第100話 風の草原
第100話 風の草原
翌朝。
風の都シルヴァリアの石畳は、夜の冷たさをまだ残していた。
ギルドホーム前を抜ける風が、Aegisの装備を小さく鳴らしていく。
今日、二十四階層へ向かうのは戦闘組だけだ。
Mistたち生産組はシルヴァリアに残る。
レオニスの使いは、すでに古い書庫へ向かっていた。
通信塔の記録も、イグニシアから持ち帰った転移魔法陣の資料も、こちらで調べることが山ほどある。
Arcたちが次の階層へ向かう間にも、風の都は少しずつ動き始めていた。
Mistは小さな紙をArcへ渡した。
青風草。
水晶花。
名前だけが、丁寧な字で並んでいる。
「青風草は葉の裏が少し光るから」
Mistは一つ目の名前を指した。
「水晶花は根元から。花びら、すぐ割れるから」
Rainは採取袋を腰へ留めながら、明るく返す。
「了解!」
「勢いで引っこ抜かないでね」
「そこまで信用ない?」
Mistは少し考えた。
「半分くらい」
「半分あるなら上出来」
Rainが笑うと、Siaが横で採取用の小さなナイフを確かめる。
「細かい作業は私も見る」
それを聞いて、Mistの肩から少しだけ力が抜けた。
その隣で、DwalfがCainを呼び止める。
「Cain」
机の上には、一本の武器が置かれていた。
いつもの戦斧ではない。
片側は斧。
反対側は、四角く重いハンマーになっている。
金属の塊が朝の光を鈍く返し、置かれているだけで机が少し沈んで見えた。
Cainが眉を上げる。
「なんだこれ」
「今日だけこっちだ」
Dwalfは柄の中央を叩いた。
「メタルリザードは斬るより叩け」
Cainは斧槌を持ち上げる。
腕に重さが乗った瞬間、表情が変わった。
「マジか」
Arcは武器の重心を見た。
「あいつの鱗は斬撃に強い。ゲームでも、斧職は打撃寄りに替えていた」
Dwalfが鼻を鳴らす。
「知識としては正しい。あとは、お前が味方を巻き込まなけりゃな」
Rainが一歩下がる。
「それ、横で振らないでね」
「当たらねぇよ」
Crowが無表情で返す。
「当たったら敵より先に味方が壊れる」
Cainは一瞬黙り、斧槌を肩に担いだ。
「気をつける」
素直だった。
そのせいで、Rainが少し笑った。
Arcは全員を見渡す。
「予定通りだ。二十四階層で薬草、二十五階層で中ボス」
短い指示に、全員が動き出した。
シルヴァリアを出ると、階層の空気はすぐに変わった。
二十三階層の都市を抜け、二十四階層へ続く階段を下りる。
石段の途中で、火山地帯の熱は完全に消えていた。
代わりに、湿った土の匂いが上がってくる。
草の青い匂い。
遠くで水が落ちる音。
階段の最後の一段を踏んだ瞬間、朝露が靴先へ跳ねた。
視界が開ける。
そこは草原だった。
一面の緑が、風に押されて波のように揺れている。
足元の草は柔らかく、踏むたびに露が散った。
小川が銀色の線のように流れ、白い花が群れになって揺れている。
遠くには巨大な滝があった。
岩壁の上から落ちる水が白く砕け、細かな水煙が風に流されている。
陽光がそこへ差し込み、淡い虹が滝壺の前にかかっていた。
水音は遠いのに、地面の奥まで低く響いてくる。
Rainが思わず足を止めた。
「わぁ……」
Siaはすぐに周囲へ視線を走らせる。
「視界が広い」
Novaは杖を握り、風の流れを追った。
「風属性が強い」
火山地帯とは違う。
空気そのものが動いている。
魔力も、風に混じって流れていた。
Cainは斧槌を肩に担いだまま、草原を見回す。
「ダンジョンって感じしねぇな」
「だから油断する」
Crowの返しは早かった。
「見晴らしがいい場所ほど、見えているものを信じすぎる」
Garmが盾を構え直す。
「隊列は維持する」
Arcは草原の奥へ視線を向けた。
ゲームでは何度も歩いた場所だ。
薬草ポイント。
小川の位置。
風狼の巡回ルート。
滝へ続く道。
記憶の中の地図が、目の前の草原と重なる。
けれど、完全に同じとは限らない。
百年前の都市も、現実化したダンジョンも、ゲームのままではなかった。
「あの辺りだ」
Arcは小川の先を示した。
Rainが横から覗く。
「また分かるの?」
「薬草ポイントは固定だった」
Crowが短く返す。
「変わってなければ、だろ」
「ああ」
ArcはSiaへ視線を送る。
先頭はSiaが取った。
草を踏む音が続く。
風は一定ではない。
背中から押したかと思えば、次の瞬間には横から草を倒していく。
しばらく進んだところで、Siaの足が止まった。
「前方、三」
言い終える前に、草むらが揺れた。
灰色の影が、低く走る。
風狼。
ウィンドウルフ。
細い身体に風をまとい、草の揺れと一緒に姿を隠す魔物だった。
一匹目は正面に出る。
二匹目は右の草へ沈む。
三匹目は大きく回り、いつの間にか風上を取っていた。
Siaの目が細くなる。
「風上に回ってる」
「匂いか」
Crowが低く言う。
次の瞬間、風上の一匹が口を開いた。
見えない刃が草を裂く。
風刃。
草の先がまとめて切れ、細い葉が宙へ舞った。
Garmが盾を前へ出す。
「受ける」
風刃が盾を叩いた。
金属音ではない。
薄い布を強く裂くような音が、盾の表面を走る。
Garmの足が、湿った土を少し削った。
「軽いが、数を受けると面倒だ」
Siaの矢が先に返る。
風を読むように放たれた矢は、正面のウィンドウルフの肩口へ刺さった。
動きが鈍る。
Rainは右へ滑っていた。
草の揺れだけを頼りに、潜んだ一匹の横へ回る。
「見えてるよ」
二連撃。
だが、風狼は身体をねじり、二撃目を風で流した。
刃が毛皮を浅く裂くだけで抜ける。
Rainの目が少しだけ見開かれた。
「避け方、いやらしい」
「風で逃がしてる」
Novaが杖を構える。
小さな火球が生まれるが、風に煽られて形が歪む。
それでも、牽制には十分だった。
炎を嫌ったウィンドウルフが横へ跳ぶ。
そこへCainが踏み込んだ。
いつもの戦斧より振り始めが遅い。
だが、踏み込みは重い。
「おらっ!」
ハンマー側が胴へ叩き込まれた。
鈍い音が草原に沈む。
ウィンドウルフの身体が地面を転がり、朝露を散らした。
Cainは斧槌を肩へ戻す。
「思ったより振りやすい」
Crowが残った一匹の進路を塞ぐ。
「その代わり、外すと隙が大きい」
「そこは言うな」
「言う」
Siaの矢が脚を止め、Rainが背後から入る。
最後の一匹が倒れると、草原にまた風の音が戻った。
派手な戦いではない。
だが、二十四階層の魔物が火山地帯とまるで違うことは分かった。
Siaは周囲を見渡す。
「群れはこれだけ」
Arcは斬られた草の先を見る。
風狼は風上を取る。
草に身を隠す。
風刃も使う。
ゲームで知っている情報と同じ部分もある。
だが、現実の草の匂いと湿った足場が混じるだけで、対処の感覚は変わっていた。
「進む」
一行は再び草原を進み始めた。
少し先で、Novaが足を止める。
彼女は杖を立て、小さく息を整えた。
「《契約》サラマンダー」
赤い魔法陣が足元に広がり、小さな炎の精霊が姿を現す。
だが、炎が安定しない。
風に煽られるように輪郭が揺れ、火の粉が細く流されていく。
サラマンダーが不満そうに尾を振った。
Novaは眉を寄せる。
「火が流される」
Arcは周囲を見る。
風は強い。
ただの風ではない。
魔力が混じっている。
「風属性の影響か」
「うん」
Novaはサラマンダーの炎を小さく絞った。
「火は弱まる」
Novaは風の流れへ手を伸ばす。
風が指先をすり抜けた。
冷たいのに、どこか柔らかい。
Novaは少しだけ首を傾げた。
「……不思議」
Rainが横から聞く。
「何が?」
Novaは風の流れる先を見た。
「風が近い」
それだけ言って、杖を握り直す。
サラマンダーがそこで、ふいにCainの方へ顔を向けた。
Cainは斧槌を肩に担いだまま、怪訝そうに眉を寄せる。
「なんだ?」
小さな炎の精霊が、ぴょんと草の上を跳ねた。
朝露が触れた場所だけ、白い湯気を上げる。
サラマンダーはCainの足元まで来ると、新しい斧槌をじっと見つめた。
「……気に入ったのか?」
Cainが笑う。
サラマンダーは小さく火を吐いた。
それから何事もなかったように、Novaの肩へ戻っていく。
Novaは少しだけ首を傾げた。
「珍しい」
Rainがサラマンダーを覗き込む。
「何が?」
「他の人に近づくこと、あまりない」
Arcもその様子を少しだけ見ていた。
だが、それ以上は何も起きなかった。
Rainは肩に戻ったサラマンダーをそっと見る。
「やっぱり調子悪そう?」
「不機嫌」
「分かるんだ」
「分かる」
サラマンダーが小さく火を吐いた。
Rainは一歩下がる。
「ごめん」
Novaの口元が少しだけ緩んだ。
やがて、Arcが足を止める。
ゲームの記憶では、この小川沿いに青風草が群生しているはずだった。
だが、見える場所には少ない。
Arcが眉を寄せた時、Siaが少し離れた低地を指した。
「あっち。風が溜まってる」
小川から少し外れた草地に、風が渦を作っていた。
その内側に、淡く光る葉が見える。
固定ポイントは同じでも、群生の中心が少しずれている。
現実の風向きが、薬草の場所を変えていた。
Rainがしゃがみ込む。
「葉の裏が光ってる!」
青風草だった。
Mistの説明通り、葉の裏がかすかに青く光っている。
強く引けば、根ごと抜けそうだった。
Arcは短く止める。
「根を残せ」
Rainの手が止まる。
「リポップ用?」
「ゲームではな」
Arcは草の根元を見る。
「現実でも、残せるなら残す」
Siaはナイフの角度を変えた。
「了解」
Rainも慎重に葉を摘む。
いつもの速さはない。
その分、指先は妙に真剣だった。
少し離れた小川沿いには、水晶花も咲いていた。
透明な花びらが、風に揺れるたび小さく音を立てる。
ガラスを爪で軽く弾いたような音だった。
Rainがそっと指を伸ばす。
「これ?」
Arcは確認する。
「それだ」
「根元から、だよね」
Mistの言葉を思い出したのか、Rainは慎重にナイフを入れた。
花びらは割れない。
採取袋の中へ、青風草と水晶花が少しずつ増えていく。
目的は達成できた。
Garmが周囲を確認する。
「戻るか」
Arcが答えようとした、その時だった。
Siaの手が上がる。
「待って」
全員が止まった。
風だけが吹いている。
さっきまで聞こえていた鳥の声がない。
草むらの虫の音も消えていた。
Crowがゆっくり周囲を見る。
「静かすぎる」
Arcも視線を上げた。
ゲームでは、この辺りにウィンドウルフが巡回していた。
小型の鳥型魔物もいた。
草むらには、もっと細かな気配があったはずだ。
だが、今は何もない。
Siaが耳を澄ませる。
「……滝の方」
Arcもそちらへ視線を向けた。
遠くで、何か音がした気がした。
風か。
水か。
それとも別の何かか。
滝の白い水煙が、風に流れている。
虹の奥。
そのさらに向こうは、ここからでは見えない。
Arcは少しだけ間を置いた。
「帰りに確認する」
Rainが採取袋を抱え直す。
「今じゃなくて?」
「今は採取を優先だ」
誰も異論はなかった。
風の草原を渡る空気が、少しだけ冷たく感じられた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
ついに100話まで到達そして15000PV突破しました。
毎日読んでくださる方、コメントや応援、★やフォローで支えてくださる方のおかげで、ここまで書き続けることができています。
本当に感謝しています。
100話では新たな舞台となる二十四階層へ突入しました。
これまでの火山地帯とは一変し、風属性の階層が本格的に始まります。
ここから先は新しい魔物や素材、そしてこれまでとは違う展開も少しずつ増えていく予定です。
まだまだAegisの攻略は続きますので、これからも楽しんでいただけたら嬉しいです。
引き続き応援よろしくお願いします!




