第92話 届いたありがとう
# 第92話 届いたありがとう
翌日。
Aegisのギルドホームには、まだ外の騒ぎが残っていた。
玄関前に人が押し寄せているわけではない。
協会が周囲を整理し、直接接触できないように線を引いている。
それでも、建物の外を通る人の視線は明らかに変わっていた。
昨日までとは違う。
ただの有名ギルドを見る目ではない。
世界記録を更新した探索者を見る目でもない。
命を救った者を見る目だった。
「……なんか、落ち着かないね」
Rainが窓から外を覗きながら呟く。
「昨日より静かではあるけどさ」
「静かな方が怖い時もある」
Crowが椅子に座ったまま答えた。
「騒いでる奴は分かりやすい」
「黙って見てる奴の方が、何を考えてるか分からない」
「朝から嫌なこと言うなよ」
Cainが顔をしかめる。
「事実だ」
「はいはい」
二人のやり取りを聞きながら、Arcは端末へ視線を落としていた。
そこには協会から届いた連絡が表示されている。
白銀の翼のAliciaが、Aegisへ直接礼を言いたい。
協会の立ち会いのもと、短時間なら面会を許可する。
そういう内容だった。
「会うの?」
Siaが静かに尋ねる。
Arcは少しだけ考えてから頷いた。
「会う」
「白銀の翼を避ける理由はない」
Garmも頷く。
「救助した相手だ」
「顔を合わせた方がいい」
Novaは端末を見ながら言った。
「ただ、長くは話さない方がいい」
「向こうも疲れているはず」
「Ariaさんのこともあるし」
その名前が出た瞬間、部屋の空気が少しだけ静かになった。
Ariaは生きている。
容体は安定している。
けれど、まだ完全に戻ったわけではない。
救えた。
だが、それで全てが終わったわけではない。
Arcはそれを理解していた。
「短く済ませる」
「必要なことだけ話す」
その言葉に、RainがじっとArcを見た。
「また硬い顔してる」
「そうか?」
「うん」
Rainは頷く。
「昨日よりはマシだけど、まだ硬い」
Cainがにやりと笑った。
「人気者の顔じゃねぇな」
「殴られたいのか?」
「ほら、いつもの顔に戻った」
ほんの少しだけ、空気が緩む。
だが、それも長くは続かなかった。
玄関側から、Mistの声が聞こえた。
「Arc」
「白銀の翼の人たち、来たよ」
全員の視線がそちらへ向く。
Arcは立ち上がった。
「通してくれ」
「うん」
しばらくして、ギルドホームの応接スペースへ白銀の翼のメンバーたちが入ってきた。
先頭にいたのはAliciaだった。
昨日よりも顔色は悪い。
目の下には疲労の色が残っている。
それでも、背筋だけは真っ直ぐ伸びていた。
ギルドリーダーとして。
仲間の命を救われた者として。
彼女は崩れた姿を見せないようにしていた。
その後ろには、白銀の翼のヒーラーや前衛メンバーたちが続いている。
誰も明るい顔ではない。
だが、昨日の絶望に沈んだ顔とも違っていた。
生きて帰ってきた。
仲間がまだ生きている。
その事実が、彼らをかろうじて支えていた。
AliciaはArcの前まで来ると、深く頭を下げた。
「Arcさん」
「Aegisの皆さん」
声が震えていた。
それでも、彼女は言葉を続けた。
「Ariaを助けてくれて、本当にありがとうございました」
それに続くように、白銀の翼のメンバーたちも一斉に頭を下げる。
「ありがとうございました」
「本当に……ありがとうございました」
「助かるなんて、思ってませんでした」
「俺たちだけだったら、絶対に……」
最後の言葉は、途中で途切れた。
誰も責めなかった。
彼ら自身が一番分かっている。
あの場で何もできなかった悔しさを。
自分たちの力では仲間を救えなかった事実を。
その重さは、他人が簡単に触れていいものではなかった。
Arcは静かに口を開いた。
「頭を上げてください」
Aliciaがゆっくり顔を上げる。
その瞳には、まだ涙の跡が残っていた。
「俺が救えたのは、間に合ったからです」
「白銀の翼が、最後までAriaさんを繋いでいたからです」
白銀の翼のヒーラーが息を呑んだ。
Arcは彼女を見る。
「あなたが《ヒール》を重ね続けた」
「止血を続けていた」
「傷を治し切れなくても、魔力を途切れさせなかった」
「AliciaさんがAriaさんの意識を繋ごうとしていた」
「他のメンバーも、崩れずに場を保っていた」
「だから間に合った」
それは慰めではなかった。
事実だった。
もし白銀の翼が途中で諦めていたら。
もしAriaの命を繋ぐ手を止めていたら。
もし救援を求める判断が遅れていたら。
Arcが到着した時には、もう何もできなかったかもしれない。
命が繋がったのは、Aegisだけの功績ではない。
白銀の翼が最後まで諦めなかったからだ。
その言葉を聞いた瞬間、白銀の翼のヒーラーの目から涙が零れた。
「私……」
「何もできなかったって……」
「ずっと……思ってました……」
声が崩れる。
昨日の恐怖が、今になって溢れてきたのだろう。
「魔力も足りなくて」
「傷も塞げなくて」
「手が震えて」
「もう駄目だって、何度も思って」
Aliciaがそっと彼女の肩に手を置く。
ヒーラーは泣きながら首を振った。
「でも、止めたら本当に終わるって思って……」
「だから、止められなくて……」
Arcはその言葉を黙って聞いていた。
そして、短く言った。
「それでいい」
ヒーラーが顔を上げる。
「完璧に治せなくてもいい」
「命が残っていれば、次に繋がる」
「昨日は、あなたが繋いだ」
「俺は、その続きを引き受けただけです」
その言葉に、白銀の翼のヒーラーは口元を押さえた。
泣き声を抑えようとしている。
だが、抑え切れなかった。
Rainも少しだけ目を細める。
Mistは鼻をすすっていた。
「Mist、泣いてるのか?」
Cainが小声で言う。
「泣いてない」
「泣いてるだろ」
「泣いてないってば」
「声が完全に泣いてる」
その小さなやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
Aliciaも、ほんのわずかに表情を緩める。
だが、すぐに真剣な顔へ戻った。
「Ariaの容体ですが」
全員が耳を傾ける。
「今朝、少しだけ意識が戻りました」
Rainが目を見開いた。
「本当?」
Aliciaは頷く。
「本当に一瞬です」
「目を開けて、私の名前を呼んで」
「すぐにまた眠りました」
「まだ体力が戻っていません」
「医療班からも、しばらく安静が必要だと言われています」
Arcは小さく頷いた。
「それでいい」
「意識が戻ったなら、大きい」
「ただ、無理はさせないでください」
言いかけて、Arcは少しだけ言葉を止めた。
そして、表情を緩める。
「……ここから先は専門外です」
「医療班の判断に従ってください」
Aliciaはその言葉に、少し驚いた顔をした。
Arcが全てを指示すると思っていたのかもしれない。
だが、Arcは医者ではない。
ダンジョンの中で命を繋いだ。
それは事実だ。
けれど、そこから先の回復は、地上の医療班の仕事だった。
Arcはその線を越えない。
自分にできることと、できないことを分けるために。
そして、周囲にもそれを理解させるために。
Aliciaはゆっくり頷いた。
「分かりました」
「医療班にも、そう伝えます」
「Arcさんが全部抱える必要はないと」
その言葉に、Rainが少しだけ安心したように息を吐いた。
Aliciaは続ける。
「それと」
「Ariaが、少しだけ言っていました」
Arcが視線を向ける。
Aliciaは言葉を選ぶように、ゆっくり口を開いた。
「ありがとう、と」
「それだけです」
「でも、確かに言いました」
部屋が静かになった。
短い言葉だった。
たった一言。
けれど、その一言で十分だった。
Arcは目を伏せる。
「……そうですか」
声は小さい。
だが、確かに少しだけ柔らかかった。
救えた。
その実感が、ようやく少しだけ形になった。
昨日からずっと、Arcは結果を冷静に見ていた。
命を繋いだ。
出血を止めた。
地上へ戻した。
医療班へ渡した。
だが、今初めて、その先にあるものを受け取った気がした。
Ariaが目を覚ました。
ありがとうと言った。
それは数字でも、記録でも、称賛でもない。
救った命が、確かにそこにあるという証だった。
それだけを確かめられたなら、今は十分だった。
だが、Aliciaはまだ席を立たなかった。
彼女はもう一度、姿勢を正す。
礼だけでは終わらない話がある。
そのことに、Aegisの全員が気付いていた。




