第105話 砕く一点
# 第105話 砕く一点
ゴリ。
砕かれた白銀輝鉱が、喉の奥へ消える。
その音が、洞窟の奥でいつまでも残っていた。
Novaの肩で、シルフが羽を震わせる。
細い風はまだ床を這っている。
けれど、洞窟の空気は重い。
風の草原のようには流れない。
白銀輝鉱の欠片は少しずつ転がるだけで、全てを遠ざけるには足りなかった。
Novaの呼吸が、また少し浅くなる。
Arcはそれを見逃さなかった。
杖を握る指に力が入る。
今度は、迷わない。
「《マナヒール》」
淡い光がArcの杖から伸び、Novaの背へ触れた。
回復魔法の白とは少し違う。
水面に落ちる月明かりのような、静かな光だった。
Novaの肩から強張りが抜ける。
閉じかけていたシルフの羽が、もう一度ふわりと広がった。
床を這っていた風が強くなる。
白銀輝鉱の欠片が、巨体の顎から遠ざかっていく。
メタルリザードの黄色い瞳が、Novaを捉えた。
食べ物を奪う相手。
そう認識したように、低い唸りが空洞を震わせる。
Garmが盾を正面へ押し出した。
「来るぞ」
その言葉より早く、巨体が沈んだ。
前脚が床を削る。
鉱石片が弾け、湿った石の上を跳ねた。
次の瞬間、メタルリザードがNovaへ向かって突進する。
Garmが受ける位置へ入ろうとする。
だが、距離が足りない。
Crowが横から踏み込んだ。
「《ブラックチェイン》」
黒い鎖が床の影から走る。
一本。
二本。
三本。
巨体の前脚へ絡みつき、湿った床に黒い軌跡を刻んだ。
止まらない。
けれど、沈んだ。
ほんのわずかに、巨体の重心が崩れる。
外殻に擦られた鎖が、黒い火花を散らした。
Crowの肩が小さく沈む。
Crowの眉間に皺が寄った。
「三秒もたねぇぞ」
それで十分だった。
Arcの視線がSiaへ向くより早く、Siaはもう弓を引いていた。
狙っているのは、外殻の表面ではない。
鎖に引かれて重心が崩れた、その一瞬。
Siaの視線は、巨体の背を走った光を追っていた。
さっき鉱石を食べた時。
鈍い光が背中を走った。
その一瞬だけ、外殻の重なりが浮いた場所がある。
鱗ではない。
継ぎ目。
Siaの瞳が細くなる。
「見えた」
矢尻に淡い光が灯る。
「《ハンターマーク》」
放たれた矢は、傷を付けるためのものではなかった。
外殻の継ぎ目へ触れた瞬間、赤い印だけがそこに残る。
小さな印だった。
だが、洞窟の薄暗さの中で、その一点だけがやけに鮮明に見えた。
メタルリザードが鎖を引き千切ろうと前脚を振る。
黒い鎖が軋んだ。
金属を擦るような音が洞窟を削る。
Crowの足が半歩滑る。
Garmが盾を押し込み、崩れかけた正面を支えた。
その横を、Rainが抜ける。
《ヘイスト》の光はまだ足元に残っていた。
低く、速く。
湿った床の上を滑るように走り、メタルリザードの視界の端へ入る。
Rainは攻撃しない。
あえて、赤い印とは逆側へ回った。
「こっち」
短い声。
メタルリザードの黄色い瞳が動く。
尾が反応した。
床を削りながら、Rainへ向かって振られる。
Rainの身体が沈む。
次の瞬間、尾は彼女の身体を叩き潰した。
ように見えた。
残ったのは、薄い残像だけだった。
本物のRainは、すでに尾の外側へ抜けている。
「今!」
その一言で、Cainが動いた。
踏み込みたい。
ずっと抑えていた足が、ようやく床を蹴る。
湿った石が砕け、鈍い音が足元から跳ねた。
一歩目で距離が潰れる。
二歩目で、斧槌が肩の上へ上がった。
Cainの斧槌へ、サラマンダーの火が細く絡んだ。
燃え上がらない。
爆ぜもしない。
シルフの風が、その火を散らさず斧槌の打面へ押し留めている。
Novaの呼吸がまた浅くなった。
Arcの杖が、わずかにNovaへ向きかける。
だが、止めた。
Cainの一撃が届くまででいい。
それだけを支える。
黒い鎖が、一本弾けた。
バチン、と湿った空気を裂く音がした。
メタルリザードの前脚が自由を取り戻す。
だが、遅い。
Cainはすでに赤い印の正面にいた。
「《破断》」
振り下ろされる直前、洞窟の音が一つだけ消えた。
水滴の音も、鎖の軋みも、誰かの呼吸も。
Cainの斧槌だけが、赤い印へ落ちていく。
重い。
ただ振り下ろすだけでは足りない。
Cainは肩から先だけではなく、背中、腰、踏み込んだ足裏まで、全身の力を斧槌へ乗せた。
湿った床が、靴底の下で砕ける。
石粉が跳ねた。
サラマンダーの火が、打面へ細くまとわりつく。
シルフの風が、その火を逃がさない。
赤い印が、ほんの一瞬だけ強く光った。
音が変わった。
今まで返ってきていたのは、金属を叩く鈍い音だった。
だが、今は違う。
斧槌が落ちる。
洞窟の空気が震えた。
ガギィッ――。
外殻そのものが、悲鳴を上げた。
重い衝撃の奥で、何かがずれた。
外殻の継ぎ目へ、赤い火が細く入り込む。
シルフの風がそれを押し込む。
サラマンダーが小さく吠えた。
メタルリザードの巨体が初めて大きく揺れる。
Cainの腕に反動が返った。
斧槌を握る手が痺れる。
握力が、一瞬だけ抜けかけた。
それでも離さない。
「割れろ……!」
低い声が、歯の間から漏れた。
打面にまとわりついていた火が、継ぎ目の奥で細く伸びる。
シルフの風がそれを逃がさない。
押し込む。
さらに奥へ。
外殻の下で、何かが軋んだ。
次の瞬間。
ピシ。
洞窟に、今までとは違う音が響いた。
ゴリ、ではない。
鉱石を噛み砕く音ではない。
白銀の外殻に、蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。
ほんの一部。
まだ砕けてはいない。
だが、確かに割れた。
一拍、誰も動かなかった。
洞窟の奥で、水滴が一つ落ちる。
ぽたり。
誰も息をしない。
Dwalfが息を呑んだ。
「……そこだ」
鍛冶師の目が、亀裂の奥を見ていた。
「継ぎ目が開いた。芯まで届いてる」
Siaの指が、次の矢へ触れる。
Rainが尾の外側で笑う。
「ほらね、開いた!」
Garmは盾を構え直し、Crowは切れかけた鎖を握り込む。
Novaの肩で、シルフが震えながら羽を広げていた。
メタルリザードが、ゆっくりと顔を上げる。
その黄色い瞳が、初めて鉱石ではなくCainを見た。
亀裂の奥で、赤い火がまだ細く揺れている。
巨大な瞳が、その亀裂へ落ちた。
前脚がわずかに動く。
確かめるように、爪先が割れた外殻の近くへ触れた。
その瞬間、巨体の動きが止まる。
次の瞬間。
空洞が震えた。
メタルリザードが咆哮する。
金属板を引き裂くような音が、洞窟の壁を叩いた。
太い尾が暴れ、床の白銀輝鉱をまとめて弾き飛ばす。
天井から細かな石片が降った。
Garmが盾を上げる。
「下がれ!」
Crowの鎖が、一本、また一本と千切れていく。
Cainは斧槌を引き抜こうとする。
だが、亀裂の奥に噛み込んだ打面が一瞬だけ抜けない。
黄色い瞳が、Cainだけを見ていた。
Arcの喉が小さく鳴る。
成功した。
攻略法は合っていた。
問題は、ここから敵も変わることだ。
だからこそ、まずい。
メタルリザードの前脚が、Cainへ向けて振り上がった。
巨大な影が、Cainを覆う。
Arcの身体が、考えるより先に動いていた。




