思惑 2
―――あれ、何かまずい。緊張してきたかも。
案内されながら歩いていると、自分の心臓の音が静かな廊下に響いている気がしてくる。
“そんな訳無い”
冷静になろうと胸に手を当てる。しかし、今日はこれまでのドレスと比べると、胸許も背中も広く開いている。人目に晒される恥ずかしさが、緊張の上乗せをしてしまっている。
歩きながら、なんとか緊張をほぐそうと深呼吸を繰り返す。
そうしてやっと、周りの景色が目に入ってきた。
大広間に通じる広く長い廊下には、ハーヴェロード王家先祖代々の肖像画が飾られている。左右の壁を埋め尽くさんばかりの数に、まるで美術館のようだと感嘆する。
高い天井には金で彩られた石膏装飾、その脇にかかる赤いカーテンは美しくドレープを描き、金の飾り紐で纏められていた。
その中に、ルーカス一家の肖像画を見つける。
思わず足を止めて見入ってしまった。
国王が座る椅子の右横に寄り添うように立つ王妃。王の左脇にはルーカスが立ち、王妃の右側にグレース王女とオスカー第二王子が立っている。数年ほど前に描かれた物のようだ。
王の圧倒的な存在感、微笑む王妃の横にあどけなくも凛とした佇まいの王子と王女。ルーカスの少年の勝気さを宿した瞳は、大人へと向かう未来への期待に満ちているようだ。
美術品や、絵画について明るくない美月でも、王家の持つ華やかさと気品に溢れる肖像に、圧倒されていた。全くの別世界だった。
昨夜のルーカスの言葉を思い出す。
――妃として迎えたい――
この中に私が入るの?
―――有りえない。
一気に夢から覚めた気がした。
この数日の出来事に、夢見心地という言葉が正に当てはまる。
立ち尽くす美月にウォーカーが声をかける。
その声を意識の遠くの方で聞きながら、促され再びゆっくりと歩き出した。
ここは私の住む世界じゃない。
分かっている。
胸の奥に押し込めていた感情が湧き上がり、遣り切れ無い思に胸が痛む。
やがて、大広間やそこに向かう人々の姿が見え、その喧騒が近くなる。その手前で開かれた扉は、別の廊下へと通じていた。そから広間に向かう。
少し進むと、その先にルーカスが待っていた。
ルーカスは美月をその視界の捉え、破顔する。
その微笑みに、美月は自分の心臓が跳ね上がったのかと、慌てて胸許を押さえた。
「ミツキ…」
ルーカスは黒のマント翻し足早に駆け寄ると、美月の手を取り引き寄せた。
「ルーク…」
互いの瞳に姿を映し、どちらからともなく抱き合う。
「ミツキ、綺麗だ。誰にも見せずにこのまま攫っていきたい」
耳許で甘く囁かれると、ぞわりと体の芯が疼く。
「ルーク、揶揄わないで…」
「揶揄ってない、本気だ」
赤い顔を向ける美月に微笑み、口付けを落とす。
ずるい。
そんな顔…。
ずるいよ、ルーク。
ルーカスの言葉に、口づけに、夢の世界へと引き戻される。
やがて、大広間にふたりの名前が告げられたのが聞こえる。
「いくぞ、ミツキ」
ルーカスが背中と腰に回していた手を解いた。
「ま、待って、ルーク!口紅が…」
「ん?…付いたか」
ルーカスは唇に付いた赤い口紅を、親指でゆっくりと拭った。
「ああ、しまった。…拭わなくても良かったな」
「え?」
思いがけない言葉にルーカスを見上げる。
「皆に知らしめる事が出来ただろう?その唇が俺のものだと」
「!」
美月の顔は再び真っ赤に染まる。
――何を言っているのか!恥ずかし過ぎる!
真っ赤な顔で口をパクパクとさせる美月に、ルーカスはにやりと笑った。
ルーカスにエスコートされ広間に出て行くと、ざわめきが起こる。国王陛下の下へ赴き礼をする。広間に向き直ると、陛下が鷹揚にふたりの婚約が整ったことを伝えた。湧き起こる拍手と歓声に応えるように礼をし、ホールの中央に進み出る。ルーカスに差し出された手を取ると、楽団が音楽を奏で始める。
優雅にステップを踏みながらルーカスが囁く。
「ミツキ、顔が赤い」
「もう、ルークのせいでしょ。変なこと言うから!」
美月の不満を気にすることもなく、にっこりとルーカスが微笑む。
「だが、緊張せずに済んだだろう?」
「それは、……そうだけど」
「まあ、そう拗ねるな。よかったじゃないか、練習の成果はあったようだし」
「本当?」
「ああ、こうして愛を囁いても足がかからないしな」
にやりと笑うルーカス。
ん?どこかで聞いたセリフ?
「…え?やだ、聞いたの?」
思いだした。ダンスのレッスンの時に、トールマン先生が言っていたセリフだ!
頬を染めて不満げに見上げてくる美月に、ルーカスが笑いかける。
「怒るなよ、報告を受けていただけだ」
「…怒る…」
だって、恥ずかしすぎる!
ルーカスを見上げるが、人前なので、頬を膨らませるのだけは堪えた。
ルーカスの手に僅かに力が入る。
「こら、ミツキ。そんな顔をして俺を煽るな。ここで口づけされたいか?」
「ふぇっ!」
動揺のあまり裏返った妙な声が出る。
どっちが煽っているのだと言いたい気持ちを抑える。今日も色々と刺激が強すぎる。
「今すぐ剣を投げつけたい」
優艶な微笑みを絶やすことなく奥歯を噛み締めていたサミュエルが、物騒なことを呟く。
「よしてください」
ジュールがすかさず声をかける。
「いつまでこんな茶番を見せられなきゃならないんだ。腸が煮えくり返るって、この事を言うんだね。良く分かったよ。だからもういい!」
「落ち着いてください。たかがダンスでしょう?」
「たかがダンスだって?いちゃついている様にしか見えないじゃないか!」
微笑みながら、憤懣やるかたないセリフを吐くサミュエルの言い分ももっともなのだ。楽しげに話をしながら踊るルーカスと美月からは、甘い空気しか漂ってこない。
「もうすぐファーストダンスが終わります。そしたら殿下がミツキ様をお誘いしたら良いではないですか?」
「ジュール、珍しく気が利いているね。言われなくてもそうするけど。ああ、あそこの一団も面白くなさそうな顔しているよ。ふふっ」
サミュエルがにやりと笑った




