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重厚な門をくぐると、月光に照らされた白い城壁が見えた。ブァルハイト公爵邸だ。
真白で巨大な屋敷は、穢れたものを拒むかのように冷徹さと荘厳な雰囲気を醸し出していた。
♢♢♢♢
戦々恐々しながら公爵邸に入った私は、豪華なお風呂に入れられ、軽い夕食を用意されて、夜も遅いからと公爵邸の客間に通され休むように言われた。
(???なんか思ってたのと違うな…?)
扉の前には公爵邸の騎士たちが控えており、窓の外を見るとグレンが展開したであろう魔術の気配がする。なんの魔術なのかわからないが、私にとって良いものではないのだろう。
(けど。なんかゆるくない?もっとしっかり地下牢とかで拘束されて、尋問とかもされるのかと思ったけど。)
今のところ、とっても至れり尽くせりだ。
「ふぅ…」
一人になった途端にどっと疲れが押し寄せた。窓際のソファーに腰掛けると、ナイトドレスの胸元をギュッと握りしめた。
誰も見ていない。その事実に気が抜けたのか、押し殺していた『前世の記憶』と『フィーネの記憶』が一気に押し寄せてきた。
不安と恐怖、絶望。負の感情が胸の奥から迫り上がってくる。せっかく食べた美味しい夕食も吐きそうだ。
「つっ…はぁ…」
ソファーにもたれかかり、目を閉じて眉根を寄せる。
今は記憶を整理することを優先しなければ。明日からどうなるのか分からない身だ。混乱のまま動くのはよろしくない。意識して感情を切る。
前世、幼少から会社員だった25歳までの記憶。そしてフィーネの幼少から今までの記憶。ーーあぁ、そうか、だからフィーネは。私は。
意識が浮上していくのが分かる。
「…はぁ…」
目を開け窓の外を見ると、大きな月がちょうど目の前にあった。その月にかかるようにグレンの銀色の魔力がキラキラと帯のようにかかっている。
「きれい」
その美しさにぎゅっと心が潰れそうだ。
「魔術かぁ…」
この世界は魔術によって発達している。平民も皆魔力を持ち、お湯ひとつ沸かすのにも魔力が必要だ。
そして歴代の聖女は光の魔術を使えた。傷を癒やし、病を癒やし、結界を張った。攻撃はできないが守りの力が強いとされている。
だが私は魔術を使えない。だから無能聖女と呼ばれているのだ。
術式は理解している。聖女だと言われた時に覚えさせられたのだから。ただ魔力をアウトプットする事が出来ないのだ。平民が使う道具の魔法陣にも。ーーつまり私は部屋の灯りすらともせず、お湯すら沸かせない。
だが前世の記憶を思い出した事で、精神も大人になったはず。アリステリア様が、魔術の訓練をすると言っていたし…
「やってみるか。」
そう言うと重たい体を引きずって、窓の側にあったランプの前に立ち、震える手を魔法陣に翳した。
(ここに魔力を注げば、ランプが付くはず)
目を瞑って手のひらに魔力を集める。
その瞬間ーー
前世の記憶がフラッシュバックした。
身体にぶつかる衝撃とひしゃげた車にエンジンオイルの油の匂い。そして、血の匂い。
フロントガラス越しに見た両親の血まみれの顔。
「さくら、ーーーーーーーー…。」
そして、この世界での記憶。
結界の綻びから現れた魔獣。逃げ惑う人々。引き裂かれ死んだ父と魔獣に咥えられ虫の息の母。
「フィーネ…、ーーーーーーー…。」
「うっ、あぁぁ…血が…いやぁっ」
二つの人生での同じ絶望と恐怖。脳裏にこびりついて離れない、ドロドロとした赤い血。あれは嫌だ。私から幸せを奪っていくーー。
気を抜くと悲鳴をあげそうになる。ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。歯を食いしばり恐怖が落ち着くのを待った。
「っつ…はぁはぁはぁ…」
無意識に息を止めていたのだろう。身体が酸素を求めて呼吸が乱れる。
口に手を当て、部屋の外の騎士に気付かれないように呼吸を整える。
どれくらい経ったのか、気がついたら窓の外に見えていた月が隠れていた。
月明かりがなくなり、部屋の中は真っ暗だ。
「だめだったかぁ…むしろ酷くなってるな。」
血と死の記憶が、私の中の魔力を抑え、外に出さないようにしている。
頭では理解しているのに、身体が、心が言うことを聞いてくれない。
(アリステリア様の魔術の特訓、どうしよう…)
フラフラと手探りでベッドにたどり着くと横になり体を丸めた。
「ふっ…」
じわりと目から涙がでてくる。
(ーー泣くなっ)
恐怖と絶望、孤独。
負の感情が溢れてくる。泣いても解決なんかしない。今までの人生で経験済みだ。
涙を拭うと、窓の外からきらりと銀色が見えた。灯のない中、グレンの魔力が優しくほのかに煌いていた。
「きれいなぎんいろ…」
そう言ったのを最後に、私の意識は沈んでいった。
♢♢♢♢♢
フィーネにあてがわれた客間の家具の影に、リオは潜んでいた。リオの家系は代々闇魔法を得意としており、影に潜み諜報活動など行うことができる。
今回の任務はクリス殿下から「悪女の正体を暴く為の監視と何かあった時の為の護衛」
だった。
(なるほど。)
涙を流しながら寝てしまった聖女に気配を殺して近づき、閉じた瞳に残っている涙を拭った。
(聖女の周りに調査の手が必要ですね。)
なぜ在学中に殿下や他の令息達を誘惑したのか。なぜ魔術が使えないのか。なぜーー。
(不思議な人だ)
リオはそう思いふっと笑うと影の中に戻っていった。
♢♢♢♢♢
「はぁ…。」
グレンは、空中に映像を映しながら額に手を当てソファーにもたれかかった。
もう今は何も流れてはいないが、先程までフィーネの部屋の中が映し出されていた。
初めは、クリスとアリステリアの中を引き裂き、聖女というアドバンテージで王妃にでもなるつもりかと思った。
実際、神殿と王家の関係を考えたらあり得ない話ではなかったし、ルピナス男爵が神殿に何度も訪問していたのは確認済みだ。
その後、他の令息にも手を出し始めた辺りから、ただの男好きかと認識を変えた。
だが今日の馬車の中の事といいそれも違う気がする。
そして、先程の様子。
(きっとあれが本来の彼女だ。一人で全て背負ってしまうタチなんだろう。何を抱えているのやら。それにしても…)
「綺麗な銀色ーーか。」
この魔力の色は恐怖の色だ。皆この魔力を感じる度に恐れ慄く。鋭く冷たい剣の色。
「あんな風に言われたのは初めてだな。」
グレンはもう何も映していない監視魔術を切ると、ふっと笑い窓から見える大きな満月を眺めた。




