船上の決断 2
「キャァァ――――ッ!」
悲鳴と騒めきに顔を上げると、船首から飛び出す黒い物体――。
「なっ…」
ルーカスの目が見開いた瞬間、それは暗い海の中へ落ちた。激しい水音とともに大きな水飛沫が上がる。
「ば、馬鹿!何をやって…。カイト!船は…、上は頼んだ」
言い終える前にジャケットを脱ぎ捨て、ルーカスは真っ暗な海に飛び込んでいた。
「えっ、ええ――っ!殿下、殿下―!」
何が起こっているのか、ルーカスの影にいたカイトには分からなかった。
「上は任せてもらって良いよ」
狼狽するカイトを横目に、サミュエルは登っていった。
真っ暗な空、真っ暗な海。
船は、思った以上に高かった。
海面に打ち付けられ、深く、深く沈み込んでいく。
慌てて浮き上がろうと水を掻く。
だが、掻いても掻いても、海面にたどり着かない。
…待って、これ浮き上がってるよね?
潜ってたりして…。
美月には、真っ暗な海の中で判断できるものが無かった。何も考えずに飛び込んだが…、襲って来る不安――。
水を掻く手が、止まる。
――やばっ、息が…。
息苦しさに、息を吐く。ごぼっと吐いた呼吸が泡となり上っていく。
――ああ、やっぱりこっちが上だった…。
ボーッと泡が上る行方を見つめた。
その時、頭上に明るい光が広がる。
刹那、体を後ろに引かれた。腕を掴まれ、有り得ない速さでそのまま一気に海面へと引き上げられる。
「――――っ、げほっ、ごほっ、っ、はっ…はっ」
呼吸が状況についていけず、咽せ込み乱れる。
突如、怒声が降ってきた。
何を言っているのかは分からない。だけど、聴き馴染んだ声。
「ルーク!」
精一杯振り返ると、そこにエメラルドグリーンの瞳があった。
何だか怒っている。そうして早口で捲し立てられている様だが、やっぱり何を言っているのか分からない。
「ごめん、ルーク。分かんないわ」
美月の言葉が何を言っているのか分からなかったルーカスも、やっと事態を飲み込んだようだ。すぐさま術をかけてくれた。
「ありがとうルーク」
美月はやっと安堵して相好を崩した。
「――――っ、ミツキ…」
ルーカスは堪らず美月を抱きしめる。
「…馬鹿、何やってるんだ…」
耳許で優しい声が聞こえる。
「えーっと、色々あったけど…、今はルークの腕の中?」
とりあえず、ルーカスの怒りは収まったようだ。美月は笑って誤魔化そうと上目遣いでその様子を探る。
「………」
ああ、何かまた間違えた?
ルーカスのエメラルドグリーンの瞳が見開かれ、その表情が歪んでいく。
「あの、ルー…」
開きかけた口をルーカスの唇が塞いだ。そのまま海の中に沈んでいく。
デッキに降り立ったサミュエルとジュールを見て、後ずさる男が一人。
「ジュール、一気に行くよ」
「御意」
デッキは出発直後という事に加え、ルーカスの魔法により巻きつけられた帆に対応する船員たちで、ごった返している。サミュエルはその間を縫うように駆け、男に近づいていく。ジュールは退路を塞ぎにかかった。
サミュエルが男に詰め寄ると、男は剣を抜いた。
途端に悲鳴が上がる。
逃げ惑う人々の怒号、慌てて誘導しようとするクルーの喚声。
そんなことなど意に介さず、サミュエルはじわりと男に詰め寄っていく。
塩風が吹き抜けた瞬間、その風に乗ったかのように男に一気に詰め寄り、鞘から抜き出した剣を喉許に当てる。剣戟が響く。男は辛うじて自分の剣でそれを塞いだ。
「ふーん。意外と出来るね。――で、誰に頼まれたんだい?」
「………」
「言わないか。まあ、そうだよね。でも、もう逃げられないよ?返事しだいで助けてもいいけど、どうする?」
「………」
「へえ、君、ちゃんとしてるね。さぞかし報酬は弾んでもらったんだろうね。…それが出来るのは、ハーヴェロードの上級階層かな?」
「…」
僅かに肩が揺れた。
「残念だよ。こんな形でなかったら雇ってあげても良かったんだけど。ちょっと貸しがいるんでね」
サミュエルは男の剣を絡め取るかのように跳ね上げ、そのまま男を袈裟斬りにした。男はそのまま手摺の向こう、海の中へと落ち、水飛沫とともに消えていった。
「おいっ、誰か落ちたぞー!船を、救助船を下ろせー!」
誰かが叫ぶ。その声にサミュエルは眉根を寄せた。
「えー、助けるの?――まあ、あの傷じゃあ無理だと思うけど」
せっかく致命傷を与えて海に落ちるようにしたのに。
口には出さずに独りごちる。サミュエルはジュールに目をやり、肩を竦めた。
ジュールはサミュエルの飲み込んだ言葉を察し、男の落ちた先を確認する。
「大丈夫でございましょう」
そうして、サミュエルに目を向けた。
カイトがデッキに着いたときには、サミュエルが既に男を追い詰めていた。
何も手出しができないまま、今この状況になっている。サミュエルとジュールのやり取りを訝しみつつ、クルーに指示を出す。
あと3人、美月を拐った男がいるはずだ。
再びルークの魔法により帆を張った船が、3時間遅れでルクタスへと出航していった。遅れてしまった分の積荷や乗客への保証はハーヴェロードで行うこととした。そのルクタスへの謝罪と保証内容を綴った書状を、遅れて到着したレナードが纏め終わったのが今しがただった事もある。それとは別に、落ちた男の行方を探していたのだった。
美月を拐った男のうち部屋に残っていた3人は、何も知らされていなかったようだ。手掛かりは海に落ちた男のみ。深手を負って海に落ちた。まず助からない。
持ち物から手掛かりを探したいが、しばらくは浮いてこないだろう、いや、このまま浮いてこない可能性が高い。この辺りの海溝は深く、そこにたどり着く前に強い潮の流れがあると漁師に聞いたことがある。男が自分の力で浮いてこない限りはそのまま流されて沈み、発見することも難しいだろう。
カイトが珍しく舌打ちをした。




