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幕間 響木ではない②

 夕暮れの音楽室。

 橙色の中、今日も音が鳴る。


 きらきらとした若い音。

 少しだけ未来を憂う、過ぎた日を想う

 そんな独特の音。


 佐久間のホルンの音。


 俺が引き戸を開くと、音は途端にやんだ。


「わかりました。片付けます」


 まだなにも言うとらんのに、今日はあっさりとそう言って楽器を片付け始めた。俺は少し慌てて、「ああいや」と声を出す。


 佐久間は手をとめ不思議そうにこちらを向いた。


「ホルンって……その。どやって鳴らすんや」


「は……?」


 情けないほど小声になってしまった。相手の目を見れんくて俺は佐久間の前に置かれた金色に渦巻く美しい楽器を見つめた。


「どうしたんですか」


 俺は「いやその」としどろもどろ言いつつ結局「なんとなく」と濁した。


 佐久間は不審がりながらも目の前の楽器を手にすると吹き口の部分を楽器本体から抜き取りそのまま廊下へ出ていった。


 ドアまで追いかけて覗くと佐久間は水道でそれをざっと洗って戻ってくる。無視して片付けるつもりかと思ったがそんなつもりはないらしく「こっちで」と無愛想ながらも声を掛けてきた。言われた通りに移動すると先程洗ってきた吹き口、マウスピースというらしいそれを俺に手渡した。


「持ち方は、こう。唇は閉じて、マウスピースの当たる中心だけを細く震わせて息を出すんです」


「……意味がわからん」


 素直に答えると佐久間は「ふっ」と笑った。もしかしたら笑顔なんか初めて見たかもしれん。


「とにかくやってみてください」


 見よう見まねというか、探り探り息を出してみた。唇を閉じたまま細く震わせる、そんな凄い芸当がシロウトにいきなり出来るはずもなく、俺の息は虚しくスーっと短い管を抜けただけやった。


「鳴らん」

「当然です」


 言われて少し悔しくて横目で睨んだ。「もっかい教えて」


 佐久間の指導はわかり易かった。ちうか教えるのが上手いと率直に感じた。


 おかげで……いうのも少し悔しいけど僅かながらマウスピースを鳴らすことに成功した。


「おお、鳴った」


「そうですそうです。じゃ楽器付けてみましょう」


 佐久間は俺の手からマウスピースを取って置いていた楽器に差し込むと「ここを持って」と手渡してくる。


「ちょ、そんないきなり出来るんか」


「やってみたいんじゃないんですか」


「え……まあ」


 言われるままに構えた。おお、結構ずっしり重いんやな。そんで冷たい。


「息、吹き入れてみてください。最初は鳴らすんじゃなくて、温める感じ」


 温める……。息を通すと楽器が自分に馴染むような、大袈裟に言えば身体の一部になるような不思議な感覚がした。


「じゃあ吹いてみてください」


 小さく頷いて、さっきマウスピースでやったように唇を細く震わせてみた。出た音に、俺は顔をしかめたが佐久間は「くはは」と笑った。


「……ゾウの屁」

「たしかに」


 頷かれて、なんちいうか、こっちまで笑えてきて、西日に照らされながら二人で腹を抱えて笑い合った。


「返すわ。俺が持つと楽器が嫌そうや。佐久間はすごいな。こんなん吹けて」


 差し出すと受け取りながら佐久間はまた笑った。


「ホルンは、難しいんやそうです。けどその音はいい。すごくいい。去年の春、初めてこの楽器に出会って、惚れたんです。そんで、ハマった。でも」


 そこで話を切って佐久間は楽器を静かに机に置いた。


「できん。いくら練習しても、全然できん。もどかしくて、焦って、自分を責めました」


 佐久間はまっすぐホルンを見つめよった。


「吹奏楽は、団体です。上手くないやつが足を引っ張る、調和を乱す。『雑音』がひとりおるだけで全体の評価が恐ろしく下がる。だから」


 そこまで話して橙色に照らされる窓の外に目線を移した。


「辞めよか、ち思ったこともありました」


 初耳やった。そりゃこんな話、こいつとしたことないもんな。


「けどその相談をした時、ヒビノ先生に言われたんです。『好きか』って」


「『好きか』?」


 訊ねると佐久間は微笑んで頷いた。


「『好きなら、やっていい』『下手でも好きでいい』そう言われました」


 不覚にも、じん、と来た。


「『もっとしっかり楽器と向き合って』ちて。……中村先生、『楽器が嫌そう』ち言いますけど、僕はそうは思いません」


「え……?」


 佐久間は楽器をそっと指で撫でて少し笑いながらこう答えた。


「僕に……自慢して来よります。中村先生に吹かれて、『すごかろ?』ちて、ふは、大喜びしとります」


「なんじゃそれ」

 さすがに呆れた。でも、なんやようわからんけど笑えてきてまた二人で笑い合う。


「なんで急にやってみよなん思われたんですか?」


「いやあ、……まあ、ちょっとな」


 美咲先生に尻を叩かれて、なん言えるわけなかろ。


「佐久間、『部長』いう立場はどうや」


 気を取り直してそう訊ねると、佐久間はまっすぐこちらを向いて「悩んでますよ」と苦く笑った。


「僕なんかでええんかち言うんは、いつでも思てます。演奏もまだまだ下手やし、指導もそこまで上手くはできん。後輩たちもちゃんと付いて来てくれよるんか不安やし、同学年にも、『なんであいつが』ち、ほんまは思われよるんやないか、とか……挙げ出すとキリないですよ」


「いや佐久間、上手いやろ。演奏も指導も部でいちばんくらいやろが。実際こやって毎日最後まで残って練習しよるんも佐久間だけやし、朝もいちばんなんやろ?」


 充分手本になるし、なんならやり過ぎなくらいや。


「恐いからですよ」


「え?」


「恐いんです。やれるだけやらんと、自分が全然あかんやつと思われそうで。そんだけ、弱いんです、僕は」


 言いながら楽器を片付け始めた。さっきのようにマウスピースを外して廊下に出るとまたじゃぶじゃぶ洗って戻り、いつものように手際よくクロスで金色の渦を磨いた。


「佐久間」


 俺がなにか言える立場やないことはわかっとる。顧問になったのに半年間放置して、夏のコンクールでもろくに結果を出せんかったんは生徒たちの実力不足なんかやない。顧問の仕事を放棄しよった俺の責任や。


「俺にも、教えてくれ」


 楽器を拭く手が止まって佐久間がこちらを見る。


「教える……?」


 聞き返されて照れたけど、ちゃんと伝えなあかんと思った。


「一緒に、やらしてくれ。部活を、音楽を」


 どこの青春ドラマか、あとから思い出すと恥ずかしすぎて死にそうやけど、ふいにそんな言葉が出た。


 自分のことを「弱い」と言う佐久間。けどたぶん誰もそんなことは思ってない。ほんまに「弱い」んは、向き合おうとせんやつ。俺みたいなやつや。楽器も、音楽も、それから生徒らも、向き合おうとせん限りほんまの声は聞こえん。


「佐久間が楽器と向きおて変わったように、俺も部と向き合おてみたなった」


 佐久間は真正面から俺を見た。もう逃げん。俺もまっすぐ見返す。


「今まで放っといてすまんかった。こんな顧問で、部長のおまえを不安にさせた。佐久間は全然弱くなんかない。弱いんは、逃げよった俺や。向き合おうとせんかった、俺なんや」


 頭を下げる俺を前に佐久間は答えず、光のピークを超えた西日の中じっとこちらを見たままでいた。


 やがて楽器をケースに収めてガチャリとフタを閉めたんが音でわかった。


「……中村先生は、そうやな」


 なぜか嬉しそうに呟く声に顔を上げる。考えごとでもするように宙を眺める佐久間の姿があった。


「……オーボエ」


「オーボエ?」


 わからず聞き返したが相手は構わず「いや、でもなあ」と思案を続けた。そしてひとりで「ああ」と納得すると笑い含みの顔をこちらに向けてきた。


「ホルンかもしれませんね」


「え?」


 未だになんのことかわからずにいる俺を前に、佐久間はにっと歯を見せると陰り始めた橙色の中で微笑んだ。


「なら仲良くやれる自信あります」


 そして告白さながら、その頭を下げて手を差し出してきた。


「よろしくお願いします!」


 突然のことに面食らいながらもゆっくりとその手を握る。若い、みずみずしい手。けど所々荒れて硬いんは、楽器でできたタコか?


 たぶん部員みんな、こんな手なんやろうな。


 そんなことも知らんかった。

 だからこれから知ろう。




「あっ、最終バス逃した。ああ、送ってくれますよね? 中村先生」


「えっ、や、ああ、……しゃーないなあ」


 のちに『最強コンビ』とまで言われるようになる佐久間と俺は、この日こうして始まった。


 翌年のコンクールでは、地区代表こそ逃したものの部は初めて金賞を獲った。俺が真面目に顧問したから? は、そんなわけあるか。生徒らの、佐久間率いる生徒たちの努力の賜物に決まっとるやろが。


 ……なーんてな。 響木先生。またいつか飲みに行きたいなぁ。懐かしい。




〈幕間 終〉


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