第33話 百階層の侵食
# 第33話 百階層の侵食
Aegisギルドハウス。
共同ホール。
深夜。
机の上には、
耐熱装備と飲みかけのエナドリ缶が並んでいた。
Rainはソファへ寝転がったまま、
ポテチ袋を漁っている。
「次絶対休みな。
俺もうHeat臭いの嫌なんだけど」
「お前毎回言ってるだろ」
Cainが笑いながら、
自分の武器を布で拭いていた。
Siaは壁際で矢筒を確認している。
Garmは盾の留め具を締め直していた。
Crowは端末でニュースを見ている。
『第八階層付近でHeat侵食増加。
探索者協会は不要不急の探索を控えるよう——』
「不要不急の探索ってなんだよ」
Novaが机へ突っ伏したまま呟く。
「全部不要不急にされそう」
「俺らは?」
「重症」
Rainが即答した。
共同ホールに小さな笑いが落ちる。
その少し離れた場所。
Arcだけは、
別の空気に居た。
複数モニター。
Heat流動ログ。
侵食率推移。
危険域到達予測。
指だけが高速で動いている。
「お前さぁ」
Rainが呆れた顔を向ける。
「ちょっとは休めよ」
Arcは返事をしない。
Heat流動。
侵食速度。
階層別温度変化。
脳内では、
既に複数の攻略ルートが組み上がり始めていた。
Novaは端末を見ながら、
無言でエナドリを開けた。
ぷし、と乾いた音が鳴る。
その瞬間だった。
《WARNING》
《UNKNOWN HEAT REACTION》
《Heat侵食率 継続上昇》
《Heat領域拡大予測》
一瞬。
共同ホールから、
笑い声が消えた。
Heatログ更新音だけが、
静かに響いている。
赤い警告文字。
第十一階層マップ奥。
今まで存在しなかった場所へ、
歪んだHeat反応が浮かび上がっていた。
Arcはモニターを見たまま動かない。
「Arc?」
Rainが呼ぶ。
返事が無い。
Arcの視線は、
赤いHeat波形へ固定されていた。
「……違う」
Arcが低く呟く。
「これ、
普通のHeatじゃない」
「何が違うんだ?」
Cainが武器ケースを肩へ担ぎながら聞く。
Arcがモニターを操作する。
第十一階層ログ。
Heat値。
侵食率。
赤い数値だけが、
異様な速度で増え続けていた。
Heat侵食部分だけ、
マップ壁面が赤黒く脈打っている。
「Heatは地形効果だ」
Arcが言う。
「熱霧。
継続消耗。
視界歪曲」
《Heat蓄積》
《継続消耗》
《視界歪曲》
「普通なら、
一定値で止まる」
だけど。
《Heat侵食率 継続上昇》
止まらない。
Rainがソファから上体を起こした。
「……止まらないって、
どういうことだよ」
「侵食そのものが、
Heatを増幅してる」
Arcの声は低い。
「このまま進めば、
第十一階層全域が高侵食Heat領域になる」
「高侵食?」
「普通の探索者じゃ生き残れない」
一瞬。
誰も喋らない。
PCファンの音だけが、
共同ホールへ響いていた。
「……百階層で見た」
Arcが低く呟く。
「百階層?」
Rainが振り返る。
Arcの視線は、
Heat侵食波形から動かない。
「サ終前。
百階層Heatレイド」
その言葉だけで、
共同ホールの空気が変わった。
百階層。
Aegisが最後に挑んだ、
サービス終了前の最終レイド。
崩れたボス奥。
赤い結晶。
Heat侵食核。
視界が赤く潰れ、
前衛の防具が熱で歪んだ。
Garmの盾は半分溶けていた。
RainはHPバーが残っているのに、
呼吸だけで動きが鈍った。
Novaの詠唱はHeatノイズで何度も途切れた。
それでも。
Arcだけは、
最後まで指示を止めなかった。
「核を壊すまで、
侵食は止まらなかった」
一瞬。
空気が重くなる。
「……つまり、
今回もあるのか」
Crowが低く言う。
Arcは数秒黙る。
そして。
「恐らく」
「場所は?」
Cainが聞く。
ArcはHeatマップを拡大する。
赤い侵食流動。
流れが、
一方向へ集中していた。
「この流れ方……
第十一階層で発生してるんじゃない」
「じゃあどこだ?」
「下層」
Arcの視線が止まる。
「恐らく二十階層付近」
「……二十階層?」
Rainの声が掠れた。
今の人類最深到達は第四階層。
二十階層なんて、
現実感の無い数字だった。
「無理だろ……」
「普通ならな」
Arcだけが、
モニターから目を離さなかった。
「二十階層ボス撃破後、
侵食核を破壊する」
淡々とした声。
まるで、
昔のレイド手順を説明しているみたいだった。
「お前ほんと壊れてる」
Rainが小さく言う。
怖い。
なのに。
Arcが居ると、
前へ出られてしまう。
昔からそうだった。
どれだけ無茶なレイドでも。
Arcが「行ける」と言うと、
Aegisは前へ進めた。
「放置すれば、
侵食は上へ広がる」
《Heat侵食範囲 拡大予測》
第十階層。
第九階層。
第八階層。
侵食予測が上昇していく。
Rainが顔をしかめる。
「マジでダンジョン壊れ始めてるじゃん……」
避難放送。
侵食拡大。
負傷者。
Heat火傷。
なのに。
Arcだけは、
Heat侵食速度の再計算を続けていた。
Heat逆流。
核位置候補。
侵食拡大速度。
Arcの脳内では、
既に攻略ルート構築が始まっていた。
世界は、
静かにダンジョンへ食われ始めていた。
◇
翌朝。
第十一階層前転移ゲート。
探索者協会によって設置された簡易中継拠点には、
大量の探索者達が集まっていた。
疲れ切った探索者。
担架で運ばれる負傷者。
Heat火傷。
侵食症状。
焦げた防具を抱えた探索者。
顔色の悪い回復職。
ロビーには重い空気が漂っている。
「第五階層閉鎖だってよ……」
「嘘だろ?」
「侵食止まんねぇらしい」
「協会何やってんだよ」
怒号混じりの声。
焦燥。
恐怖。
Heat侵食の原因はまだ不明。
攻略法も見つかっていない。
今の人類は、
ダンジョンに押され始めていた。
通路端には、
焼け焦げた盾が転がっている。
第九階層。
本来なら、
中堅探索者帯。
なのに。
「第四階層で全滅したらしい」
「Heat侵食で回復効かなかったって」
ロビー端。
探索者の女が、
震えながら包帯を巻いていた。
包帯の下。
皮膚が赤黒く変色している。
Heat火傷。
ただ焼けただけじゃない。
侵食で回復が遅れている。
その中を。
Aegisが通り抜けていく。
一瞬。
空気が止まった。
「……Aegis」
「マジかよ」
「十一階層行く気か……?」
「今のHeatで?」
誰も道を塞がない。
自然に人波が割れていく。
Arcは周囲を見ていなかった。
視線は既に、
Heatログへ向いている。
「お前、
あれ見てもログかよ」
Rainが小さく言う。
「見てる」
「嘘つけ」
「見た上でログ見てる」
Rainは何も言えなかった。
負傷者。
担架。
Heat火傷。
その全部を見た上で。
Arcは攻略を止めない。
それが少し怖かった。
◇
第八階層。
階段を降りた瞬間。
空気が変わった。
熱い。
肺へ入り込む空気そのものが、
熱を持っている。
息を吸う。
喉が焼ける。
熱い空気が、
内側から肺を炙っていた。
額から流れた汗が、
頬へ落ちる前に蒸発する。
壁面は赤く変色し、
一部は熱で歪んでいた。
Heat霧へ触れた部分だけ、
壁がじりじり赤熱していく。
以前の第八階層より、
明らかにHeat濃度が高い。
「……Heat上がってるな」
Crowが壁へ触れかけ、
すぐ手を引いた。
じり、と嫌な音が鳴る。
「前はここまで熱くなかったぞ」
Rainが顔をしかめる。
通路脇。
焼けたバックパックが落ちていた。
金属部分は半分溶けている。
中に入っていたポーション瓶は、
熱で割れていた。
「……撤退失敗か」
Crowが低く呟く。
壁面には、
爪で引っ掻いたみたいな跡。
Heat侵食が進んだ場所では、
装備すら長く保たない。
Rainは少し息を詰まらせた。
第八階層。
本来なら新人卒業帯。
なのに。
もう普通の探索者が攻略できる空気じゃなかった。
《Heat侵食率 上昇》
《Heat領域拡大》
「侵食が広がってる」
ArcがHeatログを確認する。
「第十一階層のHeatが、
上層まで漏れ始めてる」
誰もすぐには喋らなかった。
ダンジョンそのものが、
侵食され始めている。
《リフレッシュ》
淡い光が、
Aegis全員を包む。
肺へ焼き付くみたいだった熱気が、
少しだけ薄れる。
重かった呼吸が楽になった。
「……っは、
これだけで全然違うな」
Rainが息を吐く。
「Heatかなりマシ」
Siaも小さく頷いた。
「気持ち悪さ消える」
Novaが肩を回す。
「やっぱArc居ると楽だわ」
Cainが笑った。
普通の探索者なら、
ここで動きが鈍る。
だけど。
Aegisだけは止まらない。
Arcは回復していない。
そもそも、
崩れる前に支えていた。
◇
第九階層。
Heat濃度上昇。
赤い熱霧が発生し始める。
熱霧を吸い込む。
肺の奥が、
焼けるみたいに痛かった。
視界が僅かに歪む。
赤い熱霧が、
生き物みたいに通路を這っていた。
壁面が脈打つ。
Heatそのものが、
呼吸しているみたいだった。
「Sia、索敵」
「ん」
《Arrow Vision Lv1》
放たれた矢が、
熱霧奥へ飛んでいく。
矢視点。
赤い霧。
歪む通路。
熱で揺れる視界。
「……いた」
一瞬。
熱霧だけが揺れる。
その奥。
赤い輪郭が、
ゆっくり動いた。
Heat擬態。
「左二——待って、
もう一体右奥!」
「Heat逆流まで七秒」
Arcが即座に言う。
「Rain左寄れ。
Garm固定」
熱霧が揺れた。
次の瞬間。
通路全体へHeatが流れ込む。
「うおっ!?」
Rainの視界が赤く歪んだ。
床が崩れたように見える。
「下見るな!」
Arcが叫ぶ。
「Heat幻覚だ!」
百階層でも存在した、
視界誘導型侵食。
Rainの足が一瞬止まる。
その瞬間。
Heat擬態が跳んだ。
「Rain右!」
Arcの声。
双剣が、
ぎりぎりで爪を弾く。
火花が散る。
「っぶな……!」
「Garm前!」
「了解!」
《War Cry Lv1》
Garmの咆哮が響く。
Heat擬態達の視線が、
一斉にGarmへ向いた。
「下がるな!」
《プロテクション》
淡い光が、
Garmの重装を包む。
直後。
Heat擬態の爪が叩き付けられた。
衝撃。
Garmの身体が僅かに揺れる。
盾の表面が赤く熱を持つ。
「硬っ……!」
Rainが目を見開く。
もしGarmが崩れれば、
前線は壊れる。
Siaの索敵が遅れれば、
Heat擬態が後衛へ入る。
Novaの火力が遅れれば、
押し切られる。
そして。
Arcの指示が止まれば、
全員死ぬ。
「Rain、右三歩。
Cainまだ入るな。
Nova、五秒待て」
Arcが即座に指示を飛ばす。
Heat逆流。
視界歪曲。
敵位置。
Garmの耐久。
Novaの詠唱。
全部を、
Arcだけが同時に処理していた。
「……っは」
Cainが口元を吊り上げる。
「やっと殴れる」
《ヘイスト》
RainとCainへ支援が重なる。
身体が軽い。
熱霧の重さが、
一気に消えた。
「Sia右奥確認」
「見えてる」
《Arrow Vision Lv1》
矢視点。
大型Heat擬態。
熱霧裏で待機。
「三秒後Heat切れる」
Arcが言う。
「その瞬間焼け」
「了解」
Novaが魔力を集中する。
熱霧流動。
逆流。
壁面が赤く脈打つ。
「今!」
《Break Shot Lv1》
Siaの矢が、
Heat擬態の外殻を砕いた。
《瞬撃》
Cainが一瞬で間合いを潰す。
《裂崩》
大型擬態の体勢が崩れた。
《Quick Step Lv1》
Rainが熱霧を滑るように加速。
《Cross Edge Lv2》
交差斬撃。
Heat擬態の身体が裂ける。
「右奥動く!」
《Shadow Shift Lv1》
Crowの姿が熱霧から消える。
《Back Raid Lv1》
影みたいな斬撃が、
Heat擬態の背後を切り裂いた。
「Nova!」
「了解!」
《Multi Cast Lv1》
火球が複数展開。
《Explosion》
爆炎が熱霧を吹き飛ばした。
Heat擬態がまとめて消し飛ぶ。
爆炎熱が通路を揺らす。
「うお……」
Rainが息を吐く。
「今ちょっと死ぬかと思った」
「Heat流動ズレた」
Siaが短く言う。
「普通PTなら崩れてたな」
Crowが低く呟いた。
怖い。
なのに。
Arcの声が聞こえると、
前へ出られてしまう。
それが、
Aegisだった。
◇
第十一階層浅層。
一歩踏み込んだ瞬間。
全員止まった。
Heatが違う。
空気が重い。
呼吸するだけで、
肺の奥が焼ける。
壁面は、
脈打つみたいに赤く光っていた。
Heat侵食部分だけ、
生き物みたいに蠢いている。
音まで歪んでいた。
誰かの呼吸音が、
遠くから聞こえるみたいに揺れる。
赤い熱霧が、
こちらを見ている気がした。
ダンジョンそのものが、
呼吸しているみたいだった。
「……なんだよこれ」
Rainが小さく呟く。
返事は無い。
Arcだけが、
Heat流動を見続けていた。
熱霧の更に奥。
赤いHeat反応が揺れる。
《UNKNOWN HEAT REACTION》
《Heat侵食率 上昇継続》
《Heat領域 拡大中》
熱霧が、
逆流している。
「……なんだこれ」
Crowが低く呟く。
普通のHeatじゃない。
侵食率が止まらない。
Heatそのものが、
変質し始めている。
百階層でしか見たことがない。
最終侵食反応。
あの時と同じ。
核を壊すまで止まらない、
レイド最終フェーズ。
Arcは理解していた。
恐怖より先に。
解析を始めていた。
《Heat流動異常》
《侵食率上昇》
《未知反応》
その数値を見た瞬間。
Arcは確信していた。
――百階層レイドが、
現実で始まっている。
第三十三話でした。
今回はかなり、
「AegisというPT」の空気感を意識して書きました。
Heat侵食そのものも危険なんですが、
この作品で一番危ないのは、
たぶんArcです。
普通なら止まる場面でも、
攻略できるなら前へ進もうとする。
でも、
そんなArcだからこそ、
Aegisは百階層まで行けた。
Rain達も、
怖いと思いながら、
結局ついて行ってしまう。
そういう、
少し壊れた固定PT感をもっと出していければと思っています。
あと今回から、
Heatを少し“生き物寄り”にしています。
ただ熱いだけじゃなく、
ダンジョンそのものが侵食されている感じというか、
空間そのものが敵になっていくイメージです。
そして、
少しずつ出てきた「百階層」。
Aegisがサ終前に何を見て、
Arcがどう壊れたのか。
そこも今後かなり重要になっていきます。
次回からはいよいよ、
第十一階層深部側へ。
ありがとうございました。




