正統審問
次回が長めかも。
「あ、匕首…………?」
何故そんな事を尋ねるのだろう。
襤褸は出していない……筈だ。今の所敵意や殺意は感じない。しかし何気なく尋ねてきたにしてはあまりにもピンポイント過ぎる。心当たりが無い奴は即座に返すべきなのだろうが、言葉の杭が心臓を射止めてしまったせいで言葉に詰まった。半ば強制的に進んだ流れによって、この場で俺が取れる選択肢は二つある。
匕首の存在そのものをしらばくれるか。
それとも存在そのものは承知の上で話を続けるか。
まずこの国に匕首は流通していない。俺も実物を見たのは初めてだ。だからしらばくれたとしてもエツナさんから見れば嘘にはならない。しかし実際には知っているので俺からすれば嘘になる。彼女が何も知らない前提ならどちらでも良いのだが、ここまでピンポイントな質問がまさか偶然とは考えられない。
―――何か、試されてるのか?
素朴な疑問というには鋭すぎる質問。裏の感情など微塵も感じ取れない純朴な瞳。もしや狙いなど無いのではという妄想も過ったが、最善手を考えている内にそんなものは須臾にして幻となり果てた。とにかく何か答えなければ。
沈黙は状況を悪化させるだけだ。
「匕首……いや、知らないですね」
「そうか。実は海岸に出向いた時から見当たらなかったのだ。貴殿が持って行ってしまったと思ったのだが、見当違いだったか」
「海岸に出向いた時? 袖に入れてるから落としたんじゃないんですか? まあその服の構造には詳しくないんですけど」
「ん?」
「ん? …………あッ」
語るに落ちた。
いつ如何なる時も等速で刻まれる秒針は静寂に満ちている時ほどけたたましく聞こえてしまうものだが、この瞬間だけはまるで家の音が全て遮られたかの様に静かで、時の刻まれる確かな音さえ聞こえなかった。
耳を塞いだ時に聞こえる筋肉の収縮さえ、今は虚無の狭間に木霊した。
「……何故それを知っているのだ」
「ああいや、えっと……その……えー。つまりですね、その……済みません。寝てる時にはみ出してたのが見えてしまって」
「正直だな。貴殿は私を得体の知れない人物と思っているだろうに」
「……結構鋭いですね。でも得体が知れないからこそ、変に隠すのは良くないかなって思ったんです。そりゃあまあ、物騒なもん持ってるなあとは思いましたけど、別にそれだけで悪人とは思いませんよ俺は」
得体が知れないというなら、俺自身もまた得体が知れないだろう。エツナさんは突然記憶を失い、道端に倒れた。そんな人物に手を差し伸べ、あまつさえ家にも泊める様な人間は親切すぎてむしろ怪しい。何か裏があると考えるのが普通の人間であり、そこは彼女も変わらない筈だ。
一つ屋根の下に暮らすは互いに得体の知れない人物。つまりは他人だ。親しい人物ならばいざ知らず、他人に対する評価は慎重に行う必要がある。単純なレッテル貼りは正に鏡。その単純明快な認識はいつか自分に返ってくる。
エツナさんはビロードの様につややかな瞳をじっと据えて俺の全身を視界に収める。妙な動き一つするだけで殺されるのではないか。殺意こそ感じないが、いやに説得力のある予感が冷や汗となって体中を伝う。
「……そう、か」
極限の緊張状態。糸が切れるのも時間の問題だったが、それを解きほぐしたのは他ならぬエツナさんだった。
「…………フっ」
彼女は鼻で笑ったかと思うと、景気よく笑い声をあげた。
「あっはっはっはっはッ。いやはや突然すまなかったな。もう大丈夫だ、安心した。貴殿が正直者で本当に良かったよ」
「……え」
何に納得したのかがさっぱり分からない。緊張の糸が緩んだ事もあり、疑問など感じる暇もなくそんな疑問は霧消したが。
「いやいや、気にしなくて結構だ。貴殿にはどうやら少しの心当たりもないと見た。何処で無くしてしまったのだろうな、全く」
「やっぱり海に向かってる最中に袖から落としたんじゃないんですか?」
「あれはあれで中々重さがある。落とせば忽ち音が響いただろう。そもそも私には家に置いていった記憶が確かにある」
「家に? どうせ鍵は掛かってないから入り放題でしょうけれど、俺の家にそんな珍しい物はないですから、空き巣ってのも考えにくいですね」
普通に暮らす分には不便が無いだけで、周りの家と比べると俺の家は貧相な部類に入る。材緣寺の巡回を潜り抜けてまで何かを盗もうとする様な空き巣が居たとして、何故実りの少なさが目に見えて明らかな家に入るのだろうか。ローリスクだからと言われればそれまでだが、リスクとリターンは常に比例関係にある。
この国で犯罪を犯す事自体がハイリスクなのに、わざわざローリターンな道を選ぶ神経は全く以て理解出来ない。行き当たりばったりなのが丸わかりだ。そしてそんな気まぐれな連中でさえも最低限の基準はあるだろうからやはり俺の家など狙うまい。
つまり、誰かが盗んだとしたらそこには確固たる目的がある筈だ。
「……その匕首。なんか凄い価値があるものだったりしますか?」
「いや? 至って普通の刃物だが」
死体に刺さっていた匕首はどんな色をしていただろうか。死体の存在に気を取られるあまり記憶が定かではない。エツナさんの所有していた物と同じかと言われればそうかもしれないし、違うと言われればそれまでかもしれない。実物を見たのはあれが初めてだ。他に匕首を知らない以上イメージが引っ張られてしまうのは不可避だとして……駄目だ。どうしても思い出せない。
「因みに何かの拍子に見つかったら取り戻してほしいですか?」
「当然だ。あれは私の物だからな。貴殿も何処かで見かけたら直ぐに伝えて欲しい。どうか頼まれてくれないだろうか」
「分かりました。見かけたら勝手に取り戻すかお教えしましょう」
「……度重なる親切に感謝する。一時でも貴殿に不信を抱いた私を恥じたいくらいだ。今すぐにでも切腹による償いを―――」
「それはやめて! 本気で!」
明日、蒔凛に頼めば凶器を見せてくれるだろうか。匕首の色さえ思い出せればそれが彼女の物かどうか直ぐに判別出来る……
待てよ。
普通に考えたら、凶器の持ち主は犯人だ。事情を話したとして蒔凛は理解してくれるだろうか。所詮は他人事な俺とは違って彼女は身内を殺されている。俺の伝え方にも因るだろうが、最悪エツナさんを取っ捕まえに行く恐れがある。
ひょっとして凶器が匕首なのは彼女を陥れる為だったりするのだろうか。しかし誰が何故そんな事を? 選挙の邪魔にもならなければ、彼女一人死んだくらいで治安は荒れない。
分からない事だらけだ。果たして期限までに俺は身の潔白を証明出来るだろうか。二つの事件を混合して考えているが、もう改める必要も無いだろう。最悪身の潔白が証明出来なくても事件を解決した功績で何とか……出来ると信じたい。
今日判明した事実もとい収穫があるとすれば、それは一つだ。
エツナさんは嘘を吐いている。




