思惑 3
サミュエル王子が目を向けた、面白くなさそうな顔をした一団の視線には、明らかな敵意が滲んでいた。
「お母様、殿下は何故あのような娘と婚約などなさったのですか。わたくしには理解できません」
「ああ、イザベル、落ち着いてちょうだい。お父様も仰っていたでしょう?これは何かの間違いだ、一時の事だと…」
「ですが、こんな席まで設けて…」
イザベルは手に持った扇を握り締める。薄いブルーの瞳は揺らめき、その口許はかすかに震えていた。ハーフアップに結い上げ、綺麗に巻かれた濃茶の髪はイザベルの動きに合わせてふわふわと揺れていた。
「この母とて信じられませんもの。でも、お父様を信じるのです、イザベル」
「そうですわ、イザベル様。今は、あの異国の娘が珍しいだけですわ。殿下のお相手には、イザベル様以外にありえませんもの」
イザベルを取り巻いている令嬢の一人が声を上げた。
直ぐに別の声がする。
「まあ、何を仰っておいでですの?殿下のお相手に相応しいのはマチルダ様ですわ」
「そうでございますわ。家柄といい、お人柄といい、殿下の隣に立つ方はマチルダ様でございます」
二つの取り巻きは互いに牽制しあっている。
「みなさま、わたくしとイザベル様は争ってなどいなくてよ。冷静になってくださいませ」
そこにマチルダの落ち着いた声が響く。プラチナブロンドの髪を結い上げ、真紅のドレスに身を包んだマチルダは、目を細めてにっこりと微笑む。だが、広げた扇に潜ませた口許は笑っていなかった。
「…あら、ダンスが終わりましたわ。さあ、みなさま、ご挨拶に参りましょう」
マチルダがイザベル達と周囲を促す仕草に、取り巻く令嬢達は感嘆する。
「まあ、マチルダ様。なんと寛容なお方でございましょう」
「わたくしたちも早く参りましょう」
楚々と令嬢たちが移動して行くさまに、イザベル達も続いた。
ダンスを終えた美月とルーカスの下には、挨拶を述べる人々の列が出来ていた。
その列を横目にサミュエルが美月に近づいてくる。
美月は何とか愛想笑いをうかべた。
「やあ、ミツキ。今日の君は一段と美しい。ルーカス殿に君のファーストダンスを譲るしかなかったこの僕の気持ちが、君に分かるかい?さあ、君に慈悲の心があるならば、この哀れな僕の手をとってくれないか」
何だ、そのセリフはと思いつつも、この夜会のもうひとりの主役であるサミュエル王子の申し出を断る術は無かった。
美月は顳かみの周囲を引きつらせながらも、サミュエルから差し出された手を取った。相変わらず、サミュエルのことは生理的に受け入れられない思いが強い。しかしどうする事もできずに、泣きたい思いをこらえつつホールへと進み出る。
「1曲だけですからね」
ボソリと美月が告げる。
「ひどいなあ。僕の気持ちは分かっているだろう?あんまりつれない態度を取るなら、僕にも考えがあるんだけれどね」
「何を仰っているのですか。私とサミュエル王子は何の繋がりもないでしょう?当然です」
「何を言っているの?本来、美月と婚約するのは僕だったはずだよ?」
「勝手に決めないでください。するわけ無いでしょう」
向かい合い礼をして組合った瞬間、サミュエルの手がすっと細く締めた腰元まで下りてくる。
「っ!……な、何をするんですか!」
美月は顔を赤らめて、サミュエルを睨む。
「ああ、ごめん。ちょっと下過ぎたね」
下ろした手を今度はツーっと広く空いた背中まで這わせた。
「セ、セクハラでしょ!やめて下さい」
「ひどいなあ、ちょっと位置を間違えただけじゃないか」
「これ以上変なことしたら、もう踊りませんから!」
「これ以上…、以下なら良いのかい?ミツキ」
妖しく微笑むサミュエルの言葉に開いた口が塞がらない。
「君が変なことを言うからだよ。まあ、冗談はさておき…、そろそろ、こんな茶番劇から降りたらどうなんだい?」
「茶番劇…?」
「あれ、違うの?…だって美月は帰るんだろう?元の世界に」
「……」
「おやおや?帰るのはやめたの?」
「…帰り、ます」
美月は目を伏せる。
「だろ?じゃあやっぱり茶番劇じゃあないか!ここには戻ってこないんだ、そう言ったよね?僕」
美月は、思わずサミュエルの顔を凝視した。
サミュエルは満足げに微笑んだ。
「ふふっ、ほら見てごらんよ、ミツキ」
サミュエルが顔を近づけて囁く。サミュエルの目線の先にルーカスがいた。
「心配しなくても、後のことは大丈夫そうだよ。然るべきお家柄の美しいご令嬢があんなにいるんだ。ルーカス殿の婚約者、君の代わりは直ぐに決まるよ」
美月の手に力が入る。
「後は僕のことだけ考えたらいいよ。ね?」
サミュエルが嬉しそうに微笑む。
「それとも、もうこのままエアージョンに来るかい?」
「行きません」
そこだけは即答できた。
「君も存外強情だねぇ、ミツキ。まあ、そんなところも堪らないよ」
サミュエルは美月の耳許に近づき、
「ゾクゾクするね」
と、にやりと笑った。
ルーカスは、次々と訪れる客人への挨拶に対応しつつ、笑顔の下では、サミュエルの行動に苛立ちを覚えていた。
美月に必要以上にベタベタと触り、顔も近づけすぎている。サミュエルの行動を監視したいのに、令嬢方に黄色い声でごちゃごちゃと喋りかけられ、集中できない。
そろそろ限界が来そうだ。笑顔のルーカスを纏うオーラが、不穏に変わっていく。




