第15話 命名の夜に
その夜、野営地の端で雲八(光義)は一人、空を見上げていた。
(大島雲八……俺がずっと好きだった名前だ)
前世で何度も読んだ歴史書に書かれていた名前。岐阜県関市の武将。九十三歳まで現役で弓を引いた伝説の人物。その名前が、今夜、正式に自分のものになった。
(なんか、こそばゆいな)
感慨とか感動とかいうより、照れくさかった。ずっと他人として憧れていた名前を、今の自分が名乗っている。
才蔵が隣に来た。
「光義——いや、雲八か。おめでとう」
「ありがとうございます、才蔵兄上」
「なんで急に敬語なんだ」才蔵は苦笑した。「まあいい。弓衆の大将か。父上も喜ぶだろう」
(重長の父上……どんな顔をするだろう)
「兄上は怖くなかったですか。初陣は」
才蔵は少し考えた。「怖かった。足が震えた。でも槍を持つと手が覚えてるんだな、体が。不思議なもんだ」
「私も同じでした。弓を持つと、手が動いていた」
「そういうもんだろうな」才蔵は杯を差し出した。「一杯やろう」
「ありがとうございます」
二人で飲んだ。
(才蔵兄上は、史書には名前が出てこない。ということは……この先、あまり長くない可能性もある)
考えたくなかった。でも、考えずにはいられなかった。
「才蔵兄上」
「ん?」
「あなたのことが、好きです。兄として」
才蔵は目を丸くした。それから照れたように頭を掻いた。「急にどうした。酒のせいか」
「いいえ。ただ、言っておきたかっただけです」
才蔵は少しの間、空を見上げた。それから短く言った。「俺もだ」
翌朝、道三に呼ばれた。
「昨夜はよく眠れたか」
「はい。おかげさまで」
「そうか。……雲八」
初めて、道三がその名で呼んだ。
「はい」
「お前に頼みたいことがある」
「なんなりと」
道三は少し間を置いた。珍しく、言葉を探している顔だった。
「義龍と、話してくれ。儂ではなく、お前が。あいつは儂の言葉には耳を貸さんが……まあ、試してみてくれ」
(道三様が、俺に頼んでいる)
光義は——いや、雲八は頷いた。
「承知しました」
結果がどうなるかは分からない。でも道三が頼んだ。それだけで、やる理由は十分だった。
(続く)




