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#09 トンビではない


 ◇


 母親が家を出たのは必然だった、と芹奈は思っていた。


 好奇心旺盛な、派手好き。娘が中学生になっても少女の心を持ったままだった母が、こんななにもない田舎でおとなしく専業主婦なんかやれるはずがなかった。


 芹奈の中に『引き止める』という選択肢は初めからなく、それはまるで上京する姉を見送る妹のような心境だった。


「人生、たのしんで」


 すべてを理解したふうを装って言ってみると、相手は嬉しそうに頷くから。芹奈にはやはりこの人を母としたままにはできなかった。それは芹奈のほうが母よりいくらか、大人だったからかもしれない。



 空いた穴は、部活で埋めようとした。なにかに熱中していたら、ある程度のことは忘れられた。


 顧問は美しい女性の音楽教師だった。美咲先生、というその人は芹奈に割り当てられた楽器と同じ、フルート奏者だった。


 担当楽器が同じということで、自然と指導を受ける時間はほかの部員より多くなった。「スジがいい」という美咲先生のことばの通り、芹奈には素質があった。


 やがてほかの部員たちからも『師弟』とみられるようになってきた頃、美咲先生から、ではなく、父親から話をされた。


「美咲先生と結婚しようと思うんや」


 まるで知らなかった、わけじゃない。うすうす感じてはいた。さすがにいつどこで出会ったかまでは知らないし聞かなかったが、なんとなく、そんな気がしていた。


「いいよ」


 あっさり答えてみせると父親はバカみたいに安堵した顔になった。


 美咲先生となら、うまくやれる。母親の代わりは無理でも、穴を埋めるセラミックにはなってもらえる。


 芹奈も芹奈なりに覚悟を決めた、というのに。


 大人は本当に自分勝手で嫌になる。



 ◇



「部を創る!?」

「はい」


「え、部を創る!?」

「ええ……そうです」


「部を……創る?」

「……はい」


 職員室にてことの経緯とその詳細を説明したところ教頭がおかしくなった。この後更に二度三度同じやり取りをして、ようやく「ご冗談でしょう?」と無限ループを脱した。


「日比野先生ぇ……、吹奏楽部への情熱は結構ですけどもねぇ。あんまりにも強引ちうか。それはあかんですよ」


 合併の話があるというのに言い出す話題ではないことくらい承知している。反対される覚悟はできていた。


「生徒の気持ちのことなら僕がひとりずつとちゃんと話をします。強引に勧誘するのではなく、しっかり納得して参加してもらうつもりです」


「そうは言うても……楽器もないし、廃校になるちいうのに新たに購入したり言うんは絶対に無理ですよ?」


「わかってます。そこは他校の力を借りたいと考えています」


「貸してもらうち、ことですか?」


 教頭は更に苦い顔をした。


「天原中学に吹奏楽部はないそうですが、隣の天原第一高校にはあると聞いています。他にも市内の中学と高校を当たってみるつもりです」


「本気ですか、日比野先生……」

「本気ですよ」


 ぎり、と睨み合った。ちなみに僕は日比野ではなく響木だ。初日はともかくここまで一貫されるとわざとだろ、と思わざるを得ないが。


「いやあ正直、それにメリットはあるんでしょうか。名前を残す……。たしかにそうできればええとは私も思いますぅ。けど、あまりに無謀ち言うか、ねえ? 学校としては簡単に賛成はできません。日比野先生、そんな熱ぅならんと、ちょっと頭を冷やしてください。今のうちの現状、考えてください」


 べつに打ちのめされてはいなかった。こうなることは想定内だ。今回の目的は初めから教頭の賛成を得ることじゃない。『する』と宣言したかっただけだ。



 春の風に当たりながら少し日の傾く中ひとり帰路に就いていた。


 それにしても、静かな土地だ。


 ──ピーーン、ヨロロロロ……


 トンビ……。


 見上げるとみかん色に染まる空にちゃんと大翼が舞っていた。


 平和というか、もはや時代に取り残されているような危うさすら感じる。昔ばなしの世界か? だとすればあの教頭はやはりタヌキの化身か。


 ──ピーーン……


 ──C……


 ……?


 トンビ……じゃない。これは。


 辺りを見回す。その瞬間、あまりに美しい旋律が耳に届いて固まった。


 ……フルートの音だ。


 慌てて探すけどその姿はどこにも見えない。一体どこで演奏しているんだ。


 フルート、ということはまさか美咲先生だろうか。いや。もしかしたら美咲先生からフルートを教わっていたという芹奈さん、という可能性も大いにある。美咲先生は通常ならこの時間は天ぷら屋で勤務中のはずだから。


 考えているうちに演奏はやんでしまい、僕は西日の射すあぜ道の真ん中で手がかりを失った。



 肩を落として天ぷら屋に帰宅すると、やはり美咲先生がいつもの店員姿でそこにいた。


 つまりあの音色は芹奈さんのものだった、ということだ。


 中学生にしてはその辺の大人よりも遥かに上手い演奏だった。聴いたのはほんの数秒だけだったが。


 貴重な経験者。複雑な理由があるのは承知の上だが、なんとか入部してもらいたい。そう思った。




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