茜色の時 2
「ミツキ殿、今日はなんだかご機嫌ですね」
「へっ?何?」
ここは騎士団の訓練場。
今日も朝早くから、サッカーの練習のための準備をしていたところだ。
声をかけてきたのは騎士団の一人。
「さっきから歌っているその歌は、美月殿のお国の歌ですか?」
「えっ、私、歌ってた?」
自覚はないが、どうやら歌を歌っていたようだ。
別の騎士団の青年も声をかけてくる。
「何か良い事でもありましたか?表情が緩みっぱなしですよ?」
「えっ!……い、いいや、無い、無い。いつもと一緒だよー」
顔を真っ赤にして焦りの色を隠せない美月に、騎士団の面々は生暖かい視線を送る。
――――殿下だな。
その場に居合わせた皆の、胸の内が一致した瞬間だった。
「―――なんだか、楽しそうだね。ミツキが楽しそうなのはいいけどね、正直、ほかの男にはあんまり絡んで欲しくないんだけど」
フンッと息を吐く。
「仕方ないですね」
すぐに、抑揚のない淡々とした返事が返ってくる。
訓練場の観覧席中央に陣取ったサミュエルもまた、今日も早くから、美月のサッカー練習見学に来ていた。
「あーあ、僕もサッカーをしようかなぁ。ミツキと一緒に」
「その気があるのなら準備致します」
脇に控える声の主を一瞥した。
「やらないよ。…ジュール、お前、もう少し気の利いたこと言えないの?」
「では、詩人を呼んでまいりましょう」
「お前に言っているのだけれどもね」
「わたくしにそれを求められても、対応致しかねます。サミュエル殿下」
「……だよね」
嘆息しながら、再び訓練場に目を向ける。
訓練場内では、すでにドリブルやパス練習が行われていた。
「ああ、ミツキは今日も綺麗だね。こうして、サッカーをしている姿が一番素敵だよ。ほら、あの…獲物を狙うような目、ゾクゾクするよ。フフフ」
「…ようございました」
サミュエルは、再び脇に立つ自分の側近を一瞥した。ジュールはサミュエルが幼少の頃から側に仕えている元・武官で、サミュエルから見れば、いわゆる堅物以外の何者でもない。
「ホント、気が利かないよね」
「今更、でございましょう。殿下、わたくしに絡むのはお止めください」
相変わらず淡々と答えるジュールに図星を突かれ、苛立ちを露にする。
「あとひと月もあるんだよ?こんなところにミツキを、一刻も置いておきたくない!早く帰したいのに!……ここにいる間、ルーカス殿がミツキのそばにいると思うと、ホント、イライラする。せめて王宮でなければ攫っていけるのに!…全くなんでこんなところに落としたんだか!」
「なんとおっしゃられようとも、メイソンが回復しない限りは何の変更もございません。せっかくですので、この機会にハーヴェロードとの親交を深めてはいかがですか?」
「それほど仲良くするつもりはないよ。戦さえしなければいいだろ」
「面会の申し込みがきています」
「……ふーん。誰だい?」
「正式には、レスター辺境伯からでございます」
「ああ、なるほど。分かった、会うよ。それで?」
「あとは、また後ほど」
「へえ、…意外と足元ぐらついているのかね、ハーヴェロードも」
退屈凌ぎになるか、それとも…。
サミュエル王子は薄い唇の端を上げ、にやっと笑った。
昼下がりの翡翠の間に、ひときわ気合の入った声が響く。
「さあ、今日もよろしくお願いしぁーっす!」
「…ミツキ様、ダンスはあくまで優雅に美しくが基本です。今日のご挨拶は、指導対象ですよ」
「あ、すみません。つい体育会系のノリで…。では」
美月はスカートの端をつまみ上げ、膝を折り淑女の礼をする。
「本日もご指導よろしくお願いいたします。トールマン先生」
「よろしい。いかがですか?復習は充分になさいましたか?」
「ええ、もう、背中がバッキバキになるくらい―――」
ちろり、と、目を細めたトールマンの視線に気づく。
「コホン。失礼いたしました。先生、私の練習の成果を見ていただけますか?」
「――まあ、よろしいでしょう。では」
トールマンの差し出した左手に右手を合わせ、左手をトールマンの肩に添わせる。
「あっ…」
「どうしましたか?」
「いえ、何でもありません。失礼いたしました。ではお願いいたします」
昨日のルークとの体格の違いを実感し、思わず声が出てしまった。
大好きな夕暮れのひとときを一緒に過ごし、二人きりでダンスを踊った時間。幸せな時間を思い出し、自然と笑みが零れる。
今日もトールマンのステップは軽やかだ。
「なるほど。練習のお相手は、ルーカス殿下ですか」
「えっ、わかるんですか?」
思わぬ指摘に、俄かに緊張が走った。
「ええ、殿下のクセが移っていますから」
「ええっ!」
「っ!」
「ぎゃぁぁっ、すみません、先生!」
本日もトールマンの足をヒールで踏んでしまった。
「ミ、ツキ様…。いかなる時も平静でいなければなりませんよ。動揺しすぎです」
「す、すみません」
「ダンスをしながら会話を楽しむことにも、早く慣れてください。夜会の場は社交の場ですので、いちいち動揺していたら、殿方は愛も囁けませんからね」
「あ、愛って―――」
「ほら、動揺しすぎですよ」
顔を赤くする美月を見て、トールマンがクスクスと笑う。
「昨日教えたことは良くできていますよ。さあ、ではもう一段階進みましょうか」
「はい!よろしくお願いしますっ!」
よっし、と美月は気合を入れる。
「…声、ここは騎士団ではありませんよ」
そうでした。と肩を竦めた。そうしてもう一度、淑女の礼をする。
「――失礼いたしました。先生、ご指導よろしくお願いいたします」
トールマンはにっこり笑い、練習を再開した。
「はあ…」
美月のため息に、アイラがお茶を入れながらクスクスと笑った。
「さすがのミツキ様もお疲れでございますか?」
「アイラ、笑い事じゃないんだけど」
恨めしそうに見返す美月に、アイラは微笑んだ。
「大丈夫ですわミツキ様。トールマン様が、ミツキ様はとても優秀な生徒だとお褒めになっておりましたもの」
「お気遣いありがとう、アイラ。でもいいの、今日は先生を倒さなかったから昨日よりは上達しているはずよ!」
両手をぐっと握り締める、美月の気合の入った表情が可愛くて、アイラは再びクスクスと笑ってしまった。
「もう、笑わないでよ、恥ずかしいんだから!」
「申し訳ございません。ミツキ様があまりに可愛らしくって…。ミツキ様、このあとは少しお時間がございますが、どうなさいますか?」
「あー、そうなんだ。どうしよう、何かここにいる間にやっておきたい事があったような…」
考え込む美月にアイラは静かに尋ねた。
「ミツキ様、ここにいる間というのは…?」
「え?帰るまでにやっておきたいという事だけど…」
アイラの表情が曇る。
「ミツキ様…。本当にお帰りになってしまわれますの?」
「そう、だけど…」
「ですが…」
「アイラ、私は本当はここにいる人間じゃないのよ。元に戻らなきゃ」
「ミツキ様…」
アイラに言った言葉だったけど、まるで自分に言い聞かせているみたいだと、美月は苦笑した。
だから、たくさん思い出を作ろう。
美月が、昨日ルーカスとともに見た茜色の空に、そっと誓った言葉だった。




