜けて本当に誰だかわからなかった。美咲が驚くのも無理ない。
「美咲ちゃんに、会えるって聞いて。フランスから飛んで来たんだからね!?」
「え、フランス!? 芹奈、今フランスにいるの?」
「そうだよおー、音大で、留学してるのー」
聞けば彼女はフルート奏者として本当に凄くなっているらしい。音大生になった、とは聞いていたがまさかヨーロッパに留学までしていたとは。
固い絆で結ばれているらしい二人の間に僕の入る隙などないだろうと、そっと離れる。すかさずミクさんにつかまった。
「ミクさんはたしか保育士さんなんだよね?」
「正解! よう知ってますね、ヒビノ先生」
その周りには可愛らしいちびっ子が一、二、え、三人も?
「ミクせんせー、おえかきしよ」
「先生?」
僕が訊ねるのと誰かが「あんー、こらこら」とミクさんにまとわりつく小さな女の子をつかまえに来た声が重なった。
「おお。咲良さん、だよね?」
「あ、はい! お久しぶりです、先生」
いろいろ気になったがまずは髪がピンク色で驚いた。丸いメガネも相まってアニメキャラのような印象だ。そしてその子。
「娘のリコですー」
やはり娘さんなのか。
「咲良ちゃんは今年実家に戻ってきたとこなんよ。それでリコちゃんをうちのこども園にね」
ミクさんが本人に代わって説明しつつ、咲良さんに「自分で言い」となにかを促す。いや、べつにすべてを話さなくてもいいのだが。
「あ、そうです離婚して」
リアクションに困るから。
「……まあ人生いろいろあるよね」
苦しくフォローすると「そうなんですよ」と二人の子を抱えるミクさんがまた強い。今度はなんだ。
「咲良ちゃん、今はさっくんとラブなんですよ。ね?」
さっくん、とはさく坊のことだ。……って、ええ? 「ね?」と振られた咲良さんは「さてどうでしょうねえー」とはぐらかしているようだが。
「ええやんー、『さくさくコンビ』で。ね、先生」
苗字は『佐久間』でいいのか。咲良さん側の『戸田』にしたほうが、などと野暮なことを考えてしまった。
「二人がもし上手くいったらミト中吹部からは初のゴールインですよ。あ、まあヒビノ先生と美咲先生のカップルはべつとして」
結婚式、呼んだら出てもらえます? となぜかミクさんがウキウキと訊ねてくるから笑った。
「その時はまたここで宴会しようよ」
それいい! と盛り上がった。
入れ代わり立ち代わり、僕の前には元生徒たちが現れてひとしきり過去や現在のことを楽しく話してくれた。
外が暗くなる頃には、また懐かしい、アマ中の笠井くんをはじめとした例の四人組も駆けつけてくれた。それから。
「おお。西野さんに石川さん。……え、松阪先生!?」
慌てて立ち上がる。これこそスペシャルゲストじゃないのか。
「お久しぶりです。響木先生」
「お久しぶりです。まさかこんなところで再会できるなんて」
やってくれたな。ちらとナンプを見るとやはりニヤニヤしていた。まったく。
握手を交わして互いの近況を伝え合った。松阪先生は産後復帰はせずにそのまま教師を引退して、育児の傍ら自宅で音楽教室を開いて教えているんだそうだ。
「響木先生、ご立派になられて。知り合いとして鼻が高いです」
いやいや。恐縮するばかりだ。
西野さんも石川さんも結婚をして苗字が変わっていた。
「西野さんは、斉藤さん?」
「そうです。先生、憶えてますか。定期演奏会の時に先生にスーツを貸した」
「あっ……彼!?」
まさかのカップルだった。虐げられていたらしい彼の三年間が報われたのか、とまでは言い過ぎかもしれないが。
そして石川さんは……おや。
「また会えたねぇ、誠くん?」
「おお……。できればもうあんま会いたくないんやけどなあ?」
この二人は元カップル……だったか? なにやら不穏な様子だが。
「あ、ヒビノちょうどええ。この子の旦那、たぶんヒビノも知りよんで。吹奏楽界の『お偉いさん』やから」
久原くんに言われて石川さんに結婚相手の名前を聞いてみたら大御所すぎて腰が抜けかけた。うそだろ。「なんでまたそんな相手と」
「ご縁ですかねえ」
かなりの年の差のはずだ。20できくのか。こんな事ぜったいに本人には訊けないが、正妻なのだろうか。
「立派な旦那おるんやから。欲求不満は旦那に満たしてもらいーな。わるいけど俺はパスやで」
「つれんなあ。誠くん子ども出来てから変わったね? 独身なんやしええやん」
「あんねぇ。あんたは既婚者じゃろが」
おそろしく危険そうな会話に巻き込まれるまいとそっと離れようとすると、久原くんに手首を取られた。おっと。
「今年は出んの? コンクール」
ギラリと光る目に内心ドキリとした。
「……さて。どうだろうね」
「俺んとこは出んで」
「アマ高?」
「そーよ」
「去年は支部大会どまりだったね」
「チェックしとんなー」
「もちろん」
「今年は絶対全国、連れていくから」
「ふは。健闘を祈るよ」
コンクールにあえて『出ない』という選択があることを知り、その上でまたコンクールを目指す。校風に、部員たちに合わせた全力の指導とフォロー。様々な経験を経て彼は顧問としてさらに磨きがかかったのかもしれない。
もとより歴史も実力もあるアマ高吹奏楽部の正顧問だ。そもそも願ってその座を掴み取っている時点で、キミは僕より運も実力もすでにかなり上だと思うが。
……さて。宴もたけなわだが、そろそろお開きの時間がきてしまったようだ。




