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幕間 響木ではない①


 ◇


 おんなじように出来るわけない。

 でもおんなじようにするのが正解と思い込みよった。それ以外は不正解と、思い込みよったんや。




 夕暮れの音楽室。

 橙色の中、音が鳴る。


 きらきらとした若い音。

 少しだけ未来を憂う、過ぎた日を想う

 そんな独特の音。


 俺が引き戸を開くと、音は途端にやんだ。


「下校時刻やぞ」


 声を掛けるが相手はこちらを一瞥してから何事もなく演奏に戻る。


「バスなくなるぞ」


 音に負けじと声を張る。返事はない。まったく困った生徒や。


「おい」


 肩に手をかけるとようやく音はやんでその視線がこちらを向いた。


「先生なら、吹奏楽のどの楽器に興味あります?」


「……はあ?」


 突拍子もない質問に面食らった。


「ええから、下校時刻やち言うとるやろが、佐久間」


 俺がそう言うと問題児の佐久間は「ふは、やっぱ興味ないんですね」と冷たく笑んで立ち上がり楽器を片付け始めた。


 中一から知ってはいたこの生徒。大人しくて小柄、仲間たちから『さく坊』と呼ばれるようなまだあどけない印象やったのに、中二になってから急に背が伸び始め声も今やずいぶん低くなった。最近は態度もどこか大人びた印象で、年頃でもあるしどう接したもんか、顧問でありながら掴めずにいた。


 響木先生が去り、この春から吹奏楽部顧問を引き受けて半年、手探りながらなんとかやってきて先日の文化祭で三年は引退。そしてこの佐久間が部長として率いる二年と一年の新体制となったわけやけど、実のところ俺は未だにこの部に馴染めずにいた。


 ちうか、生徒たちに顧問として認められてない気がずっとしよる。


 教師としての歴は浅くはない。これまで何名もの生徒を迎えては送り出してきた。慕ってくれる卒業生やって少しはおる。けど、正直こんなやりづらい日々を送るんは初めてのことやった。


 改めて、響木先生の凄さを感じるばかりの日々や。悔しいなぁ、ほんに。教師としては十以上も下の後輩やいうのに。



 俺がぼーっと見よる間に佐久間は手際よく楽器をケースにしまい終え、西日に照らされながらカバンを肩に掛け重そうな楽器ケースを片手に「さようなら」と無愛想に言ってきた。


「……持って帰るんか、楽器」


 明日も使うのに、重いやろうし、などと考えて訊ねると相手は表情を変えずに「いつもそうですけど」と言う。


 俺の返事を待たずに佐久間は「じゃ」と音楽室を出ていった。



 美音原中学から引き継がれたこの部。天原第一中学吹奏楽部は、合併に伴い一時は顧問不在となって存続すら危ぶまれていたが、新年度に在籍部員を上回る数の入部希望者を迎え、生徒たちの強い希望もあって存続が決定した。とはいえ春の時点では顧問不在という状況に変わりはなく、困り果てていた連中を見かねて結局俺が引き受けた。


しかし音楽のことはちんぷんかんぷんや。


「鍵の管理くらいしかできんよって、あとは自分らでなんとかせえ」


 実際俺がなんもせんくても生徒たちはそれなりにしっかり部活をやれよった。学ぶ気がなかったわけやない。けど必要ともされよらん気がしてしもうたんじゃ。


 悪いな響木先生。やっぱ俺には、ここまでしか出来ん。



 退勤時刻になって校舎をあとにする。秋の夜風が身に染みた。そろそろコートを出さなあかんか。


 家に着くと明かりはなく暗かった。嫁と高校生の娘がおるはずではあるが、こういうことも珍しくはない。


 明かりをつけると書き置きがあった。

『お母さんの所に行きます。先に寝ててください』


 詳細はメッセージでも来よったかとスマホを確認すると案の定受信があった。


『またお母さんが調子悪いみたいでりっちゃんと見てくるね。夜遅くなるからご飯外で食べて先に寝ててください』


 嫁の母親は去年から病気を患っておりこうして度々調子を崩す。嫁はひとり娘なんもあって車で30分の所にある実家にしょっちゅう帰っては寝泊まりすることも増えていた。まあ帰りの遅い俺も悪いけど、寒い季節に暗く冷えた家に帰るいうんはなんとも虚しい。


 明かりを消して家を出た。こういう日は決まって外食に行く。けど喫茶店に行くには天ぷら屋の前を通らなあかん。なら天ぷら屋に行けばええんやろうけど、あの店へはどうにも行きたくないんよなぁ。



「もうっ! いいから早く帰りなさいっ! 中学生がこんな時間まで出歩いちゃダメ!」


 通りかかった天ぷら屋で案の定出入口の戸がいきなり開いて聞き覚えのある女性のキーキー声が轟く。続いてまたも見覚えのある少年が店から弾き出されて俺の前に現れた。俺はビクリと反応したが相手は興奮しとるんかこっちの存在には気づかんらしい。


「おいまだ話の途中やろが! だいたい美咲はいっつもそやって強引に話切ってズルいぞ!」


「梅吉がしつこいからでしょ!? 飲んでもないのに毎回同じ話ばっかり! そろそろ受験勉強しなくていいの!? 高校行けなくなるよ!?」


「またそやってはぐらかす!」


「はいはい美咲ちゃんも梅吉くんも、店の前でやめてぇね、営業妨害」


 仲裁するのは天ぷら屋のおかみさんや。


「なら店の中で話す!」

「バカ! 帰れって言ってんでしょ!?」


 この言い合いには俺も何度か出くわしたことがあった。要は居所を明かさんと去った響木先生の所在地を梅吉が美咲先生にしつこく訊ねよるんや。もちろん美咲先生が口を割ることはない。


 その時俺はおかみさんに存在を気づかれてしまった。ああ、無視してさっさと先に行けばよかったな。


「ありゃ、珍しい! 中村先生やないの!」


 発された高い声に言い合いはピタリとやんで三人の視線がこちらに刺さる。しゃあなしに「ども」と頭を下げた。


「天丼、まだあります?」



 店に足を踏み入れるのは二年以上ぶりやと思う。店内は昔と少しも変わった様子はなく懐かしさも少しはあった。


 先生、どうぞそこ座って。とおかみさんに促されてしぶしぶ席に着くと、おかみさんがにこにこしながらコップの水を持ってきた。


「なんか悩み事?」


「えっ……いや、そんなんやないです」


 ドキリとしたんは、なんでか。


「ふふ、そお? なんやその席でそんな顔しとられると、懐かしいいうか、ふふ、思い出すわ、あの人を」


 『あの人』なあ。


「響木先生は……お元気なんですか」


「その話なら私らよりも」


 おかみさんは答えながら店の出入口に目をやる。そこには梅吉をやっと帰したらしい美咲先生の姿があった。


「あちらの方が詳しいよって」


 おかみさんはそう言うと美咲先生に向かって手招きをし出すから俺は慌てた。「ちょ、いいですよべつに!」


 抗議も虚しく「ごゆっくり」と微笑まれてしまう。呼んでもらっても困る。べつに話したいことなんかないのに。


「ふう。やっと来たね、中村先生」


「え……」


「待ってたんです」


 大盛りの天丼を片手に俺の前に現れた美咲先生はそんなことを言ってこちらを見下ろした。


 なんとなく水の入ったコップを眺めた。美咲先生は無言で天丼を俺の前に置くと、躊躇なくその向かいに腰を下ろしてくる。


「ちょ、勤務中ですよね?」

「業務命令ですから」


 どんな店や。まったく。


「生徒たちから聞いてます。中村先生、いつまで遠慮してるんですか?」


「遠慮って……」


 意味がよくわからず、目の前の天丼から立ちのぼる湯気を見つめた。


「今のままでいいと思ってるの?」


 いきなりのタメ口に面食らってその顔を見ると、大きな瞳にとらえられて動けんくなった。


「時は流れているんです。いつまでも響木先生の影響が残るわけじゃない。新入生だって多く入って、部は変わっていってるんです。三年が引退して、放っておいても平気な時期はとっくに過ぎたんです」


 腹が減りよったはずやのに箸に手が伸びず、代わりにコップの水をひと口飲んだ。


「さく坊、悩んでましたよ」


「……え?」


 予想だにせんことやった。だって佐久間は……。


「佐久間もここに来るんですか」

「ほとんどみんなよ」


 春からこの天ぷら屋が吹奏楽部のカウンセリングルーム化しよるいうんは風の噂で聞いてはいた。だからこそ俺はここに近づきたくなかったんや。


「あの子、放っといちゃダメですよ」


「ええ? なんで」


「潰れます」

「潰れる? まさか」


 佐久間は部長としてよくやっとる、と俺には見えていた。悩みなんかなく充実した日々を送れとるんやないんか。


「ワタルくんも……あっ、ひいー、響木先生も言ってました、この前」


「響木先生は知っとるんですか、その、僕が顧問なった言うんは」


「はい。もちろん」


 彼が今どこで何をしとるんかはこの美咲先生だけが詳細を知る。うたり、電話なんかが通じるのもたぶんこの人だけなんやろう。


「さく坊を次期部長に推したのは響木先生なんです。それは他でもないさく坊のためだって言ってました」


 てっきり自発的な立候補やと思っていた。いや、でも考えてみたらたしかにあの佐久間の性格では自選なんかせんか。


「成長する時って、苦しいんです。さく坊もたぶん今、苦しんでます。助けてあげられるのは、私でも誰でもない。顧問の中村先生ですよ」


「あいつは僕のことなんか頼りにしてませんよ」


「いつまでそんなこと言ってんですか!?」


 バコン! と強くテーブルを叩かれてたじろいだ。冷め始めた天丼の海老ががぴょこんと跳ねる。


「いい? 顧問は、中村先生なんです! 響木先生のことばかりを引きずらないで。さく坊を支えられるのは、あなただけなんです! 逃げないで。目を逸らさないで。ちゃんと向き合ってあげてください!」


 大きな瞳が潤んでいるのに気がついて、慌てて目を逸らせた。


「いい顧問かどうかは経験や技量で決まるものじゃないです」


 去り際に美咲先生は俺にそう言った。『いい顧問』俺がそんなもんになれるとでも思っとるんか。


 店を出ると更けた夜は月がやたらと明るかった。


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