17:ただ、それだけなんだ
そこに居たのは、仕立ての良い服に身を包む、三十代半ばの長い金髪の優男だった。
「お初にお目に掛かる。ゼノス・バリンジャーだ……どうぞ、そちらにお掛けになって」
よく通る低い声。不気味な迫力はあるが威圧的ではない、不思議な声色だった。
促されるままにソファーへ腰掛けるテオとメルルゥ。深く沈む座面が落ち着かない。眼前の重厚なテーブルには、もう既に何枚かの書類が置かれていた。
「ひとまず、飲み物をお持ちしよう。珈琲と紅茶、お好みは?」
「珈琲を」
「こ、紅茶で……お願いします」
二人が答えると一分と待たず、香り立つ珈琲と紅茶が準備された。
ゼノス自身も珈琲に口を付け、一息ついて……口を開く。
「本日、お二人にご足労頂いたのは、他でもない。あなた方のポーション――メルポの取り扱いについてだ」
ギクリとメルルゥが硬直し、手の中で紅茶のカップがカタカタと揺れる。
「ええ、先だって使者の方から、あらましは伺っております」
テオは何でもない風に受け流す。しかし額に滲む汗が、整えた髪の一房をハラリと落とさせた。
先日、二人の元を訪れた道具屋ギルドの使者。彼は道具屋ギルド東部支部への招待状と共に、当日の打ち合わせ内容を記した書状も携えていた。
そこにはメルポについて、今後は道具屋ギルドの管理下に置きたい旨と、その際の手続きや互いの取り分などが詳細に記されていた。
「お気遣いありがとうございます。おかげ様で、先に意見を纏めておくことが出来ました」
「そうですか、それは良かった」
テオとゼノス。予定調和という名の会話が、淡々と進んで行く。
「ではメルポについて、今後は道具屋ギルドに納品、我々の管理下で流通させていただく。また各種フレーバーについても同様で、独自製法による新商品も同様に扱う……それで、よろしいか」
道具屋ギルド管理下での流通。それだけ聞けば悪くなさそうにも感じるが、流通させるもさせないも道具屋ギルドの胸先三寸ということ。
流通は厳しく制限され、とても商売としてはやっていけない状況に追い込まれる。
「……勿論、それが当方にとって都合の良い内容であることは理解している。その見返りとして――」
ゼノスが既に置かれていた書類を指し示した。
「テオ・ヴァン・クロム殿には当ギルドの出店許可並びに各品目の取り扱い許可証を。メルルゥ・アンブローシア嬢には道具屋ギルド薬師の正規ライセンシーとしての資格を差し上げたい」
要するにテオには自由に商売する権利。メルルゥには道具屋ギルド認定薬師の免許証をくれてやる、とゼノスは言っているのだ。
テオに与えられる権利は、普通に入手しようとすれば数百万から数千万の価値があるもの。メルルゥのそれも難易度の高い試験を幾つもクリアしてようやくゲット出来る免許である。
つまり「この資格があればメルポ取り上げても食いっぱぐれないでしょ?」という話だった。
「非常に、ありがたいお話です」
ニコリとテオが笑う。
彼の許可証とメルルゥの免許。これがあればメルポなしでも店を持ち、彼女と二人、慎ましく平穏に普通の道具屋として十分に食って行ける。
書類には既にゼノスのサインが為されており、あとは自分の名を書くだけの状態。数千万円の許可証と、高難度の免許。それらが少し手を伸ばせば届く距離にある。
「ですが――お断りします」
「ほぅ」
テオの台詞に、能面じみたゼノスの眉がピクリと動いた。
「ふむ、見返りが不十分でしたか? では、その辺りを今からでも納得の行く形で――」
「いいえ、ゼノスさん。そうではありません。ご提示頂いた見返りは、我々には十分すぎる程の物です」
表情一つ変えないテオに、ゼノスが詰め寄る。
「では、何故? まさか意地やプライド、あるいは我々への反発心ですか? だとすれば……それは忘れた方が良い。一文の得にもなりません。貴方ならお分かりの筈だ」
ゼノスはテーブルに乗り出すようにして続けた。
「それに我々の立場も考えて頂きたい。メルルゥ嬢のポーションは未認可品。失礼ながら素人の作った薬品と同じ。道具屋ギルドとして、そのような危険物を流通させることが出来ない事情も考えて頂けませんか」
その一言にメルルゥがムッとした表情を浮かべるが、テオはそれを視線で制し、ゆっくりと口を開く。
「確かに貴方の言う通り。安全は、とても大切だ。特にポーションは生死を分ける土壇場で使われることも多い……そこで万が一、何の効果も出ないなんてコトになったら……大変ですからね?」
それは含みのある言い方だった。
どうしてテオがそのような言い方をするのか? メルルゥに理由は全く分からなかったが――何故かゼノスの表情が強張っている。
それに気付いているのか、いないのか。テオは調子を崩すことなく続けた。
「ポーションの安定的な品質と供給。貴方の……道具屋ギルドの目指す所は、そこですよね? 俺たちとしても、そこにケチを付けるつもりはない。こっちは端から貴方とケンカするつもりなんて、全くないのですから」
「……何が言いたいのです」
ゼノスが僅かに目を細め、メルルゥの額に汗が滲む。
「ゼノスさん、俺たちはね。このメルポで……みんなを笑顔にしたい。願いは、ただそれだけなんだ」
「……!?」
表情が読み難いゼノスの顔に、明らかな動揺が浮かぶ。
テオの意図が、分からない。
テオ・ヴァン・クロム――彼のことは徹底的に調べ上げた。
ごく普通の農村出身。両親と死別し、孤児院で育つ。成人後は冒険者を志し、ポーター(荷運び役)として活動。独立後はソロの冒険者として短期間の活動後、メルルゥ・アンブローシアと合流。
秀でた所はないがリアリストの商売人。金銭事情に厳しい中で過ごした期間が彼の人格形成に影響したと思われる。
そんなテオが、この場で子供のような理想論を語る意味。味が良いだけの非認可ポーションを推す意味。
ゼノスには、それが……分からない。
「貴方たちは安心と安全。俺たちはみんなの笑顔。だったら話は簡単だ……メルポは、諦めるよ。一切作らないし、売りもしない」
「なっ……!?」
ますます意味が分からない。だったら最初から許可証と免許を受け取れば話は終わりではないか。
だが、そうなると――。
「だがそうなると、今度は貴方たちが困ってしまう……そうですよね?」
「……!」
ゼノスが低く唸る。
正規のメルポが出回らなくなった後、登場するのは乱造粗製の偽メルポだ。既に何種かの偽物は登場していたが、超効率を誇るメルポを真似ようとした結果、その品質は酷い物だと聞く。
そうなれば「正規品があれば」との話になるが、道具屋ギルドが正規品を規制していることになる。偽物を許し、正規品を封じる逆転現象。それを世間が許す筈もない。
「く……し、しかし……それでは……」
完全に相手のペースだ、流れを引き戻さなければ。
必死に突破口を探すゼノスだが、畳み掛けるテオの勢いに抗えない――口を挟む隙がない!
「だから俺たちは提案する。メルポの各種フレーバーについて……ライセンス契約を結びませんか」
「ライセンス契約……だと?」
思わず立ち上がるゼノスと、飄々と佇むテオ。そしてメルルゥだけが、冷や汗をたらたらと流して成り行きを見守っていた。




