第94話 拠点移転の提案
# 第94話 拠点移転の提案
白銀の翼が帰った後。
Aegisのギルドホームには、少しだけ静けさが戻っていた。
外の騒ぎが消えたわけではない。
協会職員の声も、遠巻きにこちらを見る人の気配も、まだ残っている。
それでも、応接スペースの空気は少し変わっていた。
Ariaは生きている。
白銀の翼は折れていない。
そして、Aegisは次へ進む必要がある。
Arcは机の上に置かれた資料を見つめていた。
白銀の翼が残していった灼熱巨人の遭遇記録。
十六階層。
火山地帯。
十五階層中ボス後の消耗。
ランダムエンカウントボス。
その全てが、今後の探索に繋がっている。
だが、Arcが考えていたのはそれだけではなかった。
「Mist」
「Dwalf」
「Luna」
Arcが三人の名前を呼ぶ。
Mistはすぐに手を挙げた。
「はい!」
「いるよ!」
Lunaはすでに端末を開いていた。
Dwalfは工具箱を足元に置いたまま、腕を組んでいる。
Cainがそれを見て眉をひそめた。
「なんで工具箱持ってんだよ」
Dwalfは当然のように答える。
「必要になると思った」
「まだ何も言ってねぇぞ」
「言わなくても大体分かる」
RainがLunaを見る。
「Lunaも?」
Lunaは小さく頷いた。
「分かる」
「たぶん、拠点の話」
Arcはわずかに目を細める。
「その通りだ」
全員の視線がArcへ向いた。
Arcは言葉を選ばなかった。
ここで遠回しに言う必要はない。
「ギルド拠点を、シルヴァリアへ移す」
部屋が一瞬だけ静かになる。
Rainが瞬きをした。
「移すって……」
「地上のここを捨てるってこと?」
「違う」
Arcはすぐに首を横に振る。
「地上のギルドホームは残す」
「協会との連絡」
「外部対応」
「地上でしかできない補給」
「それはここで続ける」
「ただ、今後の攻略拠点はシルヴァリアに置く」
Garmが頷いた。
「二拠点化か」
「ああ」
Arcは机の上に、簡易地図を広げた。
一階層から二十三階層まで。
そして、その先に続く未踏領域。
「俺たちは二十三階層まで到達した」
「風の都シルヴァリアも使える」
「魔法通信塔も起動した」
「未登録の通信反応も見つかった」
「さらに、レオニスからイグニシア調査の依頼も受けている」
Novaが静かに頷く。
「地上に戻ってから動くには、距離が長すぎる」
「そうだ」
Arcは続ける。
「毎回地上へ戻って準備し直すのは効率が悪い」
「移動時間も増える」
「事故が起きた時の対応も遅れる」
「二十三階層に研究、補給、生産の拠点を作れば、次の探索速度が大きく変わる」
Crowが椅子の背もたれに体を預けた。
「世間から逃げるようにも見えるがな」
Rainが少し顔を上げる。
だが、Arcは表情を変えなかった。
「逃げるためじゃない」
「地上の騒ぎは無視できない」
「でも、そこに留まっても根本は変わらない」
「俺たちがやるべきことは、ダンジョンの奥へ進むことだ」
「なぜ現実にダンジョンが現れたのか」
「百年前に何があったのか」
「シルヴァリアの通信反応が何を意味するのか」
「それを調べる」
Arcは一度言葉を切る。
外から、遠くざわめきが聞こえた。
英雄を求める声。
奇跡を求める声。
それらは、まだ消えていない。
だが、Arcはそこへ引きずられなかった。
「一人ずつ全員を救うことはできない」
「でも、ダンジョンの仕組みを解けば、もっと多くの被害を減らせるかもしれない」
「だから奥へ進む」
「そのための拠点移転だ」
しばらく、誰も口を開かなかった。
その沈黙を破ったのは、Lunaだった。
「だと思った」
Rainが勢いよく振り向く。
「やっぱり分かってたの!?」
「うん」
Lunaは端末を机の上へ置いた。
画面には、すでにいくつもの項目が並んでいる。
《シルヴァリア拠点化案》
《持ち込み機材》
《地上残留設備》
《研究室候補》
《補給品優先度》
《移送リスク》
Cainが目を丸くした。
「準備よすぎだろ」
「もう準備してる」
Lunaは淡々と言った。
「Arcならそう判断すると思ってた」
「シルヴァリアに通信塔がある」
「未登録反応もある」
「イグニシア調査もある」
「地上に研究機材を置いたままだと、毎回情報が遅れる」
「だから、必要最低限の研究機材は移す」
Novaが興味深そうに画面を覗き込む。
「最低限って言っても、かなりあるね」
「全部は無理」
Lunaは即答した。
「深層核関連の危険物は地上に残す」
「持っていくのは測定器、記録端末、魔力波形の比較資料、サンプル保管容器」
「通信塔の解析に必要なものを優先する」
Arcは頷く。
「それでいい」
「危険物は動かさない」
「シルヴァリアでは調査と解析を中心にする」
Mistが勢いよく手を挙げた。
「私はポーション関係!」
「もう仕分けしてる!」
Rainが笑う。
「Mistも早い」
「だって絶対必要になるもん」
Mistは机に小さなメモ束を広げた。
文字がびっしり書き込まれている。
「地上から持っていく完成品」
「現地で調合するための素材」
「風属性階層で手に入れられる素材」
「保管温度が変わると劣化する薬品」
「あと、緊急用の回復薬セット」
Siaがそのメモを見る。
「こんなに分類してたの?」
「うん」
Mistは胸を張った。
「マジックバッグに詰めるだけなら持ち込めるけど」
「全部を現地で管理しようとすると、必要な物を取り出すだけで時間がかかるから」
「現地で作れるものは現地で作る」
「ただし、初動用の回復薬と状態異常用は必ず持っていく」
「昨日みたいなことがあったら、足りないと困るから」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ引き締まった。
昨日の救助。
Ariaの命。
それは、生産組にとっても他人事ではない。
Mistは明るく言っている。
だが、その準備には昨日の恐怖が反映されていた。
「助かる」
Arcが言うと、Mistは少しだけ照れたように笑った。
「任せて」
「Arcが無茶するなら、こっちは無茶しなくて済む準備をする」
Cainが吹き出した。
「言われてるぞ、Arc」
「否定はしない」
「しろよ」
少しだけ笑いが起きる。
次にDwalfが口を開いた。
「鍛冶設備は全部移せない」
「本炉は地上に残す」
「シルヴァリアには修理用の小型炉、工具、補強材、替え金具を持っていく」
Garmが興味を示す。
「盾の整備もできるか?」
「応急整備ならできる」
Dwalfは頷いた。
「ただし、本格改修は地上だ」
「現地でやるのは、刃こぼれの修復、盾の歪み調整、装備の固定具交換」
「あとは、シルヴァリアの建物で炉を置ける場所を探す必要がある」
「床が弱いと話にならん」
Crowが小さく笑った。
「街を見つけて最初に気にするのが床か」
「炉を落としたら終わりだ」
「まあ、正しい」
Arcは地図へ視線を落とした。
「レオニスに相談する」
「シルヴァリアには使われていない工房か倉庫があるはずだ」
「そこを借りられるなら、拠点化は早い」
Lunaがすぐに頷く。
「相談内容もまとめてある」
「居住区」
「研究室」
「倉庫」
「鍛冶と調合に使える場所」
「通信塔へのアクセス権」
「この五つ」
Rainがぽかんとした。
「もう全部出てる……」
Cainが腕を組む。
「お前ら、本当に生産職か?」
Mistがにこっと笑う。
「生産職だよ」
「準備するのが仕事だから」
その一言に、Arcは少しだけ表情を緩めた。
戦闘で前へ出るのはCainやRainたちだ。
敵を受け止めるのはGarmやCrowだ。
索敵するのはSia。
魔法で面を制圧するのはNova。
そして、Arcは回復と指揮を担う。
だが、それだけでは攻略は続かない。
消耗品。
修理。
解析。
拠点。
帰る場所。
それらを整える者たちがいて、初めてパーティは奥へ進める。
Aegisの強さは、戦闘中だけにあるわけではない。
戦いの前から、すでに始まっているのだ。
「決めるぞ」
Arcは全員を見る。
「地上ギルドホームは残す」
「ただし、攻略と調査の主拠点はシルヴァリアへ移す」
「最初は最低限の設備だけだ」
「研究、補給、修理、調合」
「この四つを動かす」
Garmが頷く。
「輸送時の護衛は俺たちが担当する」
Siaも言う。
「ルートは私が確認する」
「敵の少ない道と、休憩できる場所を洗い直す」
Novaが続けた。
「通信塔の記録も確認したい」
「未登録反応の再測定は、現地でないと意味が薄い」
Cainが笑う。
「よし」
「引っ越しついでに奥へ殴り込みだな」
「殴り込みじゃない」
Arcが即答する。
「調査だ」
「似たようなもんだろ」
「違う」
Crowが肩をすくめた。
「まあ、Cainに荷物を持たせれば少しは静かになる」
「ならねぇよ」
Rainが笑う。
重かった空気が、少しずつ前向きなものへ変わっていく。
地上の騒動は終わっていない。
Arcへの期待も、救助要請も、消えたわけではない。
だが、Aegisはそこで立ち止まらない。
次に必要な場所へ移る。
次の戦いに備える。
それが、このパーティの進み方だった。
「出発は?」
Lunaが尋ねる。
Arcは少し考えた。
「準備に一日」
「明後日、出発する」
「最終目的地はシルヴァリアだ」
「ただし、直行はしない」
Rainが首を傾げる。
「直行しない?」
Arcは地図の火山地帯を指差した。
「途中でイグニシアを調査する」
その名前が出た瞬間、部屋の空気がわずかに変わった。
灼熱廃都イグニシア。
百年前、モンスターパレードで崩壊した火の都。
そして、レオニスから調査を依頼されている場所。
シルヴァリアへ向かうなら、火山地帯を抜ける。
ならば、その途中でイグニシアに寄るのは自然な流れだった。
「引っ越しの途中で廃都探索するの?」
Rainが少しだけ呆れたように言う。
「マジックバッグに入れたままなら運べる」
Arcはすぐに答えた。
「だが、廃都の中で全部を広げるつもりはない」
「明後日すぐ使える形にするのは、先行調査に必要な物だけだ」
「設置に時間のかかる設備は、シルヴァリアに入ってから展開する」
「まずイグニシアを確認する」
「その後、シルヴァリアに入って拠点化を始める」
Lunaが頷く。
「だから、初回に手元へ出す量は減らす」
「研究機材は通信塔と記録用だけ」
「廃都で使う鍛冶道具と薬品素材は、最低限」
「本格的な拠点化は、イグニシア調査の後」
Mistが小さく手を挙げた。
「じゃあ、ポーションも戦闘用と調査用を優先するね」
「調合素材は少なめ」
「その代わり、火山地帯用の耐熱薬を多めにする」
Dwalfも頷く。
「炉はシルヴァリア到着後だ」
「廃都で使うのは修理工具と補強材だけでいい」
「廃都探索中に炉を出す趣味はない」
Cainが笑った。
「趣味だったら困るわ」
Arcは全員を見る。
「イグニシア調査は寄り道じゃない」
「シルヴァリア拠点化と同じ流れの中にある」
「火の都で何が起きたのか」
「百年前の崩壊に何が関わっているのか」
「それを知ることが、次の攻略に繋がる」
「出発時期の話なら、遅い」
Lunaが即答した。
Arcが目を瞬かせる。
「遅い?」
「最低限なら、明日出せる」
Mistが慌てて手を振った。
「待って、薬品の梱包がまだ終わってない!」
Dwalfも眉をひそめる。
「炉は明日出せても、設置場所の確認が先だ」
Lunaは少しだけ考え直す。
「じゃあ、明後日」
Rainが笑った。
「結局Arc案じゃん」
「確認しただけ」
Lunaは平然と言った。
Arcは小さく息を吐く。
いつものAegisの空気が戻っていた。
それが少しだけ、ありがたかった。
「明後日、出発する」
Arcは改めて言った。
「まず灼熱廃都イグニシアを調査する」
「その後、風の都シルヴァリアへ入る」
「そこをAegisの新しい攻略拠点にする」
全員が頷く。
迷いはなかった。
白銀の翼を救ったことで、世界はArcを見始めた。
英雄として。
奇跡を起こす者として。
だが、Arcが見るべき場所はそこではない。
ダンジョンの奥。
百年前の文明。
未登録の通信反応。
そして、灼熱廃都イグニシア。
Aegisは、次の段階へ進む。
そのための拠点移転が、静かに決まった。




