第30話 撤退と、二本の矢
道三軍の残党は、義龍軍に追われていた。
長良川の戦いから三日。雲八たち弓衆は山中を移動しながら、安全な経路を探していた。食料が残り少なくなっていた。夜は冷えた。仁助の膝が痛み始めていたが、本人は言わなかった。雲八が気づいたのは、歩き方がいつもと違ったからだ。
「仁助さん、膝ですか」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃない歩き方をしています」
「……少し。でも動けます」
雲八は新八に「仁助さんの荷物を半分持ってやれ」と言った。新八は黙って仁助の荷を取り上げた。仁助は遠慮したが、新八が「お願いします」と静かに言ったので受け入れた。
関の郷まで戻れば、大島家の地盤がある。義龍軍に「大島家は中立だった」と主張できる。道三様の弓衆として戦ったのは事実だが、義龍への積極的な抵抗ではなく「主君への義理」として説明できる余地がある。問題は、追撃隊がしつこかった。
山道を下りるところで、義龍軍の斥候に見つかった。
「いる。十人ほど」と新八が言った。前方の木陰に視線を固定させている。「こちらより多い。槍がある」
弓衆は七人。数は拮抗しているが、相手には槍が多い。接近戦になれば分が悪い。山道の幅が狭く、逃げ場がなかった。
雲八は迷わず言った。「射ろ」
弓衆が矢を番えた。雲八は先頭の人物を狙った。大将格だ。距離、六十歩。山道の斜面から上方に向けての射。
(角度が変わると照準がずれる。上向き射撃は矢が上に逸れやすい。少し下を狙う)
放った。先頭の男が倒れた。残り九人が止まった。
「もう一斉射したら、走れ」
雲八は次の矢を番えながら言った。弓衆が続いて射る。また二人が倒れた。残りが後退し始めた。
「走れ!」
弓衆が走り出した。追撃の声が遠ざかる。山道を一時間走り続けた。
それから半刻後、別の追撃隊に出会った。
今度は騎馬だった。山道を抜けて平地に出た瞬間、前方から騎馬が三騎駆けてくるのが見えた。逃げ切るには間に合わない。
「散れ! 木陰に入れ!」
弓衆が左右に散った。雲八は正面に立った。
騎馬三騎が迫る。鬨の声を上げながら来る。雲八は動じなかった。弓を構え、先頭の馬を狙った。馬を倒せば騎手は落ちる。落ちれば戦力が半減する。
距離、百歩。
(百歩先の的は——俺のお得意だ)
引き分ける。馬の速さを計算する。先を読んで狙う。放つ。
先頭の馬の前脚に矢が刺さった。馬が倒れた。騎手が落馬した。後続の二騎が慌てて左右に散った。その隙に弓衆が再び走り出した。
二騎目が追いかけてくる。雲八は走りながら振り返り、矢を番えた。
(走りながら射るのは型が崩れる。でも、この距離なら——)
放った。矢は騎馬の肩に当たった。騎手が体勢を崩した。馬が止まった。
平地に出て、しばらく走った後、追撃の音が消えた。
全員が足を止め、荒い息をついた。
新八が先に起き上がり、雲八を見た。「大島様、腕から血が出ています」
言われて気づいた。矢が掠っていた。深くはないが、左腕の外側に長い傷がついている。戦いの最中は感覚が鋭くなっていたから、気づかなかった。
「たいしたことはない」
「たいしたことはあります」
新八はためらいなく腰の布を解いて、雲八の傷に巻き始めた。
「お前、手当ての仕方を知っているのか」
「農民でしたから。畑仕事で怪我は多かったです」
傷の手当てをしながら、新八は言った。「道三様のこと、悲しいです」。声は淡々としていたが、手が少し震えていた。
「俺も悲しい」
「でも大島様は、ちゃんと生きてますよ。道三様が長生きしろと言ったから」
「ああ。だから生きる」
「俺も長生きします」と新八は言った。「大島様と同じくらい」
「九十三まで生きたら化け物だぞ」
「大島様がそれくらい生きそうだから」
雲八は苦笑した。それが、三日ぶりの笑いだった。辰之助が「笑えてよかった」と言った。松が「お前ら、笑える状況か」と言ったが、その顔も少し緩んでいた。
(続く)
大変申し訳ありませんが、続きはカクヨムからお願いします。
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