第36話 稲葉山城落城
永禄十年(一五六七年)の秋。
織田信長が稲葉山城を落とした。斎藤龍興は城を捨てて逃げた。美濃は信長の手に落ちた。
雲八は五十九歳だった。
知らせが来た瞬間、雲八は稽古場にいた。矢を番えた状態で止まり、しばらくそのままでいた。
(来た。ついに来た)
稲葉山城——道三が作り上げた城。道三と初めて会った場所。雲八が「道三様の弓衆」として三十年を過ごした場所。それが今、信長のものになった。
(道三様……美濃が、あなたが認めた人のもとに渡りました)
弓衆は静かだった。
「大島様、どうされますか」と新八が聞いた。三十二歳になった新八は、弓衆の中核だった。
「信長に会いに行く」と雲八は言った。「一人の方がいい。まず話してみる。大島家がどうなるかは、その後で考える」
お玲に告げると「行ってらっしゃい」と言った。それだけだった。
「帰ります。必ず」
「知っています」とお玲は言った。「それより、着物が汚れています。着替えてから行きなさい」
(この人は本当にさらりとしてる)
着替えてから出立した。稲葉山——信長が「岐阜城」と改名したその城へ、雲八は一人で向かった。
道中、雲八はいくつかのことを考えた。信長にどう自分を売り込むか。弓衆の価値をどう示すか。大島家の立場をどう説明するか。
(商社マン的に言えば、これは営業訪問だ。相手のニーズを把握して、自分の価値を的確に伝える。それだけだ)
岐阜城の下に着くと、門番が止めた。名乗ると、少し間があった後で「少し待て」と言われた。二十分ほど待つと「通れ」と言われた。大島の名前は知れ渡っていた。
城の中は、修繕の最中だった。大工が走り回り、荷が運ばれていた。信長はその混乱の中に、まるで動じない様子で立っていた。
(続く)




