第96話 灼熱廃都イグニシア
# 第96話 灼熱廃都イグニシア
灼熱廃都イグニシア。
その外縁を越えた瞬間、空気が変わった。
熱い。
それだけではない。
街全体に、何かが焼け落ちた後の重さが残っている。
石畳は黒く焦げ、ところどころ赤黒い亀裂が走っていた。
家屋の壁は崩れ、窓枠は溶け、街路に並んでいたであろう魔法灯は根元から折れている。
かつて人が歩いていたはずの通りには、灰だけが積もっていた。
Rainが小さく息を呑む。
「ここ、本当に都だったんだよね……?」
「ああ」
Arcは街の奥を見据えたまま答えた。
「シルヴァリアで聞いた話では、ここも安全階層の都市だった」
「火の都イグニシア」
「鍛冶と火属性魔法の研究が盛んだったらしい」
Dwalfが焼け落ちた建物の壁を見た。
「鍛冶の街か」
「確かに、石材の使い方が違う」
「熱に強い造りをしている」
Novaも周囲を見ながら頷く。
「街全体に火属性の魔力を扱う前提がある」
「ただ、今は流れが壊れてる」
「魔力が循環してない」
Lunaは端末を構えたまま、無言で記録を続けていた。
表情はいつも通り淡々としている。
だが、その目は細かく街の痕跡を追っていた。
Arcは全員へ視線を向ける。
「まず中央の建物を確認する」
「中央?」
Siaが前方を見た。
焼けた街の奥。
そこに、周囲の建物より明らかに大きな館があった。
半分以上が崩れている。
それでも、太い柱と高い壁だけは残っていた。
黒く焼けた屋根。
砕けた階段。
正面玄関だった場所には、今も大きな扉の残骸が残っている。
「あれ、普通の家じゃないね」
Rainが呟く。
「館……というより、屋敷か?」
Garmが盾を構えながら言う。
Arcは頷いた。
「おそらく、イグニシアを治めていた貴族か領主の館だ」
「都市の中心にある」
「規模も周囲と違う」
「記録や管理設備が残っているなら、あそこだ」
Crowが周囲を見回す。
「罠は?」
「分からない」
Arcは短く答えた。
「だから慎重に行く」
「Garm、先頭」
「Crow、後方」
「Sia、上を見る」
「RainとCainは左右」
「Nova、魔力反応」
「Luna、記録」
「MistとDwalfは中央だ」
全員が頷く。
「了解」
Aegisは焼けた通りを進んだ。
足元の灰が、靴の下で小さく崩れる。
時折、風もないのに細かな灰が舞った。
生き物の気配は薄い。
だが、安全ではない。
ここはもう、かつての安全階層ではない。
灼熱廃都だ。
館の正面へ到着すると、Garmが盾を前に出した。
「入口は崩れている」
「右側から入れそうだ」
Siaが上を確認する。
「二階部分、崩落しかけてる」
「大きな音を立てると危ないかも」
「なら静かに行く」
Arcが言う。
Cainが戦斧を下ろしかけて、少し不満そうな顔をした。
「壊して入るのは?」
「却下」
「だよな」
Rainが小さく笑う。
「Cainに壊すなって言うの、最近定期イベントみたいになってるね」
「俺を何だと思ってんだ」
「破壊担当」
「否定しきれねぇのが腹立つ」
少しだけ空気が緩む。
だが、館の中へ入った瞬間、その空気はすぐに戻った。
内部は暗かった。
壁も床も黒く焼けている。
大広間だった場所には、倒れた柱が斜めに突き刺さっていた。
天井の一部は抜け、そこから赤い光が差し込んでいる。
奥には、長い机の残骸があった。
会議室。
あるいは、都市の管理者たちが集まっていた場所。
そんな印象を受ける空間だった。
Lunaが壁際へ近づく。
「紋章がある」
全員がそちらを見る。
黒く焼けた壁に、半分だけ残った紋章が刻まれていた。
炎を象ったような模様。
その中心に、塔のような図形。
シルヴァリアで見た風の紋章とは違う。
だが、都市を象徴するものだと分かるだけの威厳があった。
「イグニシアの紋章か」
Novaが呟く。
「たぶん」
Lunaは端末で記録する。
「ただ、下の文字は焼けて読めない」
Dwalfが床に落ちていた金属片を拾い上げた。
「これは装飾じゃないな」
「何かの固定具だ」
「壁に設備があったのかもしれん」
Arcは周囲を見渡した。
シルヴァリアで聞いた火の都イグニシアは、こんな場所ではなかった。
鍛冶場の火が絶えず、火属性魔法の研究者が集まり、都市同士の交流もあった。
レオニスは、確かにそう話していた。
だが、目の前にあるのは、その全てが失われた後の姿だ。
「記録室を探す」
Arcが言った。
「都市を治めていた館なら、何か残っている可能性がある」
「紙は燃えてるんじゃない?」
Rainが尋ねる。
「紙はな」
Lunaが答える。
「でも、魔力記録石や刻印板なら残っているかもしれない」
「あとは、壁面記録」
「古い施設ほど、重要な情報を石に刻むことがある」
Mistが周囲を見て、小さく呟く。
「なんか……」
「ダンジョンっていうより、遺跡みたい」
「実際、遺跡だ」
Crowが言う。
「百年前に滅んだ街ならな」
その言葉に、誰も反論しなかった。
Aegisは館の奥へ進んだ。
崩れた廊下。
焼け焦げた部屋。
半分埋もれた階段。
壁には避難経路のような矢印が残っていた。
ただし、その先は崩れて塞がっている。
「避難誘導か」
Garmが言う。
「モンスターパレードの時に使われたのかもしれない」
Novaが壁の矢印を見る。
「でも、この矢印」
「外じゃなくて、館の奥に向かってる」
「地下避難区画か?」
Dwalfが眉をひそめる。
「ありえる」
「火山地帯の都市なら、外へ逃げるより地下へ避難する構造もある」
Lunaが記録を続ける。
「でも、地下への入口は見当たらない」
Arcは少し考えた。
「無理に探さなくていい」
「今日は館の状態確認までだ」
「奥へ進みすぎるな」
Rainが頷く。
「了解」
その時だった。
Siaがふと、館の割れた窓から外を見た。
「……待って」
全員が止まる。
Arcがすぐに振り向いた。
「どうした?」
Siaは館の奥ではなく、街の後方を見ていた。
イグニシアの街は、背後を大きな崖に囲まれている。
黒く焼けた岩壁。
高く、厚く、都市の背中を守るようにそびえていた。
「あの崖」
Siaが目を細める。
「一部だけ、変」
「魔力反応か?」
Novaが問う。
Siaは首を横に振った。
「違う」
「見た目」
「岩肌の線が、一箇所だけ揃いすぎてる」
「自然に割れた崖なら、あんな直線にはならない」
Arcは窓の外を見る。
確かに、崖の一部だけ不自然だった。
黒く焼けた岩肌の中に、わずかに縦の線が走っている。
遠目では亀裂に見える。
だが、Siaが言う通り、あまりに整いすぎていた。
「隠し扉か?」
Cainが戦斧を担ぐ。
Crowがすぐに口を開いた。
「壊す前提で話すな」
「でも壊すだろ」
「たぶんな」
Arcは短く指示を出す。
「確認する」
「全員、館を出る」
「Garm、前」
「Sia、崖の位置を案内」
「Luna、記録」
「Nova、周囲の魔力反応を見ろ」
「Cain」
Cainが笑った。
「はいよ」
「合図するまで叩くな」
「分かってるって」
「本当か?」
Rainが横目で見る。
「信用ねぇな」
「日頃の行い」
Aegisは館を出て、街の後方へ向かった。
崖に近づくほど、足元の灰が厚くなる。
焼けた建材が積み重なり、ところどころ道が塞がっていた。
Garmが盾で瓦礫を押しのける。
Cainが邪魔な岩を片手でどかす。
Dwalfは崖の岩肌を見た瞬間、低く唸った。
「これは自然の岩じゃない」
「表面を焼いて隠している」
Lunaが端末を向ける。
「記録する」
「線の内側だけ、熱の残り方が違う」
Novaも頷いた。
「中に空間があるかもしれない」
Arcは周囲を確認した。
敵影はない。
崩落の危険はある。
だが、調べる価値はあった。
「Cain」
「待ってました」
Cainが戦斧を構える。
「一点だけだ」
Arcが言う。
「広く壊すな」
「表面を剥がすだけでいい」
「了解」
Cainが大きく息を吸った。
足元の灰が揺れる。
赤黒い闘気が、わずかに刃へ集まる。
だが、全力ではない。
一点を割るための、抑えた一撃。
「《重閃》」
鈍い音が響いた。
岩肌が砕ける。
だが、崖全体は崩れなかった。
表面の焼けた岩だけが剥がれ落ち、その奥に黒い空洞が現れる。
Rainが息を呑んだ。
「本当にあった……」
Siaが弓を構えたまま奥を見る。
「中、広い」
「敵影は?」
「今のところない」
Novaが杖を向ける。
「魔力反応はある」
「でも、魔物じゃない」
「もっと広がってる感じ」
Arcは空洞の入口を見つめた。
シルヴァリアで聞いたイグニシアの記録にも、こんな隠し空間の話はなかった。
少なくとも、Arcが知る限り、これは表に出ていた施設ではない。
「入る」
Garmがすぐに前へ出る。
「俺が先だ」
「ああ」
Arcは頷いた。
「全員、警戒」
「ここから先は未知だ」
Aegisは空洞へ入った。
中は、思ったより広かった。
自然洞窟ではない。
壁面が削られ、床が平らに整えられている。
明らかに人の手が入っていた。
奥へ進むほど、熱気が弱まっていく。
外の灼熱とは違う、静かな冷たさがあった。
そして。
空間の最奥に出た瞬間、全員の足が止まった。
床一面に、巨大な紋様が刻まれていた。
円。
線。
古い文字。
複雑に絡み合う幾何学模様。
その中心には、イグニシアの炎の紋章とは違う印が刻まれている。
Lunaが小さく息を呑んだ。
「……魔法陣」
誰もすぐには動かなかった。
ただ、巨大な魔法陣だけが、百年の沈黙の中で床に刻まれていた。
Arcはその紋様を見下ろした。
胸の奥に、静かな違和感が広がっていく。
シルヴァリアで得たどの情報にも、こんな場所は存在しなかった。




