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空白  作者: 伊原亜紀
3/18

空白-3

 映画を観ようと思い、ベッドから起き上がりテーブルの上のノートパソコンを開く。パソコンは律儀にシャットダウンされていた。椅子に座り、電源ボタンを押してパソコンを起動する。

 一応メールを確認する。特に重要な連絡が来るわけではない。案の定特に重要なメールはなく、クーポンの期限切れが迫っているとの知らせがあっただけだった。メールを一括で削除して閉じる。

 月額制の動画配信サイトを開き、面白そうな映画を調べる。ランキング上位の物、評価が高い物、自分が見るべき物を探す。

 時間はたくさんあるのに、なぜかハズレを引きたいとは思えない。高評価の物の中に、面白そうな映画を見つける。一昔前のヒューマン映画の名作。おそらく誰でも名前を聞いたことはあるが、僕はまだ見たことがなかった。興味が湧き、映画の長さを確認し、ため息が出る。百七十分の長編。百七十分。そんなに長いものを見る気にはなれない。今は短くて、何も考えないで楽しめる物が見たい。アクション映画で検索をかける。パソコンの画面上に、逞しい体をした外国人たちが見出しになっている映画が並ぶ。結果的にいつもこういう映画ばかりを見てしまっている気がする。少し迷った挙句、一作を選びクリックする。逞しい体をした主演の俳優は売れっ子であり、彼が出ている作品は大概にして面白く、気楽だ。

 映画が始まる。僕は手にしたスマホを眺めながら、映画を見始める。インスタのストーリーが三つほど更新されていた。

 覆面を被ったテロ集団が登場し、街が破壊され、命と金が奪われる。爆音と炎、銃声と叫び声が飛び交う。この冒頭のシーンが、テロ集団の残虐性を簡潔に伝えてくれる。

 いつインスタを交換したかわからない女の子がカフェに行っている。生クリームが大量に載っている彩られたパンケーキ。パンケーキと一緒に笑顔を浮かべている彼女に、見覚えはない。

 次々と繰り返されるテロ。警察が彼らを止めるための手立てを考える。物語が順序よく、予想通りに進んでいく。

 ヤフーニュースで人気女性アイドルのスキャンダルが上がっていた。サークルの友人が好きなアイドルグループの一員だったので、その記事に目を通す。お相手は有名俳優似の振付師。有名俳優からしたら、そんなところに自分の名前が使われてしまうなんて災難だろう。その振付師が妻子持ちでもあるため、世間の反応は厳しいようだ。コメント欄には怒りが溢れている。自分と関わりのない他人の不倫というどうでも良いニュースに怒り、それをネットという世界に表現する人間がどんな生活を送っているのか僕は知りたくなる。不倫された経験のある人だろうか。不倫したくても出来ない人だろうか。そのアイドルに嫉妬心を抱いている人だろうか。ともかく、そんなことをする人間より自分はましだと思い、安心する。

 物語が進んでいき、ある違和感を感じる。画面に映し出される映像に見覚えがある。この映像を前に見たような気がするし、この会話も聞いたことがあるように感じる。何よりも、物語の展開に覚えがある。とは言っても、この手のアクション映画の内容はどうしても似通ったものになってしまうし、彼が主演の作品を僕は何作か観ている。僕はヤフコメ欄の怒りの声に目を通し、失笑する。

 物語が進行していく。警察はテロリストに対抗するために、主人公である彼を招くことにする。彼は、能力は高いが素行に問題があり、謹慎処分を受けている最中だ。気に食わない上司を殴りつけたらしい。しかし、市民の命を守るためなら、背に腹は変えられない。彼の出番だ。

 この国の経済指標がまた悪化したらしい。このままでは、2030年には新興国に抜かれるだろう。テレビとニュース記事の世界だけで目にする経済学者が、記事の中でそう述べている。そんな先のことまで心配している彼が、僕とは全く違う世界の住人のように感じる。ああ、経済指標が悪化しているんですね。そうなんですね。大変ですね。

 主人公の初登場シーン。狂乱のナイトクラブ。暗闇の中をカラフルな光が漂う。逞しい体をした白人男性が画面中央に映る。金色の髪の毛は短く切られ、ワックスで雑に立てられている。彼は鍛え上げられた体を白い半袖のシャツに包み、ジーンズを履いている。そんなシンプルな格好がまた、彼本来の魅力を引き立てる。彼は浴びるように酒を飲み、グラスを後ろに雑に放り投げる。彼の両脇には、彼に引き寄せられた、派手な格好の女が二人いる。金髪と黒髪。二人ともウェーブのかかった髪が、肩甲骨の辺りまで伸びている。素行に問題を抱えている彼の雰囲気が十分に表現される。酒と女。典型的だ。このシーンにも、当然のように既視感を感じる。

 スマホに目をやる。インスタのストーリーが更新され、ある飲み会の乾杯の瞬間の動画が「こんな時間から飲むなんてやばいて」という文字と共に流れる。投稿主を含めて、この動画に映っている五人全員がスマホを構えていたため、おそらく五人分の自意識がこの世界に放出されるのだろう。この五人全員とインスタを交換している人を気の毒に思う。

 物語は進行する。主人公の上司である白い髭を蓄えた中年の黒人、ヒロイン役だと考えられる金髪を短く切った白人の女警官が、彼を連れ戻すためにナイトクラブの中に入り、喧騒の中で彼を見つける。彼は黒髪の女の胸元を逞しい腕で抱きながら、金髪の女に激しいキスをしている。熱烈なる接吻。

 僕は物語の先を予想する。その様子を見た上司とヒロインは、呆れた表情をし、上司が「全くあいつは…」と呟く。

 三秒ほど後に、予想した通りのシーンが流れる。そして、疑念は核心に変わる。僕はこの映画を観たことがある。

 映像を止める。上司に連れ去られ、不満げな顔をした彼の顔がアップにされた状態で画面は停止する。僕はその顔を少し眺め、パソコンを操作し終盤の場面に切り替える。怪我をしたヒロインを守りながら、彼が銃撃戦をしている。僕はタブを消し、ノートパソコンを閉じた。

 冷蔵庫を開けるために立ち上がる。特別空腹を感じたわけではない。小さい冷蔵庫の中には、調味料とコーヒー、プレーンヨーグルト。それ以外は何も入っていなかった。食器棚からスプーンを取り出し、ヨーグルトを容器のままで食べる。食器に移すのが面倒だった。

 味のしないプレーンヨーグルトは僕が予想していたよりも、容器に多く残っており、食べるのに飽きてしまった。これからは、味付きを買おうと決心した。

 ヨーグルトの容器を机の上に置き、ベッドの上で仰向けになる。白い壁紙が貼られた天井を凝視する。汚れも何もないまっさらな天井。僕は瞼を閉じる。瞼の裏では、様々な感情が浮かんでは消え、漂い、炸裂する。その感情の羅列に耐えられなくなり、目を開ける。白い天井が目に映る。パーカーのポケットからスマホを取り出す。インスタを見る。ストーリーは更新されていない。動画アプリで切り抜かれたお笑い番組を見る。映像が終わる。先ほどまで存在していた感情の羅列が途切れていく。退屈だ。何をしよう。どうでも良い。気に食わない。どうしよう。面白い。くだらない。羨ましい。面白い。面白い。スマホの画面上では、似たような映像が流れ始める。

 何分経ったかはわからない。いつの間にか眠気を感じることができ、僕はうつ伏せになって光から目を背け、瞼を閉じた。瞼の裏では、先ほどまで見ていた映像がパッチワークのように再生されていた。

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