6:初めてのご依頼(1000件)
フィオナは、それほど朝に強くはない。
しかし乙女は誰しも身嗜みを整えるのに時間が掛かる。なので仕方なく、早めに起きている。
日の出と共に活動を開始するメルルゥから遅れること暫し、どうにか起き出して暫くボンヤリする。
そして頭が冴え始め、メルルゥが水浴びから戻ると、それと入れ替わるようにして川辺へ。水の冷たさに身を震わせながら身を清めて行く。
本来ならば刮目すべきサービスシーンなのだが――。
「あら、私としたことが……」
川へ入る直前、着替えを忘れたことに気付いて引き返す。
「あれ、フィオナさん。どうしたんです? 随分早いですね」
「忘れ物よ……ごめんなさい、準備には少し遅れるわ」
朝食の準備は女子二人が担当している。と言ってもフィオナは食器を並べたりする程度なのだが。
「構いませんよ、今日くらい。ごゆっくり」
「――お言葉に甘えるわ」
短く言葉を交わし、再び川へ。
ことある毎に言い争う彼女たちだが、顔を合わせる度にバトルしているわけではない。精々一日に五、六回程度だ。
そして、今度こそ本当にサービスシーンがスタートする。
清らかな素肌を晒し、水と戯れるフィオナ。
乳メガネには貧相だの貧乳だのと言われており、概ね事実ではあるのだが……悪意のない表現を心掛けるなら、彼女は小柄でスレンダー。そして極めて均整の取れた身体付きをしている。
確かに各所の膨らみは控え目だ。しかし緩やかに波打つボディラインは女性的であり、細い手足や華奢な腰つきも保護欲を掻き立てる。そして生来の美貌と、抜けるように白く透明感のある肌は、まるで陶磁器のようであり――。
「……! そこに誰かいるの!?」
不意にフィオナが鋭い声を放った。
彼女が視線を向ける先には確かに何者かの影があり、それは慌てた様子でたたらを踏み、目を丸くする。
「うぇッ!? ふぃ、フィオ!? 何で……さっき戻ってメルと話してただろ!?」
そこに居たのはテオだった。
どうやらフィオナが忘れ物を取りに戻ったのを水浴び終了と勘違いし、ノコノコやって来たらしい。
「わ、悪い! えぇと、後ろ向いて……い、いや一旦戻るから!」
彼は数秒間目を泳がせた後、ワタワタしながら目を覆って背中を向けた。そして立ち去ろうとしたのだが……それをフィオナは呼び止める。
「別に構わないわ、そこに居なさい。私ならもう終わったから、交代しましょ」
そう言うと彼女は、身体を隠すことなく堂々と水から上がり、澱みのない動作で着替えを身に着け、悠々と立ち去った。
「もう平気よ。ごゆっくり」
「お、おぅ……」
去り行くフィオナの背を、テオは怯えつつ見送った。
てっきりボロカスに罵られ、泣くまでいびり倒されると思ったのに……。
「まぁ、助かった……か」
ホッと胸を撫で下ろし、自分も身支度を調えるべく川縁へ。
そして服を脱ごうとして、僅かにフィオナの残り香を感じ取り……。
「だあぁぁぁーーーッ!!」
頭を掻きむしると、そのまま川へ飛び込んだ。
――その頃。
「あれ……フィ、フィオナさん、どうしたんです!? か、身体中が真っ赤ですよ! 熱湯でも浴びたんですか!?」
「ま、まぁ……そんな所よ。貴女も気をつけなさい……死ぬかと思ったわ」
そんなことがあった日の午後――。
「よし、依頼を出すぞ」
「……は?」
ミカン箱で台帳を広げるフィオナへ、テオが言う。それを聞いた彼女は、小さく首を傾げて頭上に「?」を出した。
「別に依頼人が職員の知り合いじゃダメって決まりはないだろ? なら、俺が依頼しても構わない……だよな?」
「それは……そうだけど。でも、それって何て言うか……」
自作自演っぽい、とフィオナは言いたいのだろう。
気位が高い――即ち潔癖な精神性を持つ彼女は、それが引っかかるらしい。
「俺もちょっとどうかとは思うけど、禁止されてるわけじゃない。それに何もかもガチガチに規約で固めたら、どうしても必要な時に例外的な措置が取り難くなる。今回は、その例外的な措置が必要な状況だと思うんだけど……どうかな?」
「――分かったわ、許容する。それで構わない?」
ふぅ、と諦めの溜息をついたフィオナに、テオがニッコリと笑いかける。
何処にでもいる、ごく普通の青年が見せた、極めて普通の笑顔。
しかし彼をよく知る人物が見たならば「あ、悪いこと考えてる時の笑いだ」と言ったことだろう。
「よし、じゃあ依頼内容は洞窟内の空き瓶拾い。10本分を俺の所へ納品してくれたら達成で、報酬はリサイクル・メルポを4本ね」
「ん、分かったわ。じゃあ正式に依頼として受注――」
台帳へ依頼を書き込もうとしたフィオナに、テオが割り込む。
「その依頼を300件……いや、面倒だな。1000件分、発注するよ」
「はァ……!?」
声を裏返らせ、フィオナが呻く。
「えっ、いや1000件って……」
「ほら、冒険者ギルドの初心者向けクエストによくあるだろ、薬草採取とかさ。何回も受けられるクエスト、アレと同じさ。同じパーティーが数回分のクエストを同時に受けてくれても構わないから」
「う、うん……いえ、そうだけど……そう、なの!?」
混乱するフィオナ。必死に気持ちを落ち着かせ、冷静な頭でこのクエストについて考える。
空き瓶10本で、メルポ4本。リサイクルしたメルポは一本70円だと言っていたから、実質的な報酬は280円。普通なら、たった280円の為にクエストを受けるのは面倒だ。
しかし報酬がメルポ4本なら? どうせ買うアイテムを貰えるなら、ついでに受ける者は多いだろう。そしてその報酬を持って再びダンジョンへ潜り、瓶を回収して――これで循環が完成した。
そしてもう一つ。
達成に必要な瓶の回収数は10本……妙に少ない数だと思えた。しかも「同じパーティーが数回分のクエストを同時に受けて構わない」となれば、余裕のあるパーティーは必要以上に瓶を持ち帰る筈。
仮に100本持ち帰ったなら、10回分のクエスト達成報告が為されて――。
「――っ!!」
フィオナは思考の深淵から舞い戻り、テオの顔を見る。彼は相変わらず笑みを浮かべており――それは、とても悪辣な笑顔だと感じられた。
「こ、こんなの……卑怯よ! 空き瓶回収っていう大きなクエストを小分けにしてるだけで……!」
「いやぁ、俺もそう思うんだけどさ。コレを認めないって話になると、さっき言った薬草回収系クエストなんかは全部NGになっちゃうだろ? そしたら困るのはギルド関係者、ひいては初心冒険者になるんじゃないかなぁ?」
小狡い……なんて小狡い男だ。
フィオナはワナワナと唇を震わせた。
ルールの穴を突く、小悪党が如き立ち回り。
このように卑劣な方法を、曲がり形にも冒険者ギルド受付嬢である自分が認めるワケには――。
「この方法なら依頼達成件数300件なんて、あっという間だぜぇ?」
「……っ!?」
これは悪魔の囁きだ。
ネットリと耳朶を舐めるような声がジワジワと脳へ這い上がり、清廉潔白なフィオナの思考を汚染して行く。
「さァ、認めちまえよ。空き瓶拾いクエストを……その台帳に、書き込むんだ。なに、気にすることはない……回収系クエストなんて世の中にいくらでもあるんだ。その内の一つさ」
「う、うっ、うぅぅ……!」
羽ペンを持つフィオナの指先がブルブルと震える。
「真っ白な台帳に、依頼達成と書き込みたいだろう? どんどん埋まって行く台帳、達成されるノルマ……誰も迷惑しない、みんな喜ぶ。悪いコトなんて、一つもないんだ」
これを認めてしまったら、自分は、自分は……もう……っ!
「さぁ、そのペンで……」
「うあぁっ! うああぁぁぁ……ッ!!」
ペン先が、真っ白な台帳に――触れた。
「あっ……あぁ……!」
「クククク……毎度、どうも」
震えた字で台帳に書き込まれる空き瓶回収の依頼。
こうしてフィオナ・エル・シルフリードは、悪魔に魂を売ってしまったのだ。
しかし、彼女はまだ気付いていない。
テオに助けを求めた時点で、既に彼女は悪魔との契約を交わしていたことに。最早、逃げ場など残されていないことに……!
「さて、フィオは思いのほかチョロかったけど、肝心の冒険者がいまのペースじゃ足りないんだ」
悪魔ことテオは何食わぬ顔で、鼻歌交じりに考える。
依頼の準備は整った。しかしメルポが町でも売られるようになった現在、辺境ダンジョンを訪れる冒険者の数は落ち着きを見せていた。
「このままでも、どうにか達成出来るかなーって感じではあるんだけど……今後のこともあるし、もう一手間だ」
テオが向かったのはダンジョン入口を挟んで反対側に店を構える、メルルゥの露店。彼女はそこで、何かを作っていた。
「メル、お疲れ! 進行具合はどんな感じ?」
「そうですね。前から試作はしてたので大丈夫だと思うんですけど……試してみますか?」
そう言ってメルルゥが差し出したのは、お弁当箱に詰められたサンドイッチのセットだった。
野菜、肉、卵。三種類のサンドイッチがバランス良く、彩り豊かにキチッと整列している。
「んじゃ、遠慮なく……もぐっ!」
卵サンドに大きく齧り付く。
「うん、美味い!」
半分トロけた卵の食感と風味。そこへ油分の旨味と程良い塩気が加わって、噛み締める毎に口の中いっぱいに広がる――最高に美味いサンドイッチだ!
しかも――。
「よし、ちゃんと効果が出てる」
テオの指先にあった小さなキズが、不思議な輝きに包まれて治癒された。
「味よし、回復よし! メルポ・サンドの完成だ!」
お腹に溜まって回復までしちゃう、味付きポーションを調味料代わりに使った究極サンドイッチが、ここに誕生した!
「味も大丈夫そうで良かったです。自分で作った料理って、客観的な味の評価がよく分からなくて……」
満足そうな笑みを浮かべるメルルゥ。
実のところ、味付きポーションを食材として使うアイディアは以前からあり、一部の冒険者たちは既に調味料としてメルポを用いてもいた。なのですぐにでも作ることは出来たのだが、メルルゥは味に妥協を許さず、完成が少し長引く形となっていたのだ。
「滅茶苦茶ウマいよ、絶品だ。いつも思うけど、メルは料理上手だよな」
この言葉に嘘はない。料理人である父の影響か、彼女の作る料理はいつもテオの舌を楽しませてくれる。
料理上手で可愛くて優しくてオッパイ大きい……コイツ無敵なの?
「これを明日からの目玉にして冒険者を集めよう。今のところ、ここでしか買えないからメルポの(というかメルルゥの)ファンは、こぞって欲しがる筈だ」
「でも……」
少し申し訳なさそうにメルルゥが言った。
「このお弁当、メルポのように量産は出来ません。他の物も作りながらだと、一日に十か、二十か……それくらいが限界だと思います」
売り物とするには心許ない数。しかも生ものを使った食品なので作り置きも出来ない。
「ああ、大丈夫。これは足の遠退いた連中をここへ集める為の布石だ。底意地の悪い条件を突きつけてきた冒険者ギルドに、一泡吹かせてやろうぜ」
ニヤリと笑うテオ。それを見て彼をよく知る人物は、静かに呟く。
「また悪い笑いが出てますよ」




