忍びよる影 9
店主はあいた口が塞がらなかった。いや、口を閉じることをわすれてしまったと言うべきか―――。
今日は朝から忙しかった。貸出ていた分の返却が重なったということもある。最後の客の止めのような急な変更要件になんとか対応し、やっと後片付けも終わり一息ついたところだった。
ざわつく店内にまた妙な客かと、入ってきた人物に胡乱な目を向けた。しかしその細めた目は見開くこととなり、火を付けようと取り出した煙管キセルを落としてしまった。
店内に入ってきたのは、焦げ茶色のサラサラストレートヘアーの青年。その持ち主の動きに合わせ、流れるように髪が揺れる、街ではちょっと見ることのない美丈夫だ。その茶色の瞳に宿る強い意志は、凛々しいその佇まいを一層引き立てていた。
その後に入ってきたエメラルドグリーンの瞳の美しい青年、ブロンドの髪は自ら光を放っているかの如く煌めいている。少し遅れて入ってきた、紺色の髪をふわりとなびかせる青年の紫水晶の瞳は、妖艶に揺らめき吸い込まれそうだった。最後に入って来たいかにも武人らしい体躯の男も、派手さこそないが整った顔に硬派な出立で、神話に出てくる勇者のようだった。
次々と顕れる余りにも非日常で眉目秀麗な人物のそろい踏みに、ざわついていた店内は、とうとう静まり返ってしまった。
「店主は?少し話を聞きたいのだが」
サラサラヘアーの青年がぐるりと店内を見回し、視線が合った。
「突然の訪問、失礼する。表に止めてある馬車について聞きたいのだが」
その青年は、足元に落としてしまった店主の煙管キセルを拾い、差し出しながら声をかけてきた。店主は震える手でそれを受け取る。緊張していた。美しい肖像画から抜け出したような顔が近くに有る。店主は自分の顔が熱を帯びていくのを感じていた……。
カイトはその店主の反応を訝しみながらも、表情は崩さず対応していた。事は急いているというのに、その鈍い反応に苛立ちを覚えていたのも事実。だがここで店主の機嫌を損ねてしまっては元も子もない。僅かな情報も逃したくなかった。
店主に向かいにっこりと微笑む。
店主は赤い顔を更に染めた。
「お、表の馬車でございますか。あれは―――――」
口篭りながら店主は馬車に乗ってきた客について話をした。
馬車に乗ってきた人物は、男4人。
後はわずかばかりの荷物。その中の一人は、数日前に馬車を予約してきていた人物だった。
この貸し馬車屋は3代続く老舗だ。御者付きで借りていく者もいれば、馬車だけを借りる者もあり様々だ。
その男は、着くなり予約とは違う2頭立ての馬車を要求してきた。急な申し立てだが、銀貨を積まれれば、応えないわけにはいかなかった。幸い準備していた馬車は2頭立て対応型だ。馬の準備をしている間に、男たちは荷物を移動させ、準備ができるとすぐに発った。あの古い馬車は処分しておいて欲しいと言い残して。
「私が知り得る情報は、これまででございます。あの馬車が何か…」
店主の言葉を待ちきれず、遮るように質問をする。
「その男たちが乗っていった馬車の特徴が知りたい」
「え?」
「どの方面に行くと言っていた?」
「あ、あの…。何か……ひっ!」
カイトの質問に自体が飲み込めない店主は、狼狽した。だが、時間がない。
急かそうと口を開きかけたところで、カイトの後ろを見て店主が怯えた。
―――ああ。
ルーカスの剣呑なオーラを感じる。あともうひとり分も。
どうやら二人の王子の苛立ちが限界に来ているようだ。
カイトは店主に近づき耳打ちする。
「ひっ…、は、はひぃ。うっ…、う、うちの馬車の特徴は……」
店主は恐れ戦きながら、懸命に答えた。
ルーカスは、再び馬を駆る。カイトが店主に何を言ったのか気になるところではあったが、とりあえずそれは…後でキッチリ問いただすこととしよう。
店主の話では、男達は『急げ、間に合わなくなる』と焦っていたようで、大通りを南に抜けていったということだった。
秋の冷たい夜風が頬を抜けていく。馬をずっと駆り続けるルーカスの火照った体と心には心地よい冷たさだった。
明日には上弦の月となる今宵の明かりに、そういえば…と、美月に求婚したあの夜の美しい三日月を想い出す。
ミツキ…。
ネックレスの入った胸許のポケットを握りしめた。
口を結んで前を見る。
店主の聞いた『間に合わなくなる』とは何にだ?
誰かと待ち合わせているのか、あるいは…。
この先にはいくつかの村があるが、行き着くその先は港町だ。
時間の制約があるといえば、出航時間。
いや、まさか、船に乗せようというのか。港町に着くとしたら真夜中だ。そんな時間に出航する船など…。
―――ある!
ハーヴェロードの西に位置する国、ルクタス。その港に、出航からふた晩かけて三日目の朝入港する船があった。




