冷雨 4
王宮の図書室に着いた美月はその広さに、そして豪奢な造りに圧倒されていた。
美月の知っている図書室といえば学校。あとは、地域の図書館だ。多少凝った造りをしていても、そこはハコモノ。限界がある。
この図書室は、一つの大きなホールのようだ。まず目に付くのは、3階部分にまで達している明かり取りのための大きな窓だ。はめ込まれた繊細な細工の窓枠。あしらわれているステンドグラスは、役割を損なわないようにポイントのみに使われている。その窓から入口にかけての中央部分は吹き抜けのホールのようになっていて、机や椅子が整然と並べられており、本を読んだり調べ物をしている人が数人座っている。そこから左右にびっしりと3階まで占めている本棚は圧巻だ。ホールに対し垂直に何列にも並んだ本棚。その間にある通路にはそれぞれローチェストが置かれており、その上に本や資料を広げられるようになっている。もちろんローチェストにも、本が収納されている。2階、3階の本棚の周囲は回廊になっていて、中央のホールを見渡せた。
「これ、図書室、なの?」
「そうですが、いかがなさいました?」
「はあー、凄いね。こんないっぺんに本を見たのは初めてだよ」
「そうでございますか。それはようございました。ミツキ様、あちらに先程おっしゃっていた本のコーナーがございます」
「ありがとう。でもせっかくだから、ちょっといろいろ見学してくる!アイラも自由に本を見ててね」
そう言うと、美月は早速端から見て回っていった。護衛の騎士も付かず離れずの距離で見守っている。その様子を見てアイラも本を見て回ることにした。
美月が初めに足を運んだ先にあったのは、文学部門。当然のことながら作者名は全く知らない名前だ。
“しまった、やっぱりアイラと回ったほうがよかったか”と後悔しつつ巡っていると、歴史や地理の専門書のコーナーにたどり着く。
ふと、ハーヴェロードやエアージョンの地理はどうなっているのかと気になった。本を開いて見ていると、今度は何やら視線が気になった。
顔を上げると、じっとこちらを見ている男性と目が合った。
「もしかして、ミツキ・ネモト様でいらっしゃいますか?」
榛色の切れ長の瞳を僅かに細め、男性はにこやかに微笑んだ。
「はい。はじめまして、ミツキ・ネモトと申します。あの、そちら様は…」
親しみを込めたその目許に、どこか懐かしい、見覚えがあるような気がする。
「これは失礼いたしました。レディに自己紹介もなしに名乗らせるなど、ハーヴェロードの紳士の名折れですな。私は、ダニエル・ローガン・ウェリントン・タイラーと申します。息子がお世話になっております、ミツキ様」
胸に手を当て礼をする紳士に、美月も膝を折り礼を返し、そこでやっと気がついた。
「ウェリントン!あっ、レオ、いいえ、ウェリントン公爵様のお父様でいらっしゃいますか」
「はい。“お父様”です。あなたのことは息子から色々と伺っておりますよ」
溢れんばかりの笑顔につい美月も釣られてしまう。
「まあ、そんな。色々だなん、て…!…あの、色々と申しますと、その…」
しかし、はたと気づいた。我が身に関しての話というと、碌なものが思い浮かばない。トレーニング中に走って捕まった話や、アイラを失神寸前にさせた話、王太子殿下を不本意ながらも殴った話。
「すみません。ウェリントン公爵には、ご迷惑をおかけしたことしか浮かんできません」
恐縮する美月に、ダニエルは笑顔を崩さず告げる。
「いやいや、迷惑だなどとは思っていないでしょう。あなたは我が国の女性にはない感性をお持ちだ。我々も学ぶべきところが多いのですよ。むしろ感謝しています」
「感性、ですか?」
「ええ。それに、あなたはご自分の意見をしっかり持っていらっしゃる」
相変わらずニコニコと笑顔のまま、ダニエルは言葉を続けた。
「ありがとうございます。でも、こちらの女性の方も、ご自分の意見をお持ちですよ?むしろ、私よりしっかりされています」
「おや、そうですか?」
ダニエルが笑顔を崩し真顔になる。
「ええ、そうです!」
美月も真顔で答える。
「ですが、あなたのように意見を言う女性は、この国では殆ど見かけませんが」
ダニエルは、少し肩を竦めた。
「それは、環境が違うからではないでしょうか」
「環境…と申しますと?」
美月の言葉にダニエルは顎鬚を撫でながら問う。
「この国の女性は発言する機会に恵まれていないし、教育も男性と同じではないでしょう?私の国とは随分違いがありますから」
「ミツキ様のお国では、男女ともに同じ教育だと?」
「そうですよ」
「そうですか…。ああっ、いや、しまった!会議の時間を忘れるところだった。ミツキ様、貴重なお話をありがとうございました。それでは私はこれにて失礼いたします」
ダニエルは懐中時計を懐にしまうと、ローチェストに置いてあった資料を手早く纏め、いそいそと図書室を後にした。
慌てふためき去っていくダニエルの姿を見送り、図書室の探索を再開しようと振り返る。
「ひっ!」
思わず息を飲んだ。誰もいないと思っていた、先程までダニエルが立っていたその場所に、別の男性が立っていたのだ。
その男性は美月の上から下までじろりと一瞥した。
「ミツキ殿ですな?」
「はい。ミツキ・ネモトと申します。あの…」
「いや、こんなところで王太子殿下のご寵愛を頂くお嬢さんにお会いできるとは…。いや、驚きましたな。こちらで何を?」
その男性は笑顔で話しかけてくるが、先ほどのダニエルとは違い言葉に棘があるのを感じる。
「調べものです。私は知らないことが多いので」
「そのようですな。なんの身分も持たない異国のお嬢さんがいきなり教育係というだけでも烏滸がましいというもの。どうやって取り入ったかは知らぬが、今では婚約者だなどと、我々を馬鹿にするにも程がある」
美月は逡巡した。異世界に来てからは概ね好意的に受け入れられていたが、周囲にいたのは限られた人物だけだった。この男性のような反応こそが、一般的な反応なのだろうか。
「ご気分を害して申し訳ございません。ですが…」
「いや…」
男性は美月の話を途中で止めた。
「殿下も、物珍しい異国の娘を側に置きたくなることもあるでしょう。ウェリントン公爵も、出自のわからない娘の監視も兼ねて側に置くのだと申しておりましたし。まあ、我々も殿下の一時の戯れだと思っておりますゆえ、あなたが気になさらなくてもよろしいでしょう」
美月は言葉を失った。
さらに男性は続けた。
「ご心配には及びません。王太子殿下には、いずれ然るべきお家柄の然るべき令嬢を御迎えいたしますゆえ、ご安心ください。こちらこそいらぬ気遣いをさせてしまいましたかな?」
男性はにやりと口角を上げ笑っていたが、威圧的な光を放つ目許を隠そうとはしていなかった。
「いえ…」
美月は奥歯をぐっと噛み締めた。
男性の言った言葉は、自国に帰ろうとしている美月の考えていた内容と同じだ。
だが、なぜこれほどまでに胸が苦しくなるのか。
思わず目を逸らし眺めた窓の外は、まだ雨が降り続いていた。
足が鉛のように重く感じる。
名乗らぬままの男性が立ち去った後も、窓に流れ落ちる雫をただぼんやりと眺めていた。




