#10 言いがかりではない
翌朝、響く鐘の音の中いつも通り二年の教室のドアを開ける。するといきなり強烈な熱を感じて思わず後ずさった。
「ヒビノ、俺らはやるで」
「な、なに急に」
教室に入るなり、梅吉はじめナンプやいつも冷静な真知さんまでが鼻息荒く僕を出迎えた。
「さく坊がやられた。アマ中のやつに」
「……へ?」
『さく坊』というのは一年生の佐久間 朔五郎くんのこと。あえてなのか両親が余程のおっちょこちょいなのかこういう名付けも実在するんだな、という憶え方をしたので生徒自身は目立つタイプではないがその名前は早くから記憶していた。まあ僕も人のことをとやかく言えた名前じゃないが。
わらわらと僕の周囲に群がる生徒たちをなだめつつ隣の一年生の教室を覗く。こちらも騒がしい朝の時間だったが、その賑わいには混ざらずに隅の席に鎮座する坊ちゃん刈りの生徒を見つけた。ふむ、見た感じ深手を負っている様子はないが。
「昨日な、図書館で本横取りされたんやって!」
僕を押し流す形で一年生の教室になだれ込みながら興奮気味に話す梅吉を冷めた目で見下ろす。
「本……?」
「横からガッて。信じれんよな! ほんま。それがアマ中の生徒なんや。許せん、アマ中っ!」
言いがかりのような気もするが火に油は注ぎたくないので一応「災難だったね」とさく坊を労った。すると。
「僕はホルンという楽器がいいです」
「えっ……」
思わぬ申し出に驚いた。よく見ると大人しそうな見た目ながらのその瞳には怒りと決意の熱がかなりあった。
「さく坊の話聞いたらそういえば私もこの前バスで押し飛ばされたん思い出したんよ、アマ中の生徒に!」
鼻息荒く話すのはクールキャラのはずの真知さん。この手の女子は怒らせると怖いのがお約束だ。
「さいってーやな、アマ中……」
ナンプが呟くと空気は一気にメラメラと燃えだした。
理由はともかく燃えてくれているのはありがたい。これで生徒たちに全くやる気がないとなると絶望は増す一方だったから。
「どうかしましたか? 響木先生」
廊下から一年の担任の先生が小首を傾げてこちらを見ていた。「あ、なんでもないです」と慌てて答えて未だに熱を吹く二年生たちを連れて隣の教室へと戻った。
「そいやヒビノ、聞いたで。教頭とケンカしたらしいやん」
「えっ」
席に着いた梅吉がふいにそんなことを言い出すからまた慌てた。
「ケンカなんて。話し合いをね。少ししただけだよ」
「創部、できそう?」
そんな不安そうに見上げないでくれないか。
「……難しい。けどがんばるから」
「俺たちにできることは?」
「え?」
思わぬ言葉に驚いた。
プリンターから吐き出された紙には『新規クラブ設立申請書』の文字。
「日比野先生……」
「お願いします!」
西日を照り返すバーコード頭に向けて深々と頭を下げた。なんなら土下座してもいいと思っていた。
「こんなもん出されましても……」
「理由は前にお伝えした通りです」
「あかん、言うたはずですけども」
ああ。たしかにそうだった。だけどもうそう簡単に「そうですよね」と引き下がれる段階じゃない。手を替え品を替え、何度でも交渉するつもりだった。と、その時、職員室のドアが大きな音を立てて開かれた。老朽化した壁が反動でびりびり鳴る。
「「教頭先生、お願いしますっ!」」
そこには梅吉とナンプを先頭に二年生の16人全員、そしてさく坊の姿があった。
「な、なんやキミら……」
教頭はわかりやすくたじろいだ。
「ヒビノ、俺らにも協力さして!」
「あ、ああ」
放課後のホームルームでたしかに「できることは」と訊ねられたが一緒に頼み込んでほしいとはさすがに言えなかった。だけど崖っぷちの状況でこれはかなりありがたい。僕だけが暴走しているわけじゃないことを示す大きなチャンスだ。
「お願いします!」
改めて深々と頭を下げた。
教頭は目の前で現実に起こる青春ドラマのような光景に唖然としていた。
「う……んん、まあ、そこまで言うなら。けどあくまで目標は夏の大会ちことですね? ほんならそこで部活動は終わりにしてください。ほんで楽器は他校に借りる、経費はなるべくかけん、それが条件」
うおおおっしゃあああ!
生徒たちの歓喜の声が古い校舎に轟いた。