第90話 協会の判断
# 第90話 協会の判断
「協会として、AegisとArcをどう扱うか」
協会長の言葉に、会議室の空気が重くなった。
Arcは黙っていた。
Aegisのメンバーも、すぐには口を開かない。
画面の向こうにいる政府関係者も、医療班長も、広報担当の職員たちも、同じ一点を見ていた。
Arc。
白銀の翼のAriaを、死の手前で救ったヒーラー。
だが、それはただの美談では終わらない。
世界中が見てしまった。
通常の回復魔法では救えないはずの致命傷が、地上まで命を繋がれた瞬間を。
そして、その中心にいたのが一人の探索者だったことを。
最初に口を開いたのは、画面越しの政府関係者だった。
『対象の安全確保は必要でしょう』
声は冷静だった。
だが、その言葉にRainの目が細くなる。
安全確保。
聞こえはいい。
けれど、言い方を変えれば、保護という名の拘束にもなり得る。
『国内外から接触が増えるのは避けられません』
政府関係者は続ける。
『医療機関、研究機関、企業、場合によっては軍関係者も動きます』
『本人の自由行動をそのまま認めるのは、危険ではありませんか』
会議室が静まり返る。
Cainが小さく舌打ちした。
「おい」
その声に、Rainが視線で制する。
まだ早い。
ここで感情的に反発すれば、話が余計にややこしくなる。
Arcは、ただ協会長を見ていた。
協会長は画面の向こうを見つめたまま、静かに言った。
「強制管理はしない」
短い言葉だった。
だが、会議室の空気が一瞬で変わる。
政府関係者の表情がわずかに動いた。
『協会長』
「Arcは探索者だ」
協会長は言葉を重ねる。
「国家指定危険物でも、研究対象でも、医療資源でもない」
Arcは表情を変えない。
だが、Aegisのメンバーたちはわずかに息を吐いた。
協会長は続ける。
「協会はAegisの活動を制限しない」
「ただし、保護はする」
『保護とは』
「問い合わせ、取材、研究要請、面会申請。すべて協会を通す」
協会長は広報担当へ視線を向けた。
「Aegisへの直接接触は禁止。Arc個人への連絡先開示も禁止。ギルドホーム周辺の警備を増やす」
「はい」
広報担当が即座にメモを取る。
「また、今回の救命映像については、公開範囲を制限する」
その言葉に、別の職員が顔を上げた。
「すでに配信で流れています」
「分かっている」
協会長は頷く。
「だからこそ、二次公開を制限する。切り抜き、解説映像、技術分析としての再配布を止める」
「完全には止められません」
「完全でなくていい。協会が姿勢を示すことに意味がある」
職員は頷いた。
医療班長が静かに口を開く。
「処置の詳細についても、制限が必要です」
全員の視線が医療班長へ向く。
「Arcさんの回復は、通常のヒールやハイヒールとは違います」
「ですが、手順だけを真似れば再現できるものでもありません」
「不完全な理解で真似れば、患者を悪化させる可能性があります」
Novaが小さく頷いた。
「魔法式だけじゃ足りない」
医療班長が彼女を見る。
Novaは続ける。
「観察、判断、魔力制御、肉体構造のイメージ。たぶん全部必要」
「どれか欠けたら危ない」
「その通りです」
医療班長は頷いた。
「少なくとも、現時点で一般公開できる技術ではありません」
政府関係者が画面越しに口を開く。
『しかし、医療応用の可能性は大きい』
「可能性はあります」
医療班長は否定しなかった。
「ですが、現時点では患者を救う技術であると同時に、患者を壊しかねない技術でもあります」
その言葉で、会議室は再び静かになった。
回復魔法。
その響きだけなら、優しい。
だが、Arcが行ったのは、ただ光を当てることではなかった。
傷を観察し、順番を決め、壊れかけた肉体を組み直す。
それは、間違えれば命を削る行為でもある。
だからこそ、簡単に広めるわけにはいかなかった。
協会長はArcへ視線を向けた。
「君自身はどう考えている」
Arcは少しだけ沈黙した。
全員が待つ。
Arcは、ゆっくり口を開いた。
「公開するべきではないと思います」
RainがArcを見る。
「理由は」
協会長が問う。
「誰でもできるものじゃないからです」
Arcは淡々と答える。
「俺も、完全に説明できるわけじゃありません」
「感覚ですか」
医療班長が尋ねる。
「感覚だけじゃありません」
Arcは首を横に振る。
「けど、言葉にすれば足りなくなる」
「血管を繋ぐ、筋肉を戻す、傷を塞ぐ」
「そう言うのは簡単です」
Arcの声は静かだった。
「でも実際には、どこから繋ぐか、どれだけ魔力を流すか、どこで止めるかを間違えたら終わる」
医療班長の表情が引き締まる。
「だから、今の段階で広めるのは危険です」
Arcは続けた。
「それに、俺は医者じゃありません」
「できたのは、死ぬ前に止めるところまでです」
「その先は医療班の領域です」
その言葉に、医療班長が深く頷いた。
「その線引きは、非常に重要です」
協会長も頷く。
「なら、方針は決まった」
広報担当が姿勢を正す。
協会長は一つずつ告げた。
「一つ」
「今回の件は、探索者協会の公式発表として扱う」
「二つ」
「Ariaは生還した。ただし、Arcが蘇生したわけではない」
「三つ」
「Arcの回復処置の詳細は、現時点では非公開」
「四つ」
「Aegisへの直接接触は禁止。問い合わせはすべて協会経由」
「五つ」
「Aegisの今後の探索活動は制限しない」
最後の一文で、Aegisのメンバーたちの表情がわずかに変わった。
制限しない。
それは大きかった。
もしここで活動停止を命じられれば、シルヴァリアの拠点化も、イグニシア調査も止まる。
だが、協会長はそうしなかった。
「ただし」
協会長が続ける。
「しばらくは情報管理を徹底する」
「探索ルート、帰還予定、拠点の詳細は公表しない」
「配信についても、救命処置のような医療行為に関わる部分は、協会側で公開範囲を調整する」
Rainが小さく眉を寄せる。
「つまり、見られなくなるってこと?」
「すべてではない」
協会長は答える。
「通常の探索配信は継続する」
「だが、個人の命に関わる場面を、無制限に娯楽として流すわけにはいかない」
その言葉に、Rainは黙った。
納得したわけではない。
だが、理解はできた。
Crowが肩をすくめる。
「まあ、あれを何度も切り抜かれたらたまったもんじゃねぇな」
Cainも頷く。
「Aria本人も嫌だろうしな」
その言葉に、会議室の空気が少しだけ人間らしさを取り戻した。
これは技術の話だけではない。
救われた本人の尊厳の話でもある。
協会長はArcを見る。
「この方針でいいか」
Arcは迷わなかった。
「問題ありません」
「不満はないか」
「ありません」
Arcは短く答える。
「俺たちの探索が止まらないなら、それでいいです」
協会長の口元が、わずかに動いた。
「君らしい答えだ」
Rainが小さく呟く。
「ほんとそれ」
Novaも静かに頷く。
「Arcは結局、次の攻略のこと考えてる」
「当然だ」
Arcは淡々と言った。
「止まっている時間はない」
その言葉に、協会長の表情が少しだけ厳しくなる。
「だが、無理はするな」
Arcが答える前に、Garmが口を開いた。
「そこは俺たちが止める」
Cainも頷く。
「倒れそうなら引きずってでも寝かせる」
Rainが笑う。
「それ、もうちょっと優しくできない?」
Crowが鼻で笑った。
「優しく言って寝る奴か?」
「寝ないね」
「だろ」
Arcは何か言い返そうとして、やめた。
実際、否定できなかった。
会議室に、わずかな笑いが生まれる。
だが、それもすぐに収まった。
協会長は画面越しの政府関係者へ視線を向ける。
「協会としての方針は以上です」
『了承しました』
政府関係者は短く答える。
『ただし、今後も情報共有は求めます』
「必要な範囲で行います」
『それで結構です』
画面が暗くなる。
政府関係者との通信が切れた。
会議室に、少しだけ空気が戻る。
広報担当がすぐに確認する。
「公式発表文、作成します」
協会長が頷いた。
「文面は簡潔にしろ」
「はい」
広報担当は端末へ向かう。
ほどなくして、壁面モニターに文章が表示された。
《探索者協会公式発表》
《白銀の翼所属Aria氏は、地上医療区画にて治療中》
《現在、命に別状はない》
《Aegis所属Arc氏による現場処置が行われたが、これは蘇生ではない》
《処置内容の詳細については、本人および関係者保護のため非公開とする》
《Aegisへの直接接触、無断取材、拠点周辺での待機行為を禁ずる》
それを見て、Rainが小さく息を吐いた。
「思ったより、はっきり書くんだね」
協会長が答える。
「曖昧にすれば、勝手に都合よく解釈される」
「まあ、それはそう」
Arcは文面を見つめていた。
蘇生ではない。
その一文がある。
それだけで、少しだけ安心した。
世界がどう受け取るかは分からない。
それでも、少なくとも協会は線を引いた。
死者は戻らない。
救えたのは、間に合ったからだ。
その線を。
協会長が立ち上がる。
「今日は休め」
「必要なら協会側で部屋を用意する」
Arcは首を横に振った。
「ギルドホームへ戻ります」
「外は騒ぎになっている」
「でしょうね」
「移動には協会職員をつける」
Arcは少し考えたあと、頷いた。
「お願いします」
ここで意地を張る意味はない。
Aegisだけならどうとでもなる。
だが、ギルドホームにはMist、Luna、Dwalfもいる。
余計な騒ぎを持ち込むわけにはいかなかった。
会議が終わる。
Aegisが会議室を出る頃には、協会の公式発表がすでに配信画面へ流れていた。
廊下のモニターにも、同じ文字が表示されている。
《これは蘇生ではありません》
《処置内容の詳細は非公開です》
《Aegisへの直接接触を禁じます》
その文字を見て、Rainがぽつりと言った。
「守られてる、ってことでいいのかな」
Arcは少しだけ考えた。
「少なくとも、今はな」
Crowが肩をすくめる。
「今は、ね」
Cainが笑う。
「面倒事は後で殴ればいい」
「殴るな」
Arcが即座に返す。
「冗談だ」
「半分本気だっただろ」
「まあな」
Rainが吹き出した。
ほんのわずかに、いつものAegisの空気が戻る。
だが、Arcは廊下のモニターをもう一度見た。
世界は、もう彼をただのヒーラーとしては見ない。
それでも、やることは変わらない。
仲間を生かす。
パーティを前へ進める。
ダンジョンの奥へ向かう。
それだけだ。
Arcは静かに歩き出した。
協会の判断は下された。
Aegisは止められない。
だが同時に、Arcという存在は、守られるべき対象として世界に認識された。
その事実が、次の波を呼び込もうとしていた。




