冷雨 1
あれから、ルーカスは一緒に夕日を見てから、ダンスのレッスンができるように、毎日時間を調整して来てくれていた。美月のダンスも順調に上達していき、トールマンからもルーカスからも合格点をもらった。いよいよ明日は夜会となり俄かに緊張してくる。こんな時にはボールを蹴って気持ちを落ち着かせたい。
だが…。
今日は雨だ。
美月がこの世界に来てから初めての雨。
騎士団は雨でも訓練をすると言う。
サッカーだってそうだ。雨でも雪でも、雷が鳴らない限りは試合だってある。
なので、当然のように練習に行こうとしたら、信じられないものを見るかのように、愕かれた。
朝晩の気温が、ここ数日でぐんっと冷え込んできている事もある。
それより何より、明日は夜会だ。“ご勘弁ください”と、護衛のウォーカーに泣きつかれた。
「あーあ、何も尖塔での筋トレまで、止めなくてもいいと思うんだけどなあ…」
美月のつぶやきに、アイラがいち早く反応する。
「ミツキ様、あそこは雨の日は滑りやすくなります。お怪我でもなさったら大変ですもの。どうか本日のところは…」
「あー、ごめん、ごめん。分かっているのよ、アイラ。ちょっと拗ねてるだけだから気にしないで」
本気で心配してくれているのが分かっているので、慌てて訂正した。
「まあ、ミツキ様、拗ねるだなんて…」
肩を竦めて笑ってみせ、バルコニーに続く窓のそばまで寄り、外の雨の様子を眺めた。
「今日は一日、雨降りかな…」
窓ガラスに残る雨の雫が、時折吹く風に打ち付けられた雨の雫と、ひとつ、またひとつと合わさりながら、速度を速めて流れ落ちていく。コロコロと転がるように流れる様は、まるで水晶のようだ。
「綺麗…。雨粒まで絵になるね…」
ふとその視線の先に動くものが見えた。
「馬車…?」
4頭立ての黒塗の馬車には、扉を中心に豪奢な金の装飾が施されている。
ゆっくりと進みゆくその馬車は、やがて西の正門から出ていった。
「サミュエル王子殿下ですわ。本日は、お出かけされるそうですので」
「そうなんだ」
いいなぁ。お出かけですか。
でもまあ、サミュエル王子も他国でずっと過ごしているから、ストレス溜まるんだろうな…。王子ってどうやってストレス解消するんだ?買い物にでも行くのかなー。こんな雨の日に…?
そういえば…、ルークも王子だったね。
ルークは、どうしてるんだろう。ストレス溜まるだろうねー。だからか?この前の二日酔い!
…皆でサッカーすればいいのに!いやいや、それはないか。でも、出来たら楽しいよね。なーんて、そう思うのは私だけか。
脳内の妄想に、一人ツッコミを入れる。
ああ、そうだ!そういえば、城下に行こうって言ってくれてたっけ…。
ふふ…。ルークと城下を歩くの、楽しそう。だけど…、帰るまでに行けるかなぁ。
毎日忙しそうだもんね。無理かもね…。
きっと、ずーっと、そうやって王子として生きてきたんだよね。
そしてこれからも…。
私がいなくなっても…。
だから、私がいなくなっても何も変わらない、のかな?
変わらないよね。
私がここにいた事もほんの少しの間のこと、大したことじゃない。
記憶は?
この記憶も消えたりする、のかな…?
ううん。
遅かれ早かれ忘れちゃうよ、きっと。
……ルーク。
「ミツキ様?」
「え?」
泪がひとすじ流れ落ちていた。
「ああ、ごめん。雨に釣られた。へへっ」
笑ってごまかしたけど、アイラにはごまかしは効かないだろうね。
「ミツキ様…、わたくしを頼ってくださいませ。さあ!」
アイラは両手を広げて、思いつめたような、そして真剣な眼差しで美月を見つめた。
「ええっ?」
あっけにとられている美月をその手で抱きしめる。
「大丈夫でございます。ミツキ様」
真っ赤になりながら抱きしめてくれるその手を、暖かいと、心からありがたいと感じた。
「ありがとう。アイラ。私は大丈夫だよ」
お返しに、アイラをギュッと抱きしめた。
「おっと…、これは…」
突然響いた自分たち以外の声に、美月とアイラは同時に顔を上げた。
「ルーク…」
「きゃあぁっ、ル、ルーカス王太子殿下!」
慌てたアイラは美月から飛び退いた。
「もしかして、お邪魔だったか?」
にやりと笑うルーカス。
「うん、そうかもね」
美月もにやりと笑い、再びアイラを抱きしめた。
「ミ、ミ、ミツキ様!」
真っ赤になって慌てるアイラをさらにギュッと抱きしめ、美月は笑った。
―――たくさん思い出を作ろう。
もし、忘れてしまう思い出だとしても―――。
声を出して笑った。
たくさん笑って「アイラ大好き」と、抱き寄せた。
相変わらずアイラは赤い顔をしていたけれど。
ルーカスが訪ねてきたのは、明日の夜会に美月と一緒に参加して欲しいと、アイラに伝えるためだった。本来、王太子自ら伝えることではないのだが、レナードからミツキとアイラに伝えてきてくださいと執務室を追い出されたようだ。
アイラは伯爵令嬢だ。夜会に招待されても何ら不思議はない。加えて、美月はハーヴェロードに知り合いが居るわけではないので、そのほうが心強いだろうとの配慮からだった。
「それならもっと早くに言って欲しかったよ。アイラだって準備があるでしょ?」
と突っ込む美月。
「ああ、いや、最もだ」
と、たじろぐルーカスにハラハラしつつ、大丈夫でございますと必死に美月に訴えるアイラの姿。
賑やかな時間だった。
降り続く雨の中、黒塗りに金の装飾を施された馬車は、底冷えがしてくる石畳の路を走っていた。やがて速度を落とし停まったのは、他国の王族も利用する、ハーヴェロードでも有名なホテルの前だった。大通りに面した入口の馬車寄せに停車した馬車の中から、帽子を目深に被りマントを纏った男性が、促され降り立った。
入口の両側にそびえ立つコリント式の大きな柱を中心に、大理石をふんだんに用い、重厚なネオグリーク様式でホテルは建てられていた。磨き上げられた幾何学模様の大理石の床、ロビーの壁に沿って並ぶコリント式の付柱、ロビーの床から天井まである大きなステンドグラス、詳細な装飾のされた天蓋、その奥にある3階まで通じる大理石の広々とした螺旋状の階段も、その豪奢な設えが、最高級のホテルであることを物語っていた。
その様相を一瞥し嘆息すると、慌ててロビーにいた男性が走り寄ってきた。
「ようこそお越しくださいました。お待ち致しておりました」
「遅い。いつまで待たせるのかと思ったよ」
「申し訳ございません。支配人のデイヴィット・ヴェリオでございます」
男は胸に手をやり、深々と頭を下げた。
支配人と挨拶した男を一瞥し、もう一度嘆息する。
「まさか、こんなところに呼びつけられるとはね」
「皆様、お部屋でお待ちいただいております」
「そうでないと怒るよ。明日の事を考えるだけでも憤慨しているのに!」
「明日、でございますか?」
「ああ、いいよ。こっちの話。それで?」
ハッと姿勢を正す。
「ご案内いたします」
支配人のデイヴィッドに先導され、奥へと進むその男性の優美な佇まいに、ロビーに居合わせた人々は目を奪われた。男性は、そんな周囲の視線を意に介さず奥へと進んでいった。
案内されたのは、最上階の特別室。
部屋に入ると、中に居た男たちは慇懃に礼をした。
「ようこそお越しくださいました。サミュエル王子殿下」
サミュエルに進み出たのは二人。あとは家臣か?
「こんなところに呼びつけられるとは思ってもみなかったよ」
不満を露にしつつ、ソファーに腰を落とした。ジュールは後ろに控えている。
足を組み背もたれに肘をつく。その手に頭を軽く預け、男たちを一瞥した。
「それで?」
不満を漏らしながらも、これから語られることへの期待もあってか、口の端は僅かに上がっていた。




