↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
百歩穿貫(せんかん)の再誕  作者: みぎみみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/20

第2話 この体の使い方

屋敷に戻ると、父が縁側で待っていた。


 大島重長。大島家の当主で、関の郷に根を張る中規模の武士だ。頑固で口数が少なく、弓を何より重んじる人物だった。康介の記憶にある父の印象は「怖い」の一言で、幼い頃から失敗するたびに無言で見つめられ、その沈黙が叱責よりもきつかったという。


 「遅かったな」

 「申し訳ありません。少し遠くの木を的にして、的中を確かめておりました」


 重長の眉が動いた。


 「遠くの木、とは」

 「百歩ほど先の、杉の幹です」


 沈黙。重長は息子の顔を、じっと見た。何かを確かめるような目だった。


 (値踏みされてる。この人、昔からこうだったのか)


 「……明日、見せてみろ」


 それだけ言って、重長は屋敷の中へ戻っていった。



 翌朝、稽古場に連れられた。大島家の稽古場は屋敷の裏手にあり、最長でも五十歩ほどの距離に的が設置されていた。兄ふたりもいた。長兄の又兵衛は二十歳で、真面目な顔をして腕を組んでいる。次兄の才蔵は十八歳で、にやにやしながら「光義、張り切るなよ」と小声で言った。


 (次兄、陽気な人だな)


 光義は弓を受け取り、的の前に立った。


 まず体の状態を確かめる。十五歳の体は細く、筋肉量は少ない。だが骨格はしっかりしている。引き分けの力は弱いが、それを補う「型の正確さ」で的中率を上げるしかない。


 現代弓道の「正面打起し」という射法がある。弓を正面に持ち上げてから引き分ける方法で、矢の軌道が安定しやすい。この時代の弓引きはほとんどが斜め方向に打ち起こす「斜面打起し」を使っているが、正面の方が引き分け時のブレが少ない。


 (試してみよう)


 弓を構えた。正面に持ち上げ、両腕を開くように引き分ける。息を止める。照準——放つ。


 的の中心を射抜いた。


 「もう一本」と重長が言った。

 もう一本。また中心だった。

 「五本、続けて放て」


 五本、すべて的の中心付近に集まった。最後の一本は的の芯から指二本分もずれなかった。


 重長は長い間、何も言わなかった。息子の射を見つめ、的を見つめ、また息子の顔を見た。


 「……射法が変わった」

 「少し工夫してみました」

 「どこで教わった」

 「自分で考えました」


 また沈黙。才蔵が「すごいじゃないか光義」と小声で言ったが、重長の一瞥で黙った。


 「今日からその射法を、お前だけの基本とせよ。変えるな。磨け」


 それだけ言って、重長は歩き去った。


 (口数の少ない父親だな……でも、認めてくれた。それで十分だ)



 稽古場に一人残った光義は、もう一度弓を構えた。


 頭の中には改良案がいくつも浮かんでいた。まず矢羽根だ。この時代の矢羽根は整形が粗く、回転が安定していない。もう少し羽根を薄く削って角度を調整すれば、矢の直進性が上がるはずだ。それから弦の素材。今使っているのは麻をより合わせたものだが、撚り方を均一にすれば弦のブレが減る。


 (やることは多い。でも時間はある——九十三歳まで、な)


 矢を番えながら、光義は苦笑した。


 九十三歳まで生きる予定の人間が、十五歳で焦る必要はない。ただし、ひとつだけ急がなければならないことがある。


 このころ美濃を治めているのは、斎藤道三だ。


 元は油商人から成り上がったという前代未聞の奸雄。史書には「美濃の蝮」と記され、謀略と戦略で美濃を手中に収めた人物だ。その道三が大島家に接触してくるのは、そう遠い話ではないはずだった。


 (道三様か……俺の知識では、あなたは三十三年後に息子に殺されます。長良川の戦いで)


 どうにもならないことを考えても仕方ない。


 今は弓を引く。それだけだ。


 風が稽古場を横切り、的が微かに揺れた。それでも矢は、まっすぐ飛んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。