おまけ1_わたしの市場価値を勝手に暴騰させないでください
レガレイア公爵邸の、重厚な応接室。
いつもなら国家級の予算編成が決まる厳粛な空間に、本日、ありえないレベルの不穏な空気が満ち満ちていた。
その中心にいるのは、現当主である私のお兄様。
そして、その対面にソファに背を預け、傲慢に不敵な笑みを浮かべている同盟の王弟、レイド。
(やれやれ。朝から公式に事前の約束もなしに、何がはじまったかと思えば)
私は二人から少し離れた特等席、もといソファに腰掛け、冷めないうちに朝茶をすっとすすった。
先に、お兄様がいつのも冷徹な、完全なる事務処理の声で書類をパチンと叩く。
「――お断りします、レイド殿下。我が家の最高財務、および安全保障責任者であるエリノアを同盟国とはいえ他国へ無償で引き渡す実利的メリットが、当家に1ミリも存在しません」
完璧な、引き抜きへのブロック。
お兄様は為政者として、私の『実務スペック』をだれよりも冷酷に評価していた。王太子への断罪手続きを最速で終わらせた有能な人材を、ただの「婚姻」というプライベートな理由で、手放す気など毛頭ないらしい。
しかし、対するレイドは、その鉄壁の論理システムを鼻で笑い飛ばした。
「無償なわけねえだろ。条件なら、閣下がその四角四面な頭ではじき出した『損失予測』の三倍は用意してある」
「ほう。言葉だけならいくらでも高騰させられますが?」
「ハッ、なら今すぐ公式な契約書に署名する。エリスの身請け違約金、もとい結納金だろ?――この国の国家予算、まるごと三年分。全額即金で公爵家の予算口座にいれられる。これで文句ねえな?」
「レイド!?」
私は思わず暴君の名前を叫んでいた。
国家予算、三年分。
一瞬、お兄様の眼鏡の奥の瞳が、計算の限界を超えてピクリと揺れた。
いくら何でも私の市場価値が暴騰しすぎている。ただの公爵令嬢の婚姻契約に、国家の基盤が変えるほどの天文学的な数字が飛び出していた。
二大権力による、私の実務能力を目えぐる、きわめて非効率的なマウンティング合戦。
私は、朝茶のカップを静かにソーサーへと戻し、完璧な人形をやめた。生身の苦笑を二人に向けた。
「……あの、お二方。そこまで行くと、もはや私を人間ではなく、ただの戦略物資か何かとして計算していらっしゃいませんこと?レイド殿下、お兄様。市場価値を本人の許可なく勝手に国家規模まで跳ね上げないでくださる?」
「エリス、お前は黙ってろ。これは男の、プライドの決済手続きだ」
「エリノア、口を挟まないでおくれ。これだけの予算があれば、我が公爵家の防衛システムをあと五世代はアップデートできる。だが、お前を失った場合のロスも計上しなければならない」
(完全に聞く耳を持ちませんわね。馬鹿レイドに、実務の鬼のお兄様)
私は深くため息をつき、諦めて新しい茶菓子に手を伸ばした。
男たちの見せびらかしたい腹の内の発表会、泳がせているのが吉だ。
(それに……)
暴君に振り回されるのが心から嫌なわけではないと、私の胸のうちがいってしまっていることに気づいた。
「まあ、ほぼ、商談成立だろう?お嬢さん、契約は済んだ。今すぐ荷物まとめて、俺の国に行くぞ」
「お待ちください、決済の確認が取れていません。ですから、エリノアがいない場合の損失の計上も……」
朝の応接室に、男たちの不器用で、理不尽で、あまりにも過剰な独占欲が、これでもかと満ちていく。
私はそれらを安全な客席からやれやれと眺めていた。
(家を出るなら、何を持っていこうかしら)
そんなことを考えながら。
ここまで読んでいただきありがとうございます。次回の更新は町でデートの予定です。




