第113話 未知の門
#第113話 未知の門
二十四階層の風の草原を抜ける道は、前回よりも少しだけ身体に馴染んでいた。
朝露を含んだ草が靴へ触れ、風に揺れるたび、淡い緑の匂いが足元から立ち上る。遠くで滝の音が響き、Novaの肩ではシルフが機嫌よさそうに羽を震わせていた。
Cainは歩きながら、何度も斧槌の位置を直す。
「そんなに気になる?」
Rainが横目で見ると、Cainは当然のように胸を張った。
「新しい武器だぞ。気にならねぇ方がおかしいだろ」
「子供みたい」
「男は新しい武器の前ではだいたい子供だ」
Crowが前を見たまま低く返し、Garmまで小さく頷く。
「分かる」
「Garmまで!?」
Rainが目を丸くすると、Garmは少しだけ真面目な顔で盾の取っ手を握り直した。
「新しい盾は、落ち着かない」
「そっちは分かるけど、なんか違う気がする」
小さな笑いが風に流れていく。
けれど、二十五階層へ続く森が近づくにつれて、空気は少しずつ変わった。
草の匂いは薄くなり、湿った土と岩の匂いが強くなる。木々の間から見える岩山は、前回と同じように灰色の裂け目を開き、その奥から冷たい空気を吐き出していた。
洞窟の入口に立つと、会話は自然と止まる。
外の風が背後へ遠ざかり、湿った冷気と鉄を舐めたような匂いが代わりに流れてきた。前回、ここには鉱石を噛み砕く音が響いていたが、今は水滴が岩へ落ちる音だけが奥から規則正しく返ってくる。
Siaが先頭へ出る。
「反応は薄い。大きいのはいないと思う」
「進む」
Arcが短く告げると、Garmが盾を前へ出し、Siaがその横を滑るように進んだ。
洞窟の中は、前回よりも静かだ。
壁にはメタルリザードが削った跡が残り、銀色の鉱石が食い荒らされた場所だけが黒く湿っている。床に散らばった白銀輝鉱の欠片はほとんど回収していたが、それでも細かな粉が光を返し、足音に合わせてわずかにきらめいた。
Cainは一度だけ斧槌を握り直す。
使いたい。
その気配は、隣を歩くRainにも伝わる。
「今、壁を見て叩けるか考えたでしょ」
「考えてねぇ」
「考えた顔だった」
Mistがいれば同じことを言っただろうな、とNovaが小さく呟き、Cainは聞こえないふりをした。
やがて、前回メタルリザードと戦った空洞へ辿り着く。
巨体が倒れた跡はまだ残っていた。床の一部は沈み込み、砕けた鉱石の粉が薄く積もっている。Garmが盾を構えて受け止めた場所には、靴底が食い込んだ跡が二本、深く刻まれていた。
誰もすぐには口を開かない。
戦闘は終わっている。けれど、その痕跡は空洞のあちこちに残り、前回の重さを思い出させた。
Cainが斧槌を軽く持ち直す。
「次はもう少し楽に割れる」
それは強がりではなかった。
Arcも、Garmの盾とCainの斧槌を見てそう思う。装備は確かに更新された。だが、今の目的は試し斬りではない。
「Sia」
呼ばれる前から、Siaは空洞の奥へ視線を向けていた。
「こっち」
彼女が案内したのは、巨大な岩壁の陰だった。
前回はメタルリザードの巨体と戦闘の余波で見落としかけた場所。近づいてみると、岩の割れ目に隠れるようにして、人ひとりが通れるほどの細い道が奥へ続いている。
入口には、爪で削られた跡がない。
メタルリザードが通った道ではない。
Arcは岩壁へ手を置いた。
冷たく湿った岩肌の奥に、薄く加工されたような平面が混じっている。ただの自然な洞窟なら、こんな手触りにはならない。
ゲームの二十五階層には、こんな通路はなかった。
少なくとも、通常マップには。
Crowが狭い通路を覗き込む。
「戻りにくい場所だな」
「ああ。無理はしない」
Arcはすぐに答えた。
Garmが先頭に立つには狭い。Siaが先に進み、その後ろをGarm、Arc、Nova、Rain、Cain、Crowの順で進む。
通路の中は、外の空洞よりさらに空気が重かった。天井から落ちる水滴は少なく、足元の石も妙に平らだ。自然に削れた道ではなく、誰かが通るために整えたような幅が、奥へ向かってまっすぐ続いている。
「ここ、洞窟っていうより通路だね」
声を潜めたRainの横で、Novaは壁へ手を近づける。
「魔力が残ってる。古いけど、消えてない」
サラマンダーはNovaの肩で火を小さくし、シルフも羽音を抑えるように静かになった。
Arcは歩きながら、記憶を探る。
二十五階層の鉱石洞窟は、メタルリザードと白銀輝鉱を目当てに何度も周回された素材狩りの場所だった。だからこそ、どの分岐に何があるか、どこで敵が湧くか、どの壁に鉱石が多いかまで覚えている。
だが、この道は知らない。
知らないはずなのに、壁に刻まれた細い紋様だけが、妙に引っかかった。
奥へ進むほど、岩壁には金属の筋が混じり始める。白銀輝鉱に似ているが、鉱石そのものではない。石の中へ埋め込まれた古い線が、通路の奥へ向かって続いていた。
Lunaがいれば、きっと端末を向けて黙り込んだだろう。
Arcはそう思いながら、Siaへ目を向ける。
「記録は?」
Siaは肩の配信カメラへ軽く触れた。
「残してる。後でLunaに見せられる」
「頼む」
さらに進むと、通路の空気が一段重くなった。
水の匂いが薄れ、代わりに古い金属の匂いが濃くなる。足元の石はさらに平らになり、壁に走る細い線は床と天井にも広がっていく。
人工物かもしれない。
そう思った直後、Siaが足を止めた。
「線が集まってる」
床と壁と天井を走っていた金属の筋が、通路の奥で一つの紋様へ収束していた。円ではない。文字でもない。けれど、ただの装飾とも思えない形が、岩壁の奥へ沈むように刻まれている。
Arcはその紋様を見上げる。
知らない。
なのに、知っている気がする。
胸の奥に引っかかった感覚が消えないまま、さらに数歩進むと、通路が終わった。
その先にあったのは、扉ではなかった。
門だった。
洞窟の奥に埋め込まれるように、巨大な金属の門が立っている。高さはGarmの盾を縦に三枚重ねても足りないほどで、表面には白銀輝鉱に似た細い線が幾重にも走っていた。
周囲の岩肌は湿っているのに、門の表面だけには水滴がない。冷たい洞窟の中で、そこだけが薄く熱を持っているように見え、細い線は呼吸するみたいに淡く明滅している。
サラマンダーの火が小さくなり、シルフの羽音も止まった。
古びているのに、死んでいない。
門の中心には、淡い光がまだ残る。
「なんだよ、これ」
Cainが息を漏らし、Rainも「洞窟の奥に、門……?」と呟く。Crowはすぐ周囲を確認し、Garmは言葉より先に盾の角度を変えた。
「嫌な置き方だな」
Arcは答えなかった。
門の紋様を見た瞬間、頭の奥で別の記憶が動く。
通常マップではない。
攻略ルートでもない。
けれど、似たものを見たことがある。
しかも、思い出したくない方の記憶だった。
Arcの指が、杖を握る。
「……まさか」
Cainが振り向く。
「知ってんのか?」
Arcはすぐには答えなかった。
その時、音が消えた。
水滴の音も、遠くの風も、誰かの息遣いさえ一瞬だけ遠のく。
Siaが弓へ手を伸ばし、Novaの肩でサラマンダーが身を低くする。Garmは盾を構え、Crowの指が鎖へ触れた。
Arcだけが、門の紋様から目を逸らせなかった。
門の奥で、何かが動く。
ゴリ、ではない。
鉱石を噛む音ではない。
ガン。
硬い足音が、門の向こうから響いた。
もう一つ。
ガン。
それは四足の魔物の足音ではなかった。重く、遅く、けれど確かに二本の脚で歩く音だった。
Cainの斧槌に、白銀の線がかすかに光る。
門の中心で、淡い光が縦に割れた。
その隙間の奥。
黄色い瞳が、こちらを見た。




