第35話 崩壊熱域
# 第35話 崩壊熱域
第十五階層へ続く階段前。
空気が既に熱い。
岩壁は赤熱化し、熱霧が薄く漂っていた。
通路脇。
焼け焦げた盾が転がっている。
表面は侵食され、金属が黒く変色していた。
「……これ」
Rainが眉を寄せる。
「中堅PTの装備だろ」
「撤退失敗か」
Crowが短く返した。
第十五階層。
Heat侵食域。
ここから先は、探索者すら環境に殺される。
吹き返した熱波によって、侵食濃度が瞬間的に跳ね上がる。
対策無しなら、数秒で意識を持っていかれる。
「普通のPTなら、十五階層は長時間戦闘しない」
Arcが端末を見たまま言う。
「侵食速度が早すぎる」
熱霧の奥。
赤熱した空気が揺れている。
侵食速度。
崩落地点。
熱流動。
Arcだけは、既に端末を見続けていた。
指が止まらない。
Rainの荒い呼吸。
Crowの集中低下。
Garmの耐久残量。
それすら。
Arcの中では、既に数値化されていた。
まるで。
戦闘前から、攻略が始まっているみたいだった。
「……また始まってる」
Rainが苦笑する。
共同ホール。
笑い声。
食事の匂い。
そういう場所に居る時より。
今のArcの方が、ずっと生きて見える。
攻略していない時間の方が、苦しそうだった。
「行くぞ」
Arcが短く言った。
◇
第十五階層。
階段を降りた瞬間。
空気が変わった。
肺へ熱気が張り付く。
息を吸うたび、喉の奥が焼けた。
《Heat侵食率 上昇》
《高濃度Heat領域》
赤熱した岩壁。
地面の亀裂から、溶岩みたいな赤熱光が漏れている。
熱霧は濃い。
視界すら揺れていた。
「……っぐ」
Rainが顔をしかめる。
装備が熱を持つ。
剣の柄すら熱い。
金具越しに、じわじわ熱が伝わってくる。
汗は流れる前に蒸発し、呼吸も浅くなっていた。
熱気で視界が滲む。
頭がぼやける。
思考が鈍い。
Heat侵食は、体力だけじゃない。
判断力まで削ってくる。
《リフレッシュ》
淡い光が、Aegis全員を包む。
肺へ張り付いていた熱気が、少しだけ軽くなった。
「……生き返る」
Rainが大きく息を吐く。
本気で危なかった。
あと少し侵食濃度が上がっていたら。
まともに動けなくなっていた。
「ここ、人が来る場所じゃねぇだろ」
「普通ならな」
Novaが端末を見ながら返した。
Garmも無言で盾を握り直す。
重装の内側は既に熱い。
それでも。
握る手は揺れなかった。
「反応近い」
Siaが小さく言う。
《Arrow Vision》
矢が熱霧奥へ消える。
「……反応デカい」
「十五階層の中ボスだろうな」
Crowが短く返した。
◇
熱霧の先。
巨大空洞が広がっていた。
天井は高い。
岩壁は赤熱化し、溶岩みたいな光が脈打っている。
地面の至る所から、熱気が吹き上がっていた。
「うわ……」
Rainが息を呑む。
熱気が違う。
呼吸するだけで、肺の奥が痛んだ。
一瞬。
誰も喋らない。
熱霧の揺れる音だけが、空洞へ響いていた。
その瞬間。
地面が揺れた。
低い振動。
空気が震える。
「来るぞ」
Arcが言った。
《プロテクション》
淡い光が、Crowの黒コートを包む。
《ヘイスト》
続けて。
CrowとRainへ支援が重なった。
身体が軽い。
熱霧の重さが、一瞬だけ薄れる。
「Garmで受けないのか?」
Rainが聞く。
「無理」
Arcが即答した。
「土龍の灼熱噴流は、受けタンク前提じゃない」
「直撃すると、装甲ごと焼かれる」
Garmも否定しない。
だから。
Crowが避け続ける。
「Crow。初動任せる」
「了解」
呼ばれるより早く。
Crowはもう動いていた。
次の瞬間。
地面が爆ぜた。
赤熱した巨体が、灼熱を撒き散らしながら現れる。
長い胴体。
黒赤い外殻。
灼熱の牙。
溶岩土龍。
「っは……相変わらずデカいな」
Cainが笑う。
だが。
視線は鋭い。
死にかける戦場ほど。
Cainは楽しそうだった。
「Garm前出るな」
Arcが即座に言う。
「Crow。ヘイトを取れ」
「了解」
《Taunt》
Crowが熱霧を滑る。
わざと、溶岩土龍の正面へ出た。
赤熱した瞳が、一瞬でCrowを捉える。
Crowは見ていた。
肩の動き。
重心。
地面の沈み。
突進前の予備動作。
だから避ける。
《Shadow Shift》
Crowの姿が、熱霧へ溶けた。
瞬間的に位置をズラす、Crowの高速移動スキル。
熱歪みへ紛れ込み、敵認識を滑らせる。
次の瞬間。
溶岩土龍が踏み込む。
巨大質量が地面を叩き、空洞全体が震えた。
赤熱した巨体が、熱霧を吹き飛ばしながら迫る。
速い。
巨体とは思えない速度だった。
巨大な顎が開く。
灼熱の牙。
直撃すれば、重装ですら噛み砕かれる。
だから。
Crowは受けない。
避け続ける。
《Shadow Shift》
身体が僅かに揺れる。
巨大な顎が、ほんの数センチ横を通り過ぎた。
灼熱の牙が掠める。
熱い。
頬が焼けた。
あと数センチ。
ズレていたら、頭ごと持っていかれていた。
空気が裂ける。
轟音。
衝撃で熱霧が吹き飛ぶ。
砕けた岩片が、周囲へ散った。
熱風が頬を叩く。
Crowの居た場所が、噛み砕かれていた。
Crowの呼吸が浅い。
紙一重が続くたび、集中力が削られていく。
ほんの一瞬。
判断が遅れれば終わる。
「避けタンクほんと気持ち悪ぃな……」
Rainが苦笑する。
「褒め言葉として受け取る」
Crowが短く返した。
「Rain右!」
「了解!」
《Quick Step》
Rainが加速する。
本当は怖い。
第十五階層。
普通の探索者なら、ここまで来ない。
でも。
置いていかれる方が嫌だった。
Arcは止まらない。
侵食速度。
敵位置。
崩落地点。
全部を処理しながら、前へ進み続けている。
その姿を見ていると。
行ける気がしてしまう。
それが、一番危険だった。
「Cain」
呼ばれる前から。
Cainは踏み込んでいた。
「おう!」
《疾駆》
Cainが床を踏み砕く。
爆発みたいな加速。
熱霧が吹き飛ぶ。
一瞬で。
溶岩土龍の懐へ潜り込んでいた。
大剣が振り上がる。
赤熱した外殻。
普通の斬撃じゃ通らない。
だから。
《裂崩》
叩き割る。
重い衝撃音。
Heat外殻へ、蜘蛛の巣みたいな亀裂が走った。
火花が散る。
衝撃で岩壁が軋む。
「Novaまだ撃つな」
「分かってる」
Novaが詠唱を維持する。
Novaの周囲で、熱気が渦巻く。
圧縮された魔力が、空気を震わせていた。
今ここで広域魔法を撃てば。
空洞内のHeatが暴走する。
吹き返した熱波で、侵食濃度が一気に跳ね上がる。
Arcはそれを読んでいた。
Arcの視線は、誰も見ていない。
敵位置。
侵食速度。
熱流動。
戦場そのものを見ていた。
負傷。
侵食。
崩落。
普通なら撤退する状況。
なのに。
Arcだけは、攻略ルートを組み続けている。
その瞬間。
地面が赤く明滅した。
「潜るぞ!」
Arcの声。
溶岩土龍が地中へ潜った。
床の亀裂が走る。
「右下!」
珍しく。
Siaの声が強くなる。
《Arrow Vision》
矢視点。
熱霧の奥。
溶岩土龍が潜行角度を変えていた。
「来る!」
「Crow左!」
呼ばれる前から。
Crowはもう動いていた。
《Shadow Shift》
Crowが熱霧を滑る。
その瞬間。
地面が爆ぜた。
赤熱した巨体が、Crowの真下を突き破る。
巨大な牙が、ほんの数瞬前までCrowの居た空間を噛み砕いた。
灼熱が吹き荒れる。
黒コートの端が焼ける。
だが。
Crowは止まらない。
半歩。
ほんの僅かに動き。
紙一重で躱していた。
溶岩土龍の尾が薙ぐ。
Crowは躱す。
だが。
吹き返した熱波で、足場が崩れた。
「っ――」
着地がズレる。
その瞬間。
巨大な尾が迫った。
《Guard Stance》
轟音。
Garmの巨盾が割り込む。
衝撃で床が砕けた。
熱風が吹き荒れる。
重装越しに灼熱が焼く。
それでも。
Garmは一歩も下がらない。
「……助かった」
「気にするな」
短い返答。
だが。
盾を握る腕は、熱で赤く焼けていた。
奥から熱波が吹き返す。
空気が一気に熱を持った。
視界が赤く歪む。
「っ――」
Rainの足が止まる。
無意識に、一歩後退っていた。
その瞬間。
溶岩土龍の尾が迫った。
「Rain下がれ!」
《プロテクション》
衝撃。
Rainの身体が吹き飛ぶ。
「がっ……!」
地面を転がる。
肺が焼ける。
視界が揺れる。
本気で終わったと思った。
Rainは荒い呼吸を繰り返す。
膝が少し震えていた。
「撤退した方がよくねぇか……!」
Rainが叫ぶ。
本音だった。
二体目なんて来たら終わる。
普通なら。
ここで引く。
「まだ行ける」
Arcは即答した。
少しも迷わない。
本気で死にかけている。
なのに。
Arcだけは、少しも焦っていなかった。
溶岩土龍が咆哮した。
次の瞬間。
奥から灼熱が吹き返す。
空気が焼ける。
肺が熱い。
足が重い。
熱を吸った装備が、体力を削っていく。
《リフレッシュ》
Arcの支援光が重なった。
呼吸が戻る。
視界の揺れが薄れた。
「……っは」
Rainは、
本気で安堵した。
「助かる……!」
Arcが居なかったら。
この環境だけで、戦闘不能になっていた。
「熱波来るぞ!」
Arcが叫ぶ。
「Crow下がれ!」
「Nova準備!」
「Rain右脚!」
「Cain叩き割れ!」
指示が飛ぶ。
誰も迷わない。
Aegisは、その声で動いていた。
「Crow。次壁へ誘導しろ」
「了解」
Crowが熱霧を滑る。
溶岩土龍が追う。
突進。
灼熱。
地面が砕ける。
その直前。
《Shadow Shift》
Crowの姿が消えた。
赤熱した巨体が岩壁へ激突する。
衝撃で空洞全体が揺れた。
岩壁が砕け、火花が吹き荒れる。
熱風が全身を叩いた。
巨体が止まった。
「今!」
Arcの声。
《Twin Edge》
Rainが飛び込む。
《裂崩》
Cainの重斬撃。
《Break Shot》
Siaの矢が、外殻の亀裂へ突き刺さる。
溶岩土龍の体勢が崩れた。
「Nova!」
「待ってました!」
《Mana Burst》
Novaの周囲で、魔力が膨れ上がる。
圧縮。
増幅。
瞬間的に魔法火力を引き上げる強化スキル。
熱霧の中で、空気が震えた。
熱気が渦巻く。
膨れ上がった魔力で、視界すら歪んでいた。
《Explosion》
爆炎。
灼熱が吹き飛ぶ。
赤熱した火柱が、溶岩土龍を飲み込んだ。
轟音。
衝撃で熱霧が吹き飛ぶ。
砕けた岩片が、周囲へ散った。
熱風が頬を叩く。
空洞全体が揺れていた。
「削れてる!」
Rainが叫ぶ。
いける。
このまま押し切れる。
そう思った瞬間だった。
Arcの視線が止まる。
違う。
熱流動が乱れていた。
侵食速度が急激に上がっている。
空気が重い。
灼熱そのものが、押し寄せてくるみたいだった。
「……待て」
Novaが端末を見る。
顔色が変わった。
《高濃度Heat反応 接近》
反応が増えていた。
一つじゃない。
一瞬。
誰も動かなかった。
熱霧の揺れる音だけが、空洞へ響いていた。
巨大な影が、熱霧の奥で立っていた。
巨大すぎて。
最初、
岩壁だと思った。
でも違う。
それが動いた瞬間。
Rainは無意識に、息を止めていた。
「……嘘だろ」
赤熱した巨腕。
黒鉄みたいな装甲。
全身の亀裂で、溶岩みたいな赤熱光が脈打っている。
灼熱巨人。
十一〜十九階層。
極低確率で出現する、ランダムエンカウントボス。
灼熱巨人が一歩踏み出す。
それだけで、空洞全体が軋んだ。
熱気が吹き荒れる。
まるで。
巨大な炉そのものが、歩いているみたいだった。
熱霧が重くなる。
呼吸が浅い。
灼熱巨人が居るだけで。
空洞全体の侵食濃度が変わっていた。
「……冗談だろ」
Novaの声が掠れる。
今までの環境とは、明らかに違う。
立っているだけで、侵食速度が跳ね上がっていた。
本気で死ぬと思った。
二体同時。
普通なら終わりだ。
でも。
Arcだけは、まだ端末を見ていた。
溶岩土龍。
灼熱巨人。
二体同時。
普通なら撤退。
でも。
Arcの脳は、既に攻略手順を組み始めていた。
敵速度。
侵食濃度。
生存時間。
処理順。
恐怖より先に、計算が回っている。
普通なら撤退。
でも。
Arcだけは、既に二体同時攻略を組み始めていた。
まるで。
この事故すら、攻略対象だと言うみたいに。
その横顔を見ていると。
怖いのに。
行ける気がしてしまう。
それが。
Aegisの一番危険なところだった。
そして。
Arcは短く言った。
「役割変更する」
第三十五話でした。
十五階層中ボス、
そして灼熱巨人乱入回です。
今回は特に、
Heat環境の危険さ
Crow避けタンク
Aegis連携
Arcの異常性
この辺を強めに書いてみました。
普通なら撤退する状況。
なのに、
Arcだけは攻略を続けている。
この空気感が、
今のAegisらしさかなと思っています。
次回は役割再編。
溶岩土龍、灼熱巨人の二体同時攻略戦になります。
読んでいただきありがとうございました!




