第89話 世界が見たヒーラー
# 第89話 世界が見たヒーラー
探索者協会の帰還区画は、まだざわめきに包まれていた。
Ariaが生きている。
その事実だけで、場の空気は大きく変わっていた。
けれど、誰も手放しでは喜べない。
医療区画の扉は閉ざされたまま。
白銀の翼のメンバーたちは、まだその前から離れようとしない。
Aliciaも椅子に座ったまま、何度も深呼吸を繰り返していた。
泣きすぎた目は赤い。
それでも、表情には先ほどまでの絶望はなかった。
Ariaは生きている。
それだけで、世界の色が少しだけ戻っていた。
一方で、地上の大型モニターは別の熱を帯び始めていた。
配信の切り抜き。
救命時の映像。
GarmがAriaを背負って帰還する映像。
医療班長が「命は繋がっています」と告げた場面。
それらが、次々と再生されている。
誰かが編集したものではない。
探索者協会の公式配信に映っていた映像が、そのまま世界中へ流れていた。
コメント欄は、もう追い切れない速度になっていた。
『Aria生きてた!!』
『白銀の翼、全滅寸前だったよな?』
『あの傷で生還ってどういうことだよ』
『Arc何したんだ』
『蘇生?』
『蘇生じゃないって本人が言ってた』
『死ぬ前に止めたんだろ』
『いやそれが一番やばい』
『ヒーラーってこんなことできるの?』
『普通はできない』
『医療班も驚いてたぞ』
『Garmの搬送も地味に異常』
『Aegis全員おかしい』
『人類最前線ってこういうことか』
同じ頃、ニュース番組も一斉に速報を流し始めていた。
『本日、十六階層にて白銀の翼所属の探索者Aria氏が重傷を負い――』
『Aegisによる救助活動の末、地上医療区画へ搬送されました』
『関係者によると、現在命に別状はないとのことです』
『なお、現場で行われた回復魔法については、探索者協会が詳細確認中と発表しています』
画面には、Arcの姿が映っていた。
血に濡れた地面。
倒れたAria。
その傍らで膝をつき、冷静に手をかざすArc。
次に映るのは、Garmの背に固定されたAria。
それを守るように走るAegis。
最後に、医療区画へ消えていく搬送台。
短い映像だった。
だが、それだけで十分だった。
世界は見てしまった。
通常なら助からないはずの命が、地上まで繋がれた瞬間を。
探索者協会の指令室では、職員たちが次々と入ってくる情報へ対応していた。
「問い合わせが止まりません!」
「国内メディアから取材申請、すでに三十件以上!」
「海外協会からも照会が来ています!」
「医療機関から、処置内容の確認要請が複数!」
「政府窓口からも連絡が入っています!」
その報告に、指令室の空気がさらに重くなる。
予想はしていた。
だが、反応が早すぎる。
それだけ、今回の映像が衝撃的だったということだ。
協会長は大型モニターを見つめたまま、低く言った。
「処置の詳細は出すな」
職員が振り返る。
「公式発表はどうしますか」
「事実だけでいい」
協会長は即答した。
「白銀の翼所属Ariaは地上医療区画へ搬送。命に別状なし。ただし予断を許さない」
「Arcの回復魔法については?」
「詳細確認中」
「それだけですか?」
「それだけだ」
協会長の声は揺れなかった。
「蘇生ではないことは明記しろ」
職員が息を呑む。
「そこまで書きますか」
「書かなければ、勝手に蘇生扱いされる」
協会長は画面から目を離さない。
「死者を戻せると誤解されれば、探索者も民間人も暴走する」
その言葉に、指令室が静まり返った。
蘇生。
その言葉の重さを、誰もが理解していた。
この世界に蘇生魔法は存在しない。
それは探索者にとって、絶対の前提だった。
だからこそ、死と隣り合わせのダンジョンに入る者たちは、常に覚悟を求められる。
もしArcが死者を戻せると誤解されれば、その前提が崩れる。
無謀な探索者が増える。
助けを求める者が殺到する。
そして、助けられなかった時、Arc自身が責められる。
それだけは避けなければならなかった。
「公式文を作ります」
「急げ」
「はい」
職員たちが動き出す。
その間にも、モニターには世界各地の反応が流れ続けていた。
医療関係者のコメント。
探索者たちの掲示板。
海外配信者の考察。
どれも同じ一点に集まっている。
Arcとは何者なのか。
Aegisとは、どこまで先へ行っているのか。
そして、回復魔法は本当に今までの理解で正しかったのか。
その頃、Arcは協会職員に案内され、会議室へ向かっていた。
Aegisのメンバーも同行している。
Rainは横を歩きながら、小さく息を吐いた。
「なんか、すごいことになってるね」
「そうだな」
Arcは短く答える。
「もうちょっと驚かない?」
「後で驚く」
「絶対驚かないやつだ」
Rainが呆れたように言う。
だが、Arcの表情は変わらない。
彼が考えているのは、世間の反応ではなかった。
Ariaの容体。
白銀の翼の今後。
協会の対応。
そして、自分が使った回復の再現性。
あれは偶然ではない。
だが、誰にでもできるものではない。
肉体を理解し、魔法に修復の順序を与える。
それには、魔力量だけではなく、観察と判断が必要になる。
下手に真似れば、助けるどころか傷を悪化させる可能性もある。
だからこそ、簡単に広めるわけにはいかなかった。
「Arc」
Novaが静かに声をかける。
「さっきの回復、説明できる?」
「一部なら」
「全部は?」
「無理だ」
Novaが目を細める。
「感覚?」
「感覚だけじゃない」
Arcは少し考えてから答えた。
「けど、言葉にすると足りない」
「そっか」
Novaはそれ以上聞かなかった。
研究者としては、聞きたいことはいくらでもある。
だが今は、その時ではない。
Cainが肩を回しながら言う。
「まあ、あれ見たら放っとかねぇよな」
Crowが鼻で笑う。
「世界中から、治してくれって来るぞ」
Rainの表情が少し曇る。
「それ、笑えないね」
「笑ってねぇよ」
Crowは淡々と言った。
「助けられる命もある。助けられない命もある」
その言葉に、全員が黙る。
Arcが言ったことと同じだった。
蘇生ではない。
死者は戻らない。
間に合ったから助けられた。
その線を、世界が正しく理解するとは限らない。
会議室の前に着く。
扉の前には、協会職員が二人立っていた。
一人が扉を開ける。
中には、協会長がいた。
その隣には、医療班長。
さらに、広報担当と思われる職員が数名。
画面越しには、政府関係者らしき人物も映っている。
Rainが小さく呟く。
「うわ、重そう」
「軽い話ではない」
Arcはそう返して、中へ入った。
協会長が視線を上げる。
「来たか、Arc」
「はい」
「まず確認する」
協会長の声は静かだった。
「君は、Ariaを蘇生したのか」
部屋の空気が止まる。
Aegisのメンバーも、医療班長も、Arcを見る。
Arcは迷わず答えた。
「いいえ」
短い答えだった。
だが、はっきりしていた。
「Ariaは、まだ生きていました」
Arcは続ける。
「俺は死者を戻したわけじゃありません」
「致命傷を塞ぎ、地上まで命を繋いだだけです」
協会長は頷いた。
「その線引きは、公式発表でも必要になる」
「お願いします」
Arcは静かに言う。
「蘇生できると思われるのは困ります」
その言葉に、医療班長が深く頷いた。
「私も同意します」
「あれは蘇生ではありません」
「ですが、通常の回復魔法でもありません」
会議室に沈黙が落ちる。
医療班長は、はっきりと言った。
「探索者医療の常識を変える可能性があります」
その言葉の重みを、誰も笑わなかった。
Arcは黙って聞いていた。
自分が何か大きなことをしたという実感は、まだ薄い。
ただ、目の前で死にかけていた命を救おうとした。
それだけだった。
だが、世界はもうそれを個人の出来事として扱っていない。
Arcというヒーラーを、世界が見た。
そして、世界はその意味を知ろうとしている。
協会長がゆっくりと口を開く。
「ここから先は、慎重に扱う」
画面の向こうの政府関係者も、黙って聞いている。
「君を英雄として持ち上げる者も出るだろう」
「利用しようとする者も出る」
「救えなかった命の責任を、君に押し付けようとする者もな」
Rainの表情が険しくなった。
Cainも眉をひそめる。
だが、Arcは表情を変えなかった。
「分かっています」
協会長は少しだけ目を細めた。
「なら、次の話だ」
空気がさらに重くなる。
「協会として、AegisとArcをどう扱うか」
その言葉で、会議室の空気が変わった。
救命の余韻は、まだ消えていない。
だが世界は、もう次の問題へ進み始めていた。




