#101 それっぽくない
「ええ!? 十年間ずっと音信不通だった恩師!?」
流れで瀬尾さんも一緒に三人で駅前の居酒屋に入っていた。ソフトドリンクは僕だけかと思ったら医師である瀬尾さんもで梅吉もそれに合わせる形となり全員がノンアルコールとなった。
「つか。もしかして梅吉くんがいつか言ってた『伝説の部活顧問』って、まさかこのヒビノさんのことだったの!?」
こくりと頷く梅吉は未だに放心状態でまともに会話ができるかすらあやしい。積もる話は二人きりでと思っていたが瀬尾さんがいてくれてよかったかもしれない。それにしても『伝説』とはまた。話が誇張されていそうでこわい。
「今でも教師をされてるんです?」
「ああはい。都内の高校で」
「どこ高校!?」
放心しているのかと油断していたら急に食いついてくるから驚いた。小声で学校名を教えてやると「え」とまた目を剥いて固まってしまった。
「うそやん……超名門校。ちうかこんな近くにおったん」
「そうだね。僕も驚いた」
世間は狭い。だな。と瀬尾さんが笑い、乾杯を促した。
「にしても『感動の再会』ってやつはいいもんだね。俺ももらい泣きしそうだったよ」
「ええ? 瀬尾さん、笑うのこらえてませんでした?」
僕が言うと「言うねえ先生」と笑ってくれた。
「梅吉くんはかわいいんだよ。一生懸命でさ。なのにいっつも空回りしてて、助けてやんなくちゃって楽団のみーんなが思ってる。梅吉くんのことはみんな、親戚みたいに思ってかわいがってるんだ」
「うん。今日見て感じました」
「でもギャルと結婚しちゃった時はさすがに心配したけどな」
「え?」ギャル……?
そのまま梅吉に視線をスライドさせるとなぜか目を逸らされた。
「そ、その話はやめよ、瀬尾先生」
「いーじゃん。事実なんだから。恩師にもちゃんと知ってもらわないと」
瀬尾さんは上機嫌だ。アルコールなしでも盛り上がれるタイプらしい。
「楽団名の『ダイちゃん』っての、そのギャルの奥さんが梅吉くんのことそう呼ぶから面白がって仲間が付けたんだそうだよ」
「ああ、なるほど」
そうかもな、と思ったが本名『大吉』からの『ダイちゃん』なんだ。
「みんなから愛されてるんだ。安心したよ」
「ヒビノは」
声がかすれ、大きく咳払いをしてから言い直した。「ヒビノは」
なんだい、とやさしく見ると青年は強ばっていた表情を少しばかりやわらげた。
「なんで今日、俺のとこに来たんや?」
僕は「ああ」と頷いた。
「この間、いきなり僕の学校に電話があったんだ。久原くんから」
「は、誠司兄から!?」
「うん。執念だよね。それでついに居場所を突き止められた僕は観念してこの長かった逃亡劇に終止符を打った、というわけ。で、自ら扉を開いた僕がまず最初に向かったのが」
梅吉。キミのところだった。
お酒ではないが、お酒のように僕はグラスをあおった。
意外と近かったのはたまたまで、たぶんどれだけ距離があったとしても僕はまずはじめに梅吉を探しただろう。
「それにしても。二人はなんか教師と生徒っぽくないよね。つかヒビノさんが先生っぽくないというか」
いやごめんね? と瀬尾さんが軽く肩を叩いてくる。
「はは。僕も自分で思いますよ。でもこれでいいんです。この関係が心地いいんです」
「だろうね。見ててわかるよ」
ちなみにこの人は僕の本名が『ヒビノ』ではなく『響木』だと知ったらどんな顔をするだろう。今さら名乗るつもりもないが。
「でもさ。ヒビノさんの本職が指揮とはね。それこそ想像できないな」
見てみたい。と言われて思わず梅吉と顔を見合せてしまった。そしてどちらからともなく、噴き出す。
なになに、と瀬尾さんだけがわけを知らない。それがまた嬉しくて、僕たちはしばらく二人でくつくつと笑い続けた。
居酒屋の前で「俺は電車じゃないからさ」と言う瀬尾さんと別れて梅吉と二人で駅に向かった。
「……なあ、ヒビノ」
んー? と返事をしつつ、当時より低くなった声で改めて呼ばれると不思議な気分になった。自分を残して周りだけ時間が経ったような、まるで浦島太郎だ。
「…………どやった?」
なにが、と一瞬思ったがすぐにわかった。指揮のことだと。
「正直に言ったほうがいい?」
確認すると、「そりゃあ」と頷いた。僕は小さく頷き返す。
「指揮自体はそう悪くはなかったよ。言葉遣いも丁寧で、相手に反発心を抱かせない、いい指揮者だと思った。ただ」
そこでとめると青年の喉が上下した。心臓に悪そうだな。
「相手が年上ばかりだからかな。少し遠慮が感じられる、というか。実際ほとんど梅吉個人の意見は言えてないんじゃない?」
とくに権力者、かどうかはよく知らないが、瀬尾さんには弱そうだった。
「…………あたり」
「あたり、か。はは」
青年指揮者は悩んでいるのか? いい環境だなと思ったんだがな。
「無理に相手に合わせて折れる必要はないと思うんだ。時には自分をつらぬいて戦う勇気を持つといい。相手との関係が悪くなることを恐れないで。キミの信じる音楽を、遠慮なく表現していい。それが『指揮者』なんだから」
「はい……!」
素直に返事をしてくるから思わず笑う。
「急にかしこまらないでよ」
「だっ、だってヒビノ。俺のほうはぜんぜん中学生の頃となんも変わってないのに、ヒビノはもうとっくにずぅーっと先におって、もはやぜんぜん近づけんレベルなんやもん」
まさか。僕のほうにそんなことを思われていたなんて。
「そっくりそのまま返す。梅吉、お母さんに中学の頃の写真、メールで送ってもらうといいよ」
手鏡でも見ながら比べてみたら。と言うと「見た目の話ちゃうわい」と予想通りの反応をしてくれて嬉しい。
「まあそれは冗談で。ほんとに成長したと思う。なにより、音楽と指揮をずっと続けていてくれたことが、僕は本当に嬉しいよ」
「会えるかち、思うて」
「会える……?」
「ヒビノと、また」
ああ……。泣かさないでほしいんだがな。
「ほんまに本気でずぅっと探しよったんやで。まあここ最近はほぼ諦めよったけど。でも美音原におった頃は美咲にも何べんも噛み付いて、毎度振り払われて」
「ああ。聞いてたよ」
「なんで…………教えてくれんかったん」
謝るべきか。……いや。
「そばにいる、ばっかりがいい事とは限らないから。僕は、後悔してないよ」
梅吉は考え込むように静かになって視線を下げた。僕は切り替えるように「ねえ」と問いかける。
「たまに、来てもいい? 『ダイちゃん楽団』。瀬尾さんからもせがまれちゃったし」
「も、もちろん! でもちょい、恥ずかしいけどな」
「あ、言っとくけど指揮はやらないからね? あくまでトランペット奏者として」
「……ヒビノ、もしかして今日、結構楽しかった?」
おお、その通りだ。
基本普段は指揮しかしないから。実は心置きなく演奏できる場というのはかなり久々で楽しかった。それから『吹奏楽』という共通点だけで異業種の老若男女と交流できるというのもかなりおもしろかった。
すべてを知ったつもりだった吹奏楽にまだこんなおもしろい世界があったとは。扉の中に閉じこもっていたままではきっと永久に知り得なかった。そう思うと梅吉青年には感謝しなくちゃならないな。
「よろしくお願いします。『ダイちゃん先生』」
「っ、その呼び方はアカン!」
笑い合って、名残惜しくもありつつ手を振り合って、僕たちは別の方面のホームへと別れた。




