第35話 龍興の治世と、砂の城
永禄年間を通じて、美濃は少しずつ弱っていった。
龍興は遊興を好み、政を顧みなかった。重臣たちが好き勝手をするようになり、農民への税が重くなり、関の郷でも不満の声が上がるようになった。
雲八は弓衆の管理と、関の郷の守りに専念した。
永禄五年(一五六二年)の春。龍興から命令が来た。「美濃西部の国境付近に不穏な動きがある。弓衆で確認せよ」。
雲八は十人を連れて現地へ向かった。美濃西部は尾張に近い。信長の勢力圏に接している場所だ。
現地に着くと、確かに動きがあった。
街道筋で小競り合いが起きていた。美濃の地侍と、尾張の斥候らしき一団が対峙していた。地侍は十人ほど。斥候は七人。数は地侍が多いが、斥候の動き方が洗練されていた。
(これは尾張の正規の斥候だ。信長が美濃の動きを確認しに来ている)
(俺はここで、信長の斥候と戦うべきか?)
迷いが出た。龍興の命令では「確認せよ」だ。戦えとは言っていない。そしてこの斥候は——数年後、俺が合流することになる信長の人間だ。
「止まれ」と雲八は声を上げた。全員に向けて言った。「大島雲八だ。双方、武器を収めろ」
大島雲八の名前が効いた。地侍の一人が「あの方が来たなら」と言い、剣を収めた。斥候は動かなかったが、攻撃の姿勢も取らなかった。
雲八は斥候に向かって言った。「尾張から来たと見る。目的は?」
先頭の男が少し間を置いて言った。「美濃の道を確認しに来た。それだけだ」
「確認が終わったなら、帰れ」
「……分かった」
斥候が引き返した。地侍が「大島様、なぜ追わないのですか」と聞いた。
「追う必要がなかった。彼らは害をなしていない。確認に来ただけだ。それを追えば、余計な摩擦が生まれる」
(それに——この斥候は信長の人間かもしれない。傷つけたくなかった)
関の郷に帰り、龍興に「不穏な動きを確認したが、問題なく立ち去らせた」と報告した。龍興は「そうか」と言っただけだった。
新八が「あの斥候を追わなかったのは、なぜですか」と聞いた。
「将来のことを考えた」
「将来?」
「今日の敵が、明日の味方になることがある。今日の行動が、明日の関係を決める。敵と決まっていない相手を、必要以上に傷つけない」
新八はしばらく考えた。「……大島様の判断は、長い目で見ているんですね」
「長く生きると、短い時間で判断すると損をすることが多いと分かる」




