第16章 母の肉じゃがと、近すぎて見えなかった町
日曜日の昼、紡は母から持たされた肉じゃがを温めた。
保存容器のふたを開けると、少し甘いしょうゆの匂いがした。
じゃがいも。
にんじん。
玉ねぎ。
しらたき。
薄切りの牛肉。
見慣れた具材ばかりだった。
特別な料理ではない。
雑誌に載るような華やかさもないし、旅先で出会う郷土料理のような珍しさもない。
けれど、その匂いがふわりと広がった瞬間、紡の体は自然に安心した。
小学生の頃、学校から帰ってきた夕方。
高校生の頃、部活で遅くなった夜。
大学生になって実家を出る前の、なんでもない食卓。
いくつもの時間が、湯気の中から少しずつ立ち上がってくる。
紡は鍋に肉じゃがを移し、弱火にかけた。
温まっていくにつれて、匂いが濃くなる。
その匂いを吸い込みながら、昨日の母の言葉を思い出した。
ちゃんと教わったわけじゃないけど、見てるうちに覚えたのかな。
母は、何気なくそう言った。
けれど紡には、その言葉がずっと残っていた。
見ているうちに覚えた味。
それは、レシピよりももっと静かな受け継がれ方だと思った。
誰かが細かく書き残したわけではない。
分量を測ったわけでもない。
何グラム、何分、何度、という数字ではなく、台所に立つ背中や、鍋を覗き込む手つきや、火を止めるタイミングを見ながら、いつの間にか体に入っていく。
母はそれを特別なことだとは思っていない。
たぶん祖母も、そうだったのだろう。
でも、そういう「特別ではない」と思われているものほど、気づかないうちに失われてしまうのかもしれない。
紡は鍋の中をそっと混ぜた。
じゃがいもの角が少し崩れて、煮汁にとろみが出ている。
子どもの頃、この崩れかけたじゃがいもが好きだった。
母は「煮崩れちゃった」と言っていたけれど、紡にとってはそこがおいしかった。
ほくほくしたじゃがいもに、甘い煮汁がよく染みている。
紡は小皿に少し取り、箸でじゃがいもを割った。
湯気が上がる。
口に入れると、やわらかく崩れた。
「ああ」
思わず、声が出た。
おいしい。
懐かしい。
でも、それだけではなかった。
少しだけ切なかった。
この味を、紡は何度食べてきただろう。
数えきれないくらい食べてきたはずなのに、昨日まで深く考えたことがなかった。
母がいつから作っているのか。
祖母はどんなふうに作っていたのか。
味つけはどうやって決まったのか。
母はこの料理を作るとき、何を思っていたのか。
何も聞いてこなかった。
近すぎるものほど、いつでもそこにあると思ってしまう。
実家の味も、母の手も、自分が育った町の道も。
紡は小皿をテーブルに置き、深い青色のノートを開いた。
昨日のページには、母に小田原の話をしたことが書いてある。
その次のページに、今日の日付を書いた。
そして、最初にこう書いた。
「母の肉じゃがは、近すぎて見えていなかった土地の記憶かもしれない」
書いてから、少し大げさだろうかと思った。
でも、消さなかった。
土地の記憶。
その言葉は、セリのプロフィールにもあった。
ずっと、遠くの町にあるものだと思っていた。
小田原の市場。
港町。
山間の集落。
古い街道。
自分の知らない土地に残っているもの。
けれど、母の肉じゃがを食べながら、紡は思った。
自分が育った家にも、土地の記憶はあるのではないか。
母の肉じゃがには、祖母の台所が少し入っている。
祖母の台所には、その前の時代の暮らしが少し入っているかもしれない。
使うしょうゆ。
買い物をしていた商店街。
その地域のスーパーに並ぶ肉や野菜。
家族の好み。
夕方の忙しさ。
給料日前の工夫。
子どもに食べさせたい気持ち。
そういうものが、少しずつ味を作っている。
それは、観光案内に載るような文化ではない。
けれど、確かに暮らしの文化なのだと思った。
紡はペンを動かした。
「遠くの町へ行かなければ、書くものはないと思っていた。でも、近くにも聞いていない言葉がある。母の料理にも、私が知らない時間がある」
書き終えたあと、紡はしばらくその文字を見ていた。
知らない時間。
母の中にある、紡が知らない時間。
若い頃に友人と京都や金沢へ行った母。
もっといろいろ行きたいと思っていた母。
結婚し、紡を産み、仕事と家のことに追われるうちに、少しずつ旅から遠ざかった母。
その母が作る肉じゃが。
味は、ただの味ではなかった。
母が選んできた時間の中で続いてきたものだった。
紡は、もう一口食べた。
今度は、少しゆっくり噛んだ。
食べ慣れた味なのに、初めて聞く話のように感じた。
昼食を終えたあと、紡は部屋の掃除を始めた。
昨日、実家から帰ってきてそのままにしていたバッグを片付け、洗濯物をたたみ、テーブルの上の紙類をまとめる。
小田原の旅のレシートが数枚出てきた。
宿泊費。
かまぼこ。
みかん。
ドラッグストアで買った青い歯ブラシケース。
市場で買った揚げ物は、小さな店だったからレシートはない。
それが少し残念だった。
でも、レシートがないからこそ、言葉で残しておきたいと思った。
紡はレシートをノートに挟んだ。
旅の証拠。
そう呼ぶにはあまりにも小さな紙片。
でも、そこには確かに自分がその場所でお金を払い、何かを受け取った時間が残っている。
掃除を終えた頃、スマートフォンが光った。
「足音を聴く」の通知だった。
昨日の投稿に、セリからコメントが届いていた。
『遠くから持ち帰った味が、近くの人との会話を開くことがありますね。旅は外へ向かうものでもあり、帰ってきた場所を見直すものでもあるのだと思います』
紡はその文章を、何度も読んだ。
帰ってきた場所を見直すもの。
今まさに、紡が感じていたことだった。
小田原へ行ったから、実家の台所が違って見えた。
市場の女性の手を見たから、母の手に目が止まった。
かまぼこを持って帰ったから、母の若い頃の旅行の話を聞けた。
遠くへ行ったことで、近くにあったものが立ち上がってくる。
それは、紡にとって大きな発見だった。
紡は返信欄を開いた。
『本当にそう思いました。小田原で受け取った言葉が、母との会話や、実家の味を見直すきっかけになりました。遠くへ行くことと、近くを見直すことは、つながっているのかもしれません』
送信する。
その文章を見て、少しだけ心が整った。
遠くへ行くことと、近くを見直すこと。
その二つは、別々ではない。
紡がこれから書きたいものは、遠くの土地の美しさだけではないのかもしれない。
旅先で受け取ったものが、自分の日常にどう戻ってくるのか。
知らない町で聞いた言葉が、身近な人の記憶をどう開くのか。
そういう流れごと、書きたい。
紡はパソコンを開いた。
昨日作った「旅の記録」というフォルダがある。
その中には、「市場の朝、名前を聞きそびれた味」という文書ファイルが保存されている。
紡は新しいファイルを作った。
タイトルは、すぐには浮かばなかった。
空白のページを見つめる。
母の肉じゃが。
実家の台所。
見ているうちに覚えた味。
小田原のかまぼこ。
味が会話を連れて帰ってくること。
いくつもの言葉が頭の中に浮かんで、うまくまとまらない。
紡は、まず一文だけ打った。
「母の肉じゃがは、旅先で食べたどの料理よりも近くにありすぎて、私はその味の奥を見たことがなかった。」
画面に文字が表示される。
少し硬いかもしれない。
でも、今はそれでいい。
続けて打つ。
「小田原の市場で、味は誰かが『おいしい』と言って、また食べたいと思うことで続いていくのだと聞いた。その言葉を持ち帰ってから、実家の台所にある味も、同じように続いてきたものなのだと気づいた。」
書きながら、紡は少し緊張していた。
母のことを書くのは、小田原の市場のことを書くより難しかった。
遠くの人について書く方が、少し安全だ。
相手との距離があるから。
でも母は近い。
近すぎて、書くとすぐに自分の中の感情が揺れる。
感謝。
申し訳なさ。
反発。
安心。
心配されることへの窮屈さ。
その全部が、母という一人の人に結びついている。
だから、言葉にするのが難しい。
紡は指を止めた。
母をきれいに描きすぎたくはなかった。
優しい母。
娘を思う母。
それだけにしてしまうと、本当ではない。
母の言葉に息苦しくなった日もある。
「安定してるんだから」と言われて、自分の夢が閉じ込められるように感じた日もある。
結婚の話をされるたび、少しだけ心が硬くなる。
母の心配が、時々重い。
それも本当だ。
でも同時に、昨日の母は「話せるところからでいい」と言ってくれた。
小田原の写真を見て、「紡が何か見つけた感じがする」と言ってくれた。
若い頃、もっといろいろ行きたかったと話してくれた。
その母も本当だ。
人は一つの言葉では書けない。
それは、旅先で出会った人も、母も、自分も同じなのだと思った。
紡は深く息を吸い、続けて書いた。
「母の優しさは、時々私を守り、時々私を縛る。けれどそれは、母が悪いということではない。私がまだ、自分の人生をどう選ぶのか、母にわかる言葉で渡せていないだけなのかもしれない。」
書いたあと、胸が少し痛んだ。
でも、消さなかった。
これは、今の紡にとって大切な一文だった。
昼過ぎ、母からメッセージが届いた。
『昨日の肉じゃが、持って帰った分ちゃんと食べた?』
紡は少し笑った。
『食べた。おいしかった』
すぐに返事が来る。
『よかった。今度作り方教えるね』
その文字を見たとき、紡の胸が温かくなった。
今度。
母の肉じゃがを教わる日。
それは、ただ料理を習う時間ではない。
母の記憶を聞く時間になるかもしれない。
祖母の台所の話。
若い頃の母の話。
紡が子どもだった頃の食卓の話。
知らない町へ行く旅とは違うけれど、それも紡にとっては大事な取材のように感じられた。
取材。
その言葉が浮かんだ瞬間、紡は少しだけ背筋を伸ばした。
自分は本当に、そういうことをしたいのだ。
誰かに話を聞き、味の奥にある時間を受け取り、それを言葉にする。
遠くの土地でも、実家の台所でも。
紡は母に返信した。
『ありがとう。ちゃんと聞きたい』
送信してから、その「ちゃんと」に自分で少し驚いた。
料理の手順を聞くだけなら、ちゃんと、という言葉は少し重い。
でも、紡の中では自然だった。
ちゃんと聞きたい。
味だけではなく、その奥にあるものを。
夕方、紡は外へ出た。
特に用事はなかった。
でも、近所を少し歩きたくなった。
小田原から帰ってきて、実家へ行って、母の肉じゃがを食べて。
そのあと、自分の暮らしている町がどんなふうに見えるのか知りたかった。
スマートフォンと財布だけを持って、部屋を出る。
夕方の空は、薄い水色から少しずつ灰色へ変わっていた。
駅前の通りには、人が多かった。
買い物帰りの人。
犬を散歩させている人。
ベビーカーを押す人。
塾へ向かうらしい子ども。
コンビニの前で立ち話をしている若者。
いつもなら、ただ通り過ぎるだけの景色。
でも今日は、少しゆっくり歩いた。
小さな八百屋の前で足を止める。
店先には、白菜や大根、みかんが並んでいた。
手書きの値札。
小田原の商店街や、実家近くの八百屋で見たものと似ている。
ここにも、誰かが毎日書いている文字がある。
紡は、みかんの前で少し迷った。
もう部屋には小田原で買ったみかんが少し残っている。
でも、近所のみかんも買いたくなった。
店の奥にいた男性が顔を上げた。
「いらっしゃい」
「あの、みかん一袋ください」
「はいよ」
男性は袋を手に取り、値段を告げた。
紡は財布を出しながら聞いてみた。
「これ、どこのみかんですか?」
男性は少し驚いたようにしてから、袋の表示を見た。
「静岡だね。今日はこっちの方が甘いよ」
今日はこっちの方が甘い。
その言葉に、紡は小さく笑った。
どこへ行っても、食べものには「今日」がある。
小田原の市場だけではない。
近所の八百屋にも、今日のおすすめがある。
「ありがとうございます」
みかんを受け取る。
袋の重みが、手のひらに心地よかった。
紡は店を離れてから、スマートフォンのメモを開いた。
「近所の八百屋。静岡のみかん。『今日はこっちの方が甘いよ』」
書き留める。
ほんの短いやり取り。
でも、これも言葉だ。
誰かの日常の中で交わされる、ささやかな言葉。
小田原へ行かなければ、紡はきっとこの言葉に立ち止まらなかった。
近所の八百屋でみかんを買い、すぐに帰っていただけだった。
紡はさらに歩いた。
駅の反対側へ出ると、小さな商店街がある。
チェーン店が増え、古い店は少しずつ減っている。
それでも、昔ながらの惣菜屋や、和菓子店、クリーニング店が並んでいる。
紡は、ふと足を止めた。
和菓子店。
豆大福を買った店とは違う。
でも、店先の雰囲気が少し似ていた。
ガラスケースの中に、どら焼きや草餅、季節の上生菓子が並んでいる。
紡は店に入った。
「いらっしゃいませ」
店番をしていたのは、中年の女性だった。
紡は少し迷って、どら焼きを二つ買った。
自分用に一つ。
明日、会社でおやつに食べるために一つ。
会計をしながら、女性が言った。
「今日は少し寒いですね」
「そうですね。夕方になって冷えてきましたね」
ただの天気の会話。
でも、紡はそのやり取りが少し嬉しかった。
店の外へ出ると、紙袋からほんのり甘い匂いがした。
豆大福の初投稿を思い出す。
あのとき、近所の和菓子店で五十年続く味に出会った。
そこから、紡の発信は本当に小さく始まった。
あのときは、投稿ボタンを押すだけで手が震えた。
今も怖さは消えていない。
でも、あの頃より少しだけ、見えるものが増えた気がする。
紡は商店街の端にある小さなベンチに座った。
買ったみかんとどら焼きの袋を膝の上に置く。
小田原へ行かなくても、今日も言葉はあった。
母の肉じゃが。
近所の八百屋のみかん。
和菓子店の「今日は少し寒いですね」。
どれも小さい。
でも、その小ささをすくい上げることが、紡のしたいことなのかもしれない。
遠くへ行ったときだけ発信するのではなく、日常の中でも耳を澄ませる。
その積み重ねが、旅へ出る自分を育てていく。
紡はスマートフォンを開き、「足音を聴く」の投稿画面を開いた。
写真は、膝の上のみかんとどら焼きの紙袋にした。
夕方の商店街の光が、袋の端に少しだけ当たっている。
文章を考える。
「遠くの町へ行くと、近くの町の見え方が少し変わる。小田原の市場で聞いた『今朝』という言葉が、今日は近所の八百屋の『今日はこっちの方が甘いよ』という言葉に重なった。母の肉じゃがも、商店街のどら焼きも、特別な名物ではないかもしれない。でも、そこには今日の人の手と、暮らしの温度がある。旅の目は、帰ってきたあとも閉じなくていいのだと思った」
読み返す。
少し長い。
でも、今の気持ちに近い。
紡は投稿した。
画面に表示された写真を見て、胸の奥が静かに温かくなった。
小田原の投稿とは違う。
これは、近所の投稿だ。
でも、小田原の旅がなければ書けなかった投稿だった。
帰り道、紡は夕暮れの空を見上げた。
雲の隙間に、少しだけ薄い金色が残っている。
小田原の海の光とは違う。
会社帰りのビルの隙間の夕焼けとも違う。
チャペルの空とも違う。
でも、今日の空も、紡の中に静かに入ってきた。
どこにいても、立ち止まれる。
そのことを、紡は少しずつ信じ始めていた。
部屋に戻ると、母の肉じゃがの残りを冷蔵庫から出した。
夕飯にも少し食べることにした。
ごはんを炊き、味噌汁を作り、肉じゃがを温める。
そこに、近所で買ったみかんとどら焼きがある。
小田原のかまぼこはもう母に渡した。
でも、代わりに母の肉じゃががここにある。
味が行ったり来たりしている。
人の言葉も、記憶も。
夕飯を食べながら、紡はパソコンで昼間書いた文章の続きを開いた。
母の肉じゃがについて書いた文章。
少し続きを加える。
「私は遠くへ行けば、自分が探しているものに出会えると思っていた。けれど、遠くで受け取った言葉は、帰ってきた部屋や実家の台所や近所の商店街にまで光を当てた。旅は、知らないものを見つけるだけではなく、知っているつもりだったものをもう一度見直すことでもあるのだと思う。」
打ち終えて、紡はしばらく画面を見つめた。
これが、今の自分の発信の方向かもしれない。
遠くの土地。
近くの暮らし。
人の言葉。
味の記憶。
それらを行ったり来たりしながら、書くこと。
日本中を旅するという夢は、今も遠くにある。
けれど、今この部屋でできることもある。
母の肉じゃがを書くこと。
近所の八百屋の言葉を書くこと。
小田原の市場の朝を、もう一度言葉にすること。
それらは、夢の代わりではない。
夢へ向かうための、確かな準備だ。
夜、投稿にコメントが届いた。
『近所の商店街、いつも通り過ぎるだけでした。明日少し歩いてみようと思います』
紡はそのコメントを読んで、胸がじんわり温かくなった。
また、誰かの日常に小さな変化が生まれた。
遠くへ行くことを勧めたわけではない。
特別な場所を紹介したわけでもない。
ただ、自分が少し立ち止まったことを書いただけ。
それでも、誰かが「明日少し歩いてみよう」と思ってくれた。
紡は返信した。
『いつもの道にも、今日だけの言葉や光があるのかもしれません。私も少しずつ見つけていきたいです』
送信する。
その文章を書きながら、紡は自分自身にも言っている気がした。
少しずつ見つけていきたい。
遠くも。
近くも。
母の中にある時間も。
自分の中にある本音も。
寝る前、紡は青いノートを開いた。
今日のページには、母の肉じゃが、近所のみかん、どら焼き、商店街の夕方のことが書かれている。
小田原へ行った日と比べれば、何も特別なことはしていない。
電車に乗って遠くへ行ったわけでもない。
ホテルに泊まったわけでもない。
市場の朝を歩いたわけでもない。
でも、今日も確かに何かを受け取った。
紡は最後にこう書いた。
「私が書きたいのは、遠くの町だけではない。遠くへ行ったことで見えるようになった、近くの暮らしも書きたい」
その一文を見て、静かに息を吐いた。
少しずつ、輪郭が見えてきている。
自分が何を発信したいのか。
どんな言葉で、誰に届けたいのか。
まだ完璧にはわからない。
でも、以前よりも確かに近づいている。
紡はノートを閉じた。
明日からまた平日が始まる。
会社の面談の続きもある。
来期の役割のことも考えなければならない。
現実は、何も消えていない。
でも、その現実の中にも書けるものがある。
そう思えるだけで、少しだけ呼吸がしやすかった。
灯りを消す。
部屋はすぐに暗くなった。
けれど、今日見つけたものは、暗闇の中でも消えなかった。
母の肉じゃがの湯気。
近所の八百屋の手書きの値札。
どら焼きの紙袋に残った甘い匂い。
夕方の商店街に落ちていた、薄い金色の光。
遠くへ行かなくても、見ようとすれば、町はちゃんと何かを差し出してくれる。
紡は布団の中で、明日も同じ道を少しだけゆっくり歩いてみようと思った。
いつもの駅までの道。
会社へ向かうだけだった道。
その途中にも、きっとまだ見つけていない言葉がある。
そう思うと、月曜日の朝がほんの少しだけ怖くなくなった。




