第57話 風の森林
#第57話 風の森林
二十一階層。
石門を抜けた瞬間だった。
熱風が消えた。
肌へまとわりついていた灼熱が嘘みたいに消える。
代わりに吹き抜けたのは冷たい風だった。
「うお……」
Rainが思わず足を止める。
視界いっぱいに広がる緑。
思わず言葉を失った。
今まで見てきた階層とは何もかもが違う。
岩もない。
溶岩もない。
焦げた匂いもない。
あるのは風と緑だけだった。
目の前には巨大な森林が広がっている。
空を覆うほど巨大な樹木。
幹の太さは数メートル。
十人で囲んでも抱えきれないほどだった。
枝葉は天井近くまで伸びている。
その隙間から木漏れ日が差し込み。
揺れる葉が地面へまだらな影を落としていた。
火山地帯の赤い岩場とは何もかもが違う。
まるで別世界だった。
「涼しい……」
Novaが息を吐く。
肺いっぱいに空気を吸い込む。
つい数時間前まで灼熱地獄だった。
息をするだけで体力が削られるような環境。
その反動もある。
今の風は心地良かった。
肺の奥に残っていた熱気が抜けていく。
思わず肩の力まで抜けた。
葉擦れの音。
流れる小川。
鳥に似た魔物の鳴き声。
火山地帯では聞こえなかった自然の音が辺りを包んでいる。
「同じダンジョンとは思えないな」
Cainが周囲を見渡した。
地面には草が生え。
小川まで流れている。
二十階層までの景色とは別物だった。
「風属性階層だからな」
Arcが答える。
「デプクロでも有名なエリアだった」
「景色が綺麗だから?」
Rainが聞く。
「それもある」
Arcは頷いた。
「あと迷う」
「嫌な情報ありがとう」
Rainが即答する。
Novaが吹き出した。
「方向感覚ないものね」
「あるわ」
「ないわね」
即否定だった。
その時。
後ろから重い足音が聞こえる。
振り返る。
Garmだった。
肩には巨大な白炎核を担いでいる。
火炎龍討伐で手に入れた戦利品。
未だ内部では白い光が脈打っていた。
まるで心臓のように。
規則正しく。
静かに。
鼓動を続けている。
ゴォ……。
耳を澄ませば微かな振動音まで聞こえる。
既に火炎龍は死んだ。
それなのに。
核だけがまだ生きているようだった。
「重そうだな」
Cainが言う。
「重い」
Garmは即答した。
「じゃあ俺が持とうか?」
「落としそうだから却下」
「ひどくない?」
Rainが抗議する。
だが。
誰も否定しなかった。
白炎核は火炎龍討伐最大の戦利品だ。
落とされては困る。
「信用無いな俺」
「自覚あるのね」
Novaが笑う。
その横で。
Cainが白炎核を見つめていた。
内部では白い炎のような光が揺れている。
火炎龍討伐の証。
そして。
正体不明の素材でもあった。
「結局これ何なんだろうな」
Cainが呟く。
Arcも首を横へ振った。
「分からない」
「デプクロには存在しなかった」
「マジか」
Rainが目を丸くする。
「ゲームにも無かったの?」
「ああ」
Arcは頷いた。
「火炎龍自体が想定外だったからな」
七階層特殊レイド。
二十階層火炎龍。
どちらもゲームには存在しなかった。
つまり。
この白炎核も未知だ。
火炎龍は確かに死んだ。
Arc自身が確認している。
それなのに。
白炎核だけは違った。
内部では今も白い光が脈打っている。
まるで。
心臓だけ切り取られてなお生き続けているような。
そんな不気味さがあった。
「じゃあどうするんだ?」
Novaが聞く。
「保管する」
Arcは即答した。
「少なくとも今すぐ売る気はない」
「理由は?」
「分からないからだ」
Arcは白炎核を見る。
未知の素材。
未知の反応。
価値が高い可能性は高い。
だが。
正体も分からないまま手放す気にはなれなかった。
「帰ったらLunaとDwarfにも見てもらう」
「なるほどね」
Rainが頷く。
付与術師と鍛冶師。
素材解析ならAegisでも一番詳しい二人だ。
「まぁ価値があるのは間違いないだろ」
Cainが笑った。
「火炎龍の核なんて聞いただけで高そうだし」
「それは否定できないな」
Arcも苦笑した。
その時だった。
風が吹いた。
ざわり。
巨大樹の枝葉が揺れる。
森の奥から冷たい風が流れてきた。
Rainたちは気にしない。
だが。
Arcだけは僅かに眉をひそめた。
「……」
違和感。
理由は分からない。
だが。
Arcはこの感覚を知っていた。
デプクロ時代。
未知エリア。
高難易度レイド。
隠しボス。
本当に危険な時ほど。
こういう説明できない違和感があった。
だから無視しない。
違和感は大抵当たる。
ゲーム時代にも知っている階層。
何百回も攻略した場所。
それなのに。
妙な胸騒ぎが消えない。
七階層。
二十階層。
現実のダンジョンは既にゲームの常識から外れ始めている。
なら。
二十一階層も同じかもしれない。
「Arc?」
Crowが気付いた。
「何かあるか?」
「いや」
Arcは首を横へ振る。
「まだ分からない」
だが。
胸騒ぎだけは消えなかった。
森の奥から風が吹く。
その風は妙に冷たかった。
だが。
違和感の正体までは掴めない。
Arcは小さく息を吐いた。
「警戒は維持する」
その一言で。
Aegisの空気が引き締まる。
「ああ」
Garmが短く答えた。
Rainも双剣へ手を添える。
火炎龍討伐を終えたばかりだ。
疲労は残っている。
それでも。
中層は待ってくれない。
少しの油断が命取りになる。
Aegisは隊列を整えながら森の中を進み始めた。
先頭はSia。
索敵役。
その後ろにCrow。
Garm。
Rain。
Cain。
Nova。
Mist。
そして最後尾付近にArc。
何度も戦場を潜り抜けてきた陣形だった。
巨大樹の間を歩く。
視界は悪い。
枝葉が空を覆っている。
見上げても空は見えない。
緑。
緑。
どこまでも緑だった。
数十メートル先ですら見通せない場所もある。
敵が潜むには最高の地形だった。
「嫌な地形だな」
Cainが呟く。
「見えねぇ」
大斧を肩へ担ぎながら周囲を警戒する。
「風属性階層は基本こうだ」
Arcが答える。
「森林地帯」
「渓谷地帯」
「樹海地帯」
「視界を奪う階層が多い」
「つまり待ち伏せされる?」
Rainが聞く。
「ああ」
Arcは頷いた。
「だから索敵役が重要になる」
視線がSiaへ向く。
Siaは静かに頷いた。
風の流れ。
音。
匂い。
気配。
全てを探っている。
レンジャーへ進化した今。
索敵能力は以前より大きく向上していた。
「任せて」
短い返答。
だが頼もしい。
戦闘が始まる前に敵を見つけられるかどうか。
それだけで生存率は大きく変わる。
特に中層では。
その時だった。
ざわり。
頭上の枝葉が揺れる。
全員が反射的に上を見る。
だが。
何もいない。
風が吹いただけにも見えた。
「風か?」
Rainが呟く。
しかし。
Siaだけは動かなかった。
耳を澄ませている。
風の音。
葉擦れの音。
小川の流れる音。
普通の探索者なら雑音にしか聞こえない。
だがSiaは違う。
その中から異物を探していた。
僅か。
本当に僅かな違和感。
枝が軋む音。
草を踏む音。
呼吸。
何かがいる。
確実に。
Siaの瞳が鋭く細まった。
弓へ手が伸びる。
空気が変わる。
Arcも気付いた。
戦闘前の空気だ。
「……見つけた」
Siaが小さく呟く。
全員の動きが止まる。
「前方百五十メートル」
短い声。
Rainの表情が引き締まる。
Cainが大斧を握り直した。
Garmが盾を構える。
「樹上に二体」
Siaの視線が上を向く。
見えない。
だが。
いる。
「地上に三体」
今度は正面。
木々の奥。
深い緑の向こう側。
五体。
既に包囲に近い位置取りだった。
「囲まれてるな」
Crowが小さく笑う。
黒剣へ手を掛けた。
「問題ない」
Arcは即答した。
敵の位置が分かっているなら対処できる。
見えないまま襲われる方が危険だった。
森が静まり返る。
風だけが流れる。
誰も動かない。
いや。
動けない。
獣たちもこちらを観察している。
そんな気配があった。
「来る」
Siaが言った。
その言葉と同時だった。
巨大な枝が大きく揺れた。
何かがいる。
確実に。
木々の奥。
深い緑の隙間。
そこに。
灰色の瞳が一瞬だけ光った。
獣。
そう理解した瞬間。
背筋に冷たいものが走る。
次の瞬間。
ドンッ!!
枝が爆ぜた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
二十一階層《風の森林》編がスタートしました。
火山地帯とは一転して森林エリアですが、安全になったわけではありません。
むしろ視界が悪く、索敵が重要になる階層です。
今回はSiaのレンジャーとしての成長も少し描いてみました。
そしてラストで登場した灰色の瞳。
中層以降はゲーム知識だけでは説明できない変化も増えていきます。
Arcの違和感が何を意味するのか。
次回は《暗黒騎士》へ進化したCrowの戦闘回です。
War Cry、ブラッドドライブ、ラストスタンド。
新たな戦い方を手に入れたCrowが前線を支えます。
次回もよろしくお願いします!




