妄想推理
「―――ッ!」
可愛らしい悲鳴をあげられるだけ蒔凛には余裕があるのだと思う。俺は声すら出なかった。あまりにも綺麗に、あまりにも呆気なく死んでいる光景が現実だと信じられなかった。しかし現実とは時に人間の想像を上回る。だからこそ『事実は小説より奇なり』という言葉まで生まれた。
脈絡もなければ必然性も無く運転手が死んだのも、紛れも無い現実である。
「………………ぁう」
死というものを初めて直視した―――否、意識した。身近な人間という程親しい間柄でもないが、ここまで俺達を運んでくれた恩人である。ほぼ他人と言って差し支えない間柄と言われればそれまでだが、どんな他人であれ目の前で死なれると良い気持ちはしない。
知らず知らずのうちに殺害されたという衝撃から体内時計は壊れてしまった。再び動き出したのはいつ頃だろう。俺は心中時計の秒針を無理やり動かして思考を再開させた。
「なん、で……?」」
凶器は匕首。エツナさんもそうだがどうして一般流通していない物体がポンポン出るのだろう。最近のこの国は何かがおかしい。凶器が匕首だからと言って彼女を疑ったりはしていないが、しかし心当たりが彼女しかないのも事実。
―――でもこんな所に来るはずないしな。
そう。関係者じゃない人間に俺は居場所を教えていない。というか俺も道中で初めて目的地を聞かされたので、物理的に教えられない。全くの無実を示す物的証拠はないものの、状況証拠は明らかに彼女を第三者としている。
では仮にエツナさんが無関係だとして。誰が匕首で彼を殺したのだろうか。
「蒔凛。財閥連中はみんな匕首を護身用にでも持ってるのか」
反応がない。まさかこの一瞬で蒔凛まで……と最悪の不安が刹那を支配したがそうではなかった。蒔凛はしかと死体を目に焼き付けたまま固まっていたのだ。有り体に言うならば、完全に放心していた。
「おい、蒔凛」
死体処ではない。俺は蒔凛の方へ向き直ると、視界を遮る様に掌を翳して反応を確認する。全く反応してくれなかったので今度は肩を叩いてみるが、それでも反応が無かったのでしまいには指先で頬を叩いた。
「おい、おい!」
「…………」
「邦条蒔凛! しっかりしろ!」
時間帯にそぐわぬ大音声。もしここが居住区なら何らかの事件を危惧されて警察を呼ばれていただろう。張り詰めた空気を引き裂く爆音に蒔凛の両目がびっくりして大きく見開いた。死体に視線が行かぬよう立ち塞がると、彼我の視線が交錯する。
「な、何ッ」
「何じゃねえ。ボーっとしすぎだ。心配したじゃねえか」
最初の発言は訂正しよう。彼女に心の余裕などなかった。死はともすれば人を動揺させがちだが、蒔凛は明らかに俺以上に動揺していた。可愛らしい悲鳴を上げたから何だというのだ。彼女にとっては自分の身内が死んだのだ。よく考えるまでもなく、俺以上に錯乱するのは無理からぬ話である。
「……ええ、ごめんなさい。もう大丈夫。大丈夫だから、どいて」
「本当に大丈夫か?」
「こんな所で戸惑ってても何も始まらないもの。死体は情報って言ったでしょ。本当に死を悼む気があるなら―――少しでも情報を得なくちゃ」
不安定なお嬢様言葉が全く出てこなくなった時点で大丈夫では無さそうなのだが、行き過ぎた心配は当人にとってお節介となりかえって迷惑となる恐れがある。最後にもう一度目配せで確認した上で俺は横に退いた。後は必要に応じて助け舟を出して行こう。表情にこそでていないが、どうにも彼女は立ち直れていない。
「凶器は匕首……窓を割られた様子はないわね。フロントもサイドも無事。不思議な死体ね」
「お前等財閥は護身用に匕首を持ってたりするのか?」
「何を言ってるのかよく分からないけれど、護身用なら銃を持つと思うわよ。まあそこまで念入りに準備する程悪い治安ではないけどね」
「そりゃそうだな」
万が一にも生徒が第三者による悪意で負傷した場合国界選挙は中止になる。一般人に限ればそんなに効果は無いが、支配者を輩出したい財閥にしてみれば死活問題にもなる。故にこそ選挙でいがみ合っている財閥も、選挙が関わらないとなれば手を組んで惜しみなく協力しているのが現状だ。そのお蔭かこの国は屈指の犯罪率の低さを誇っている。比較対象は居ないが。
この背景に一番貢献しているのは『治安維持』を生業とする材緣寺と思われる者は多いが、一説によると『賭博』を生業にしている財閥のお蔭ともされている。彼等が違法の溜まり場を作らせないからこそ実現していると。
名前は忘れた。選挙に興味が無い弊害だ。
「運転手は外に出た所を殺されたんじゃないか? それで偽装工作の為に車内へ戻されたとか」
「むしろ危険な選択ね。指紋や衣服の繊維が発見されやすい状況を自分で作るのと一緒だもの。それに我が邦条財閥には私の命令を無視する人はいないわ。私が出ろと言わない限り出たりしない」
「……それ、トイレの時とか辛そうだな」
「事前に澄ませればいいだけの話じゃない」
それもそうだが。
軽く話の腰を折ってやると、蒔凛は段々調子を取り戻してきた。瞳に宿る悲哀ばかりはどうしようもないので、せめて推理には協力しなければ。
「材緣寺に気付かれた可能性ってのはないよな」
「気付いたならあの時点で捕まえるのではなくて? 確かに彼は学生じゃないから国界選挙には支障
無いだろうけど、人が殺されるってそれだけでも面倒事よ。言い方は残酷だけどね。特にここは材緣寺の施設の裏口……敷地内って言い換えても良いですわね。仮にそんな所で殺人なんて起きたら不利になるのは私達じゃなくて龍斗君よ。火のない所に煙は立たないけれど、煙があれば火を錯覚する人間は大勢いるわ。あまりにもメリットが無い」
「……でも匕首って一般には出回ってないよな」
「そうね、刃物集めが好きな人は知ってるけどそういう人は希少極まりないし……何よりあの人は刃物を愛していらっしゃるわ。俗な殺人の手段に使うとは考えにくいですわね」
「誰なんだよそのヤバい奴は。蒐集目的かもしれないが絶対取り締まった方が良いぞ」
現状で推理出来るだけはしてみたが、当然犯人は思い当たらない。あまりにも証拠が足りなさ過ぎる。警察が現場に到着して直ぐに犯人が分かるかと言われるとそうではないだろう。あからさまな犯人がその場にいるならともかく。
「……代わりの者を呼んでおくわ。それで貴方を家に帰してあげる」
「この死体はどうするんだ?」
「然るべき機関もとい私の所で調査させてもらう。何で殺されたのか……きっと彼も知りたいから」
そう言って蒔凛は携帯を手に素早く指示を出し始めた。一般人が聞いてはいけない情報が飛び交った気もするが、俺が都合良く忘れればいいだけなのでただちに記憶をデリートする。親しき仲にも礼儀あり。親しくなくても礼儀あり。やむを得ず漏らしてしまった秘密を聞き流してやるのがスマートな大人のやり方だ。
友人関係に変な溝は作りたくない。
蒔凛は携帯を閉じると、改めて運転席の中を覗き込んだ。
「…………十分くらいしたら代わりの者が来るわ。ついでに死体もその時に回収してくれるそうよ」
「―――大丈夫か?」
「御心配には及びませんわ。私はまず貴方の身の潔白を証明しなければいけませんもの。この程度、全然平気―――」
「じゃあどうしてまだ泣いてるんだ?」
「……へ?」
彼女がハンカチの角で目を抑えた。気づかなかったというのなら余程重症だ。心に余裕は戻ってきたが、それとこれとは話が別。余裕が生まれたからと言って悲しくない訳じゃないし、むしろ考える余裕とは感傷に浸る時間にもなる。普通の人間なら涙くらい出てもおかしくない。ましてそれが身内なら。
「あ、あら。本当。見苦しい所を見せたわね。ほんと、もう大丈夫。大丈夫だから」
「そうは見えねえぞ」
「大丈夫、大丈夫、大丈夫。大丈夫じゃなくちゃいけないの。私は将来当主になるんだから。だから大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫」
呪いの様に己を励まし続ける彼女の姿は何処か痛ましくて見るに堪えない。家の教育がそうさせたのかもしれないが、立ち直ってもいないのにそう振舞い、落ち込んでいるが元気そうに振舞うというのは心身を保つ上で最悪な行動だ。健全な精神は健全な肉体に宿るとも言うだろう。心と身体のバランスが合って初めて人は健康になる。バランスが崩れていたらそれは不健康でもなければ人でもないい。ある種のゾンビだ。
妙ちきりんな礼儀や形骸化した言葉遣いなどを教える前に彼女の家はそれを教えた方が良かったのではないだろうか。
気が付けば、蒔凛を胸の内で抱きしめていた。
「……弱音ならいつでも聞いてやるって言っただろ。全然大丈夫じゃないんだから強がるな。ここには俺とお前しかいないんだ……俺はお前に対して偏見は持たねえよ」
「―――蓮二」
優しく背中をさすり続ける。直後は困惑を露わにしていた彼女も、次第に自ら俺に身体を預けて丸まってしまった。
「……じゃあ、少しだけ。代わりの者が来るまでの間だけ。慰めて下さる?」
何もかも解決していない。俺の身の潔白を証明する方法はまだ見つかっていないし、新たな事件までもが起こってしまった。約束の一週間までにこの身がどうなるのか、それは神のみぞ知る結末だ。
しかし収穫が無かったという訳でもない。
これからゆっくり進めて行けばいい。俺には/蒔凛には信用出来る協力者が居るではないか。それを信じて行動すれば出来ない事なんて無い。誇張表現も甚だしいが、それくらい言い切れない奴が選挙を勝ち抜ける筈がない。だから蒔凛の代わりに俺が断言する。
俺の潔白も証明するし、運転手を殺した犯人も捕まえる。
狙うのは完全勝利だ。それ以外は何も望まない。
「蓮二の身体、大きくて暖かいですわね」
「……そういうのは冬に言ってくれないか。夏に言われてもムードとか無いぞ」
「フフッ、そうですわね。ではその時にでもまたお願いしようかしら」
「その為にも早く潔白を証明したいもんだな」
代わりの送迎車が来るまでの十分間。束の間の恋人気分を二人で共有する俺達だった。




