第7話 弓衆の中で
弓衆の仲間たちとの関係は、少しずつほぐれていった。
まとめ役の松は、光義の技術を認めてからは素直に接してくれるようになった。口数は少ないが、稽古の後に「今日の射は良かった」と短く言ってくれる。それが最大の褒め言葉だと、一月で分かった。
(松さん、父上と同じタイプだ。口数が少ない分、言葉の重みがある)
仁助という年配の弓使いは、光義の矢羽根の改良に興味を持ち、詳しく聞きに来るようになった。五十代で目が悪くなりかけており、的中率が落ちてきていることを悩んでいた。
「目が悪くなると、どうしても照準が定まらん」
「目の問題なら、補うやり方があります」と光義は言った。「照準を目だけに頼らず、体の向き全体で合わせる練習をすれば、多少目が悪くても補えます」
「体の向き全体で?」
「弓を引いた状態で、体がまっすぐ的を向いているかどうかを確認する基準を作るんです。肩の位置、腰の向き、足の角度——それが揃えば、目を細めても的の方向はわかります」
仁助は半信半疑だったが、試してみると的中率が上がった。それから光義を「先生」と呼ぶようになったが、光義は「仁助さん、それはやめてください」と何度断っても止まらなかった。
(十七歳が先生と呼ばれるのは、さすがに居心地が悪い)
弓衆の仕事は戦だけではない。城下の警備、物見(斥候)、要人の護衛、そして時折、道三の密使としての役目もあった。
密使の役は光義には回ってこなかったが、松から内容を聞くことができた。美濃の外——尾張や近江への情報収集だ。
「道三様は鷹の目を持っておられる」と松は言った。「遠くの動きを読むのが誰よりも早い」
(史書で読んだ通りだ。道三の情報収集能力は際立っていた)
光義は松の話を聞きながら、頭の中で時代の流れを整理した。
今は大永三年(一五二三年)。光義が転生した年だ。この年、道三はまだ美濃国内での権力固めの最中にある。美濃の守護・土岐氏を傀儡にして実権を握り、やがて完全に土岐氏を追い出す——それが今後十数年の流れだ。
(俺が道三様のそばにいられるのは、三十年ほどになる。長いようで短い)
長良川の戦いは弘治二年(一五五六年)。今から三十三年後。今の光義の年齢からすれば、四十八歳のときだ。
(その頃には、俺は弓衆の大将になっているはずだ。史実通りなら)
史実は変えられないかもしれない。しかし、その中でどう動くかは自分で決められる。それが転生者として唯一できることだ、と光義は思っていた。
夜、兵舎で仲間たちが酒を飲んでいる輪に加わりながら、光義は窓から空を見上げた。
月が出ていた。この時代の月は、現代よりずっと明るく見える。光害がないから当然だが、初めて見たときは息を呑んだ。
(康介として見た空より、ずっときれいだ)
弓衆の誰かが歌を歌い始めた。聞いたことのない節回しだが、どこか懐かしい感じがした。
光義は杯を傾けながら、静かに歌を聞いた。
(ここで生きていこう。この場所で)
転生してから初めて、そう思えた。
(続く)




