第13話 尾張の嵐
天文十七年(一五四八年)。光義は四十歳になっていた。
(四十歳か……前の人生でも四十三歳で死んだから、もうすぐ「新記録」だな)
転生チートのおかげか、体は三十代前半の状態を保っていた。肌のつやも体の動きも、同年代の武将たちより明らかに若い。道三には「お前、老けんな」と何度も言われた。
その年の秋、尾張から信秀の軍勢が美濃に侵攻してきた。
織田信秀——のちに「信長の父」と呼ばれる人物だ。当時の尾張で最も勢いのある武将で、美濃への積極的な侵攻を繰り返していた。光義の知識では、この戦いは「第一次小豆坂の戦い」の頃と重なる。
(来た。この戦が、「雲八」という名の由来になる戦だ)
道三から出陣命令が出た。弓衆は前線の支援と後方からの射撃担当として参戦する。
(初陣か……いや、正確には初陣じゃない。小さな小競り合いには何度か出てる。でもこの規模は初めてだ)
出陣の朝、光義は弓衆を集めて言った。
「今日は死ぬな。戦に勝つために来ている。死ぬために来ているのではない。戦況が悪くなれば、迷わず退け。生きていれば次の戦ができる」
松が頷いた。仁助が「先生らしい言い方だ」と言った。辰之助は緊張した顔で弓を握り直した。
(辰之助、初陣か。気をつけてやらないといけない)
戦場に着いて、光義は初めてその規模を実感した。
両軍合わせて数千の兵。馬の嘶き、鎧の音、旗の揺れ。土煙が舞う。怒号が飛ぶ。
(……でかい。テレビで見る映像とは全然違う)
心臓が早く打っている。手のひらに汗をかいている。これは恐怖だ、と光義は自覚した。認めることが大事だ。恐怖を否定すると、判断が狂う。
「弓衆、高台へ」と松が命じた。光義たちは戦場脇の小高い丘に移動し、射撃位置を確保した。
平地の戦いを上から見下ろすと、流れが見えた。斎藤軍が押している。信秀の軍は中央で踏みとどまっているが、側面が薄い。あそこを崩せば——
(待て。俺の仕事は分析じゃない。矢を射ることだ)
弓衆が射を始めた。光義も矢を番えた。
的は人間だ。
(……これは、割り切るしかない)
商社マン時代に学んだことのひとつに「仕事の場で感情的になっても何も解決しない」というものがあった。それを今、適用する。今の自分の仕事は弓衆として戦力を発揮することだ。
矢を放った。
戦場の混乱の中で、光義は無心で矢を射続けた。一本、また一本。的確に、確実に。
午後になって、信秀軍の反撃が始まった。
(続く)




