9:二度としないで
ジットリと湿った空気が、澱んだ土のニオイを運んでくる。
久々に潜ったダンジョンは、かつて感じた冒険の記憶を呼び起こす。
「つっても、俺はおんぶに抱っこのポーターだったからな。冒険らしい冒険なんて、してないワケだけども」
誰にいうでもなく呟いて、テオは土壁を擦りながらダンジョンの奥を目指す。
彼はポーション用の瓶を得る為、例の僻地ダンジョン、その第一層にやって来ていた。
といってもモンスターを倒すと瓶をドロップするだとか、宝箱に瓶が入っているという話ではない。
「お、あったあった……はいはい、三本回収っと」
道ばたで屈んだテオは、片隅に落ちていた空き瓶を拾い集める。言うまでもなく、ポーションが入っていた瓶だ。
「ポーション用の瓶は使い捨てだけど消えてなくなるわけじゃない。みんな飲んだ後、その辺に捨てて行くんだ。前にダンジョン潜った時たまに落ちてたから今でも残ってるだろうと思ったけど、案の定だったな」
彼が瓶を用立てる作戦の第一弾。それがこの「捨て瓶回収作戦」だった。
「ここにも……おっ、ここにも! 行儀の良いパーティーは、まとめて捨ててくれるから助かる……あぁ、これは割れてるから使えないな」
落ちている瓶の全てが使えるわけではない。しかし、これまで誰一人として回収してこなかったゴミ同然の落とし物。その量は中々の物となる。
「まぁ、問題は……!」
テオは何かに気付き、頭を下げて身構えた。
敵だ! モンスターが……ジャイアントバットの群れが、すぐ傍にまで迫っている!
「俺がまるっきし戦えねぇってコトだな!」
一瞬の迷いもなく、即座に踵を返して走り出す。タイマンでも敵わない相手だ。群れで来られたら、ひとたまりもない。
「ンおぉぉーーーッ!!」
腹側に空き瓶の入った雑嚢を抱え、必死で走る。念の為にと手斧は持っていたが、腰から抜く余裕も、投擲する暇さえ惜しい。
「ひぃっ! ひいぃっ!!」
ジャイアットバットの羽音が近付き、また遠くなる。鋭い爪が、牙が、硬質な音と風切り音でテオを威嚇する。その内の何発かは、背中の革鎧を掠める感触があった。
「ぜぇっ! はァっ! ぜっ、ぜぇっ!」
角を曲がる……と、出口が見えた! 残り50m……それが果てしなく遠い。上り坂になっているのだ。
「げほっ! かはっ……! はぁ、はぁッ……!」
息が切れ、喉が張り付く。
足は重く、息を吸うことさえ難しい。
「……!」
一瞬、テオの脳裏を掠めるアイディア。抱えている空き瓶を捨てれば、もっと早く走れる。楽になれる!
だがその甘えを、彼は即座に掻き消した。
コレは捨てられない。とても大事な物だ。
これがあれば、メルルゥはポーションを作れる。これさえあれば彼女はやってくれる……やっていける!
「おあぁぁぁーーー……ッ!!」
最後の力を振り絞り、坂道を駆け登って、出口へ。
眩い外の光へとダイブすると、もうジャイアントバットは追ってこなかった。光を嫌ったのだろう。
「はっ……はっ、はっ……は、はっ……」
呼吸が出来ない。心肺機能が限界を超えている。
頭が朦朧として、目が霞む。手足はピクリとも動かせず、耳も機能を失って……。
「テオさんっ! しっかり、テオさん!!」
そこへ聞こえて来た、覚えのある声。僅かに動かせる目を動かせば、向こうからメルルゥが慌てた様子で駆けてくるのが見えた。
「何してるんですか!? せ、背中……酷いケガ……! ポーションです、早く飲んで! ほら、早く!!」
無理矢理に喉奥へポーションを流し込まれ、咽せながら嚥下する。
一本、二本、三本……と飲む内に身体が楽になり、呼吸も落ち着いてきた。
「ふぅ……助かったぜ。やっぱメルのポーションは良く効くなぁ」
「助かったぜ、じゃありませんよ! ホントに何してたんですか!! こんなボロボロになって……!」
自分では全く気付いていなかったが、どうやら背中にジャイアントバットの攻撃を何発も受けていたらしい。革鎧は切り裂かれて原型を留めておらず、服も背中側が大きく破れて、血に塗れ垂れ下がっている。出血量から考えて、かなりの深手だったのかもしれない。
「ちょっと危なかったかもな。でもホラ、成果は上々! 苦労した甲斐があったぞ」
抱えていた雑嚢を開いてメルルゥへ見せる。そこでは薄汚れたポーションの瓶が、ガチャガチャと音を立てていた。
しかし瓶を見た途端、彼女の顔色が変わる。
「まさか……これを集めるのに奥まで潜ってたんですか!? 最初に会った時、入口すぐの所でボコボコにされてたじゃないですか! 無茶ですよ、バカなんですか!? 命懸けで、こんな……!」
最後の方は言葉になっていなかった。零れる涙が、声を震わせ、邪魔をする。
「い、いや……わ、悪かったよ。相談もなしに危ないことしちまって。次からは、ちゃんと相談すっからさ」
「……二度と、しないでください」
「いや、相談を……」
「二度としないで」
「……分かった」
メルルゥは、言いだしたら聞かない所がある。
「もう、しねぇよ」
そう言って、泣き崩れたメルルゥの肩を叩く。
長く細く息を吐き、見上げた空は……今日も、青かった。




