3-2 現実時間8
タイトル回収回。
3/1 前話(3-1)の差し替えに伴い、中盤に軽微な追記。
「なあ寧子?」
「なにかしら?」
「『浩太さん』ってどんな人なんだ?」
ぶーっ! 寧子は口に含んでいたほうじ茶を噴き出した。
霧のようなほうじ茶が浩太の顔にふりかかる。
「きたねーな……。ってか驚くほどのことかよ? お前は未来が見えるんだから、オレの質問なんて予め把握しているもんかと思ってたんだけどな。」
浩太が自分の顔をティッシュでふきふきしつつ訊ねる。
「最近はほとんど自分自身の予知はしていないの。今日だって軽く先を見通した程度で、何やら私が浩太に恥ずかしい話を熱弁している景色が見えたから、むしろなにがあるのかドキドキしながら来たくらいなのよ。
でもそう。そういうことだったのね。」と寧子は一人で納得してみせる。
「あなたが私に『浩太さん』の事を尋ねるから、私は張り切ってあれこれ話してしまうのね。ふふふ。」と嬉しそうに笑顔になる寧子。
それから寧子は顔を上げて、「私にとっての『浩太さん』の話。浩太はちゃんと聞いてくれる?」と真剣な表情で浩太に聞いてくる。
「お、おう。」背筋を正しつつもそう返事をする浩太。
そんな浩太に対し、寧子はこんなふうに語り始めた。
「ねえ浩太? 浩太は運命論って信じている?」
浩太はドキリとする。浩太は運命論を信じない。それには訳があって……。
浩太の返事を待たず、寧子の一人語りは続く。
「予知っていうのはね。運命論の延長線上にある超能力なの。特に100%予知についてはそう。世界はその初めから終わりまですべて決められた流れで動いていて、100年後の未来も1万年後の未来も全て予め定められている。
それはまさに運命論で、そして100%予知でもあるの。
たった一つの数式を展開することで世界が初めから終わりまでつまびらかになる。であればその計算を現実より早く演算できれば、それだけでもう予知は成立する。
これが私の持っている100%予知の本質なの。
けれどもそんな運命論を成立させるためにはある絶対条件があるの。
運命論というのはね、世の中を構成する全ての部分が、部分を組み合わせて作り出される全体と等価でなければ成立しないの。
宇宙を構成する原子、電子、更に分解した素粒子。これらの全てが100%演算可能で、全てが現実に対し一対一対応していて初めて、全てを演算した結果としての100%未来予知が成立しうるの。
だから運命論を否定したければちょっと考え方を変えるだけでいいの。
世界を構成する全体と、全体を構成する部分は等価じゃない、ってね。
私たちを構成する各部分には、全体に対してはさしたる影響もない無関係な要素が無数にあって、その中の一部分だけが全体への影響を持っているけれど、次の瞬間には別の要素が全体を支配する、そんな不安定なモデルを構築してあげるだけで、運命は簡単に否定されてしまうの。
これは人の心にとても似ているわ。人の心はニューロンとシナプスを組み合わせて網の目状に張り巡らされた格子の中を神経物質が行き来することで発生している。
この時、心はこれを構成するどの部分にもなく、ただ全体が全体として動いているというだけで『心』という一つの抽象的な概念を成立させているの。
いわば脳細胞という部分に対して、意識という全体はメタ構造にあると言えるわね。
この時、全体と部分はどれだけ等価だと言えるのかしら? 脳細胞の動きをコンピューターで全てエミュレートすれば意識が芽生えるのかしら?
量子力学レベルでの僅かな差違や干渉が、人の心の変化や動きにどれだけ大きな影響を与えているのかしら?
『偶然』と呼んでも差支えのない、脳の部分での予測の立たない乱雑な挙動が、意識の思わぬ変化に多大な影響をおぼしたりはしないのかしら?
意識をつかさどる各部分と、意識そのものである全体は、果たして本当に等価なのかしら?
世界をつかさどる部分と世界そのものである全体は等価なのかしら?
部分の総和と全体が一致しないモデルの中では100%未来予知は瓦解するわ。私の予知が成立する条件は部分と全体が1対1対応している場合のみ。もし全体を構成する部分の総和が常に全体そのものより大きく、私が見通す未来がその全体にのみ依存した予知であった場合、全体に影響を及ぼす部分が変化した瞬間に予知は失われるわ。
全ての部分を計算出来ていない未来予知は100%の予知ではないのだから。
そして私自身の予知は私という人間そのもののレイヤーが固定されているから、どのみち意識という全体にのみ依存している事は自明の理なの。
あとは私という意識をつかさどる下部構造が全体と等価であるかどうかだけが問われているのよ。
ねえ浩太。これは言わば信仰に関わる問題なの。
私の100%未来予知は世界が全て演算可能であるという前提に立ってでしか成立しない。
けれども『浩太さん』は部分の総和と全体は等価ではないという信仰を告白してくれたの。
だから決して100%の未来予知を認めるわけにはいかないって。
だから今した説明は全部、未来で浩太さんが私に教えてくれた話の受け売りなの。
その話を聞いた初め、そりゃあ私も反発したわ。だって私は自分が予知能力者であるという自認があるもの。けれども何度も衝突しあって、いっぱいっぱい喧嘩もして、少しづつ理解し合ううちに彼の信じる世界も現実には成立しうると気付かされたの。
運命論に支配されない偶然の塊のような世界。部分と全体が等価ではない世界。100%未来予知が成立しえない世界。
未来は常に真っ白であると信じられる世界。
そんな世界の存在を私に示してくれたのが『浩太さん』なの。
例え私が100%正確な予知能力があったとしても、私自身がそれを信じることはできると教えてくれたのが『浩太さん』なの。
そういう世界を信仰しても、私は私のまま、今まで通り普通に生きていけるという事を『浩太さん』が教えてくれたの。
そうして彼と同じ世界観に身をゆだねたとき、私は自分が選ばれた特別な人間ではなく、ただの普通の女の子だって思えるようになったの。
私にとって『浩太さん』は特別な人。
私を特別じゃない女の子にしてくれた特別な人。
尊敬しているし、信頼しているし、愛しているし、何度未来を見返しても、常にあの人のそばにありたいと思っているわ。
けれどももう二度と会えない人。
あなたが鳴海 隆一を自らの手で撃退したおかげで、かなみとの間に起こる悲劇は完全に防がれた。
だからもう、この先あなたがどれだけ辛い思いをしたとしても、あなたが『浩太さん』になることは絶対にありえないの。
それはとっても悲しい事だけれど、とっても素晴らしい事だとも思っているわ。
私がどんな手を使ってでも救い出したかった可哀想な人。
例えその結果『浩太さん』自身が失われたとしても、他ならぬあなたが幸せになれれば私も幸せになれる人。
だから私はとても満足しているわ。
私にとっての『浩太さん』はそんな人よ。」
「そっか。」話の全てを聞き終えた浩太は感慨ぶかげに呟いた。
浩太にとってはおおよそ赤の他人としか思えなかった『浩太さん』。だが今、寧子の話を聞いて不思議とその男が今の浩太の延長線上にある未来の自分である実感が持てるようになっていた。
というのも……。
「なあ、寧子。お前が春休みにオレの前に現れたのって、もしかしてわざと?」
「ふふふ。そうよ。」寧子は嬉しそうにそう返事する。
「ああ。だってお前の話にあった部分と全体の話、それ、こないだの春休みに俺が思いついたアイディアだ。」
寧子はしたりと大きく頷く。
「まさにその通りよ、浩太。『浩太さん』の信仰のきっかけは、中学卒業の15歳の春休みに思いついた何気ないアイディアが元だと聞いているわ。
まさにあなたがそう思いついたから未来の『浩太さん』が私の予知を否定するきっかけとなるの。
本当はもっと早くにあなたと会いたかったわ。でもね? それをするとあなたの中の『浩太さん』因子は完全に消えてしまうの。
運命論を否定する前のあなたが私に出会うと、あなたは私の予知を完全に信じてしまうから。
でも、どうしてもそれだけは耐えられなかったの。
だからどうしても高校入学前の春休みまで私はあなたに逢う訳にはいかなかったの。
すごく長かったわ。すごく緊張したわ。うまくいくかどうかずっと不安だった。毎日胃の痛い思いをしてきたわ。
けれどもどうしても、私は春休みになるまであなたに逢う訳にはいかなかったの。」
「そっか。」浩太は不思議な気分になり、そう呟いた。
その日の晩、寧子が帰った後の一人の時間を、浩太はまんじりともせずじっと考え事をして過ごした。
ずっと前から少しづつ考えていたこと。圧倒的な寧子の予知を前に、それでもどうしても納得が行かず考えていたこと。それが今日、寧子より未来の『浩太さん』の話を聞かされて、なあんだと初めて全てが腑に落ちた。
浩太は100%予知が嫌なのだ。未来がすべて見通せて、世の中がどのように変化していくかがすべて見える世界が嫌なのだ。
そこには浩太の自我がない。
悩み、苦しみ、選択し、後悔し、そして時には成功の美酒に酔いしれる。
これらの全てがあらかじめ定められていた必然であったなら、浩太の人生はいったい誰のものになってしまうのだろうか。
浩太は自分で選びたいのだ。自分の人生を自分で歩みたいのだ。
そしてそう決意したとたん、寧子の予知は害悪にしかならないのだ。
恐らく『浩太さん』も同じ気持ちであったのではないかと浩太は思う。寧子の予知はすさまじい。未来を占えば100%必ず当たる。浩太ならぬ『浩太さん』だって、あんなとんでもないものを目の当たりにしてしまえば、自らの信念などグラグラになって風前の灯火であったに違いない。
それでも『浩太さん』は歯を食いしばって寧子を懸命に否定しようとしたのだ。そうでなければ、自らの人生に責任が持てなくなってしまうから。
自分の足で自分の人生を歩くために、100%予知を泣く泣く拒絶したのに違いない。
自立とは何か。自我とは何か。心の尊厳とは何か。自由とは何か。
そんな事にまで思いを馳せた浩太は、覚悟を決めた。かなみとの甘い時間も、寧子との気の置けない楽しい関係も、全てを引き換えにしても自らの心の独自性を手に入れたいと腹をくくった。
いつの間にか夜は明けていた。月曜の朝は無慈悲にも浩太の前に訪れて、浩太は重い身体を引きずりながら学校へ行く準備をしなければならなかった。
それでも不思議と、心は晴れやかだった。
それから少し日にちを空けて、浩太は寧子に頭を下げた。
「寧子。すまない。出来ればもう、お前の能力は借りたくないんだ。
かなみとのことは、自分一人だけで何とかしたいんだ。
そりゃあお前の予知の力は便利だよ。絶対失敗しない方法を毎回教えてくれて、スゲースゲー感謝してる。でもやっぱ、心情的に辛いんだよ。
自分の人生が一から十まで全部決められている気がして、すごく嫌なんだ。
だから俺は、自分だけの力で頑張りたいと思ったんだ。
寧子には色々感謝している。ガキで頭が悪すぎる俺が寧子の力なしにかなみとうまく付き合えたとは到底思えない。これから先もお前抜きではとてもうまくやっていく自信がない。
それでも俺は自分一人の力で頑張りたいんだ。
失敗することで得られる敗北感をばねに、自分の足で人生を切り開きたいなんてしょうもない事を考えているんだ。
だからもう、予知の力には頼りたくないんだ。
今までありがとう。でもこれからは一人でやらせてくれ。頼む。」
対する寧子は、泣きそうな顔になりながらもケラケラと笑っていた。
「いつかそんなふうに言われちゃうと思っていたけれど、それが今日だったのね。悲しいけれど、嬉しいわ。
こちらの方こそごめんなさい。色々嫌な思いもさせちゃっただろうけれど、いままで私に付き合ってくれてありがとう。
これ以上はもうあなたの邪魔をしないと約束するわ。
今までありがとう。」
それから寧子は浩太に近づき、その顔を浩太の顔に近づけるようにして……
ちゅっと唇を重ねるだけのキスをした。
「ごめんなさい、浩太。今のあなたの顔が『浩太さん』にそっくりで。話す内容も『浩太さん』にそっくりで。
どうしても自分の気持ちが押さえきれなかったの。
ごめんなさい。
じゃあね。」
顔を真っ赤にした寧子がそういうと、浩太が返事をするまえに後ろを向き、彼女はそのまま浩太の家を出ていった。
浩太は寧子とメッセのアドレスを交換していない。電話番号も知らない。どこに住んでいるのか知らないし、どうやって毎回浩太の家に遊びに来ていたかも知らない。
寧子と出会って5か月あまり。
いつでも寧子はふらっと浩太の前に突然現れて、なにやら騒ぎの元を沢山作って、いつの間にかすっといなくなる。それで不思議と成立していた、奇妙で不安定な間柄であった。
そんな寧子がある日突然来なくなれば、浩太はもう、二度と寧子と出会う機会を失った。
嵐のように猛々しく現れた寧子は、気まぐれなそよ風のように浩太の前を通り過ぎ、もう二度と彼女の風が吹くことはなかった。
浩太と寧子はこのようにして赤の他人へと戻っていった。




