茜色の時 1
レナードの素早い手配のおかげで、その日のうちにダンスの特訓は始まった。
どこかで何とかなるだろうと高をくくっていた事に後悔する。
「ミツキ様、もっと背筋を伸ばして、もっと!こう、グッとここをそらすのですよ!」
舞う以前に立ち姿からのダメ出しに背筋が軋む。互いに重ねた手の位置、肘の位置、肩、添える手の位置、その指先まで全て一から指導が入る。そもそもサッカーに背筋を伸ばして反らせるなんていう動作は必要ない!と、言い訳を、もう何回心の中で繰り返したか分からない。
「さあ、ではナチュラルターンから…」
心の中で言い訳している間に、ダンスの先生、トールマン先生はさくさくと進めていく。シャッセフロム、ナチュラルスピンターン、何やら言いながら教えてくれるが、残念ながら覚えられない。それでも、足の方はトールマン先生のリードが上手いからか、それなりに合わすことができた。
「流石ですね、ミツキ様。サッカーと言うものをやっているだけあります。体の軸がしっかりしている。何より足運びがいい。ですが…、上半身が全然ダメです!ほら、腰からぐっと伸ばす!」
そう言われて姿勢を正していると足の方が疎かになる。
「っ!」
トールマン先生の足を踏んだ。しかもヒールで。
「ぎゃぁー、先生!すみません!」
一度やってしまうと続く…ものなのか、そこからはトールマン先生の足を、踏んだり蹴飛ばしたりと散々だった。最終的には焦りから、先に動こうとして、ターンの時に足を引っ掛けてトールマン先生を転倒させた。
「…女性に転ばされたのは初めてですよ、ミツキさ、ま」
尻餅をついて腰と頭を抱えるトールマンに、美月はひたすら謝った。
「構いません、教えがいがあるというものです。ですが、今日はここまでにいたしましょう。上半身のポジションをしっかり復習しておいてください!いいですね?」
ではまた明日。と帰っていくトールマン先生の痛そうに腰をさする姿を見送りながら、ため息をつく。
前途多難、ってこういう時に使うんだね。
ひとつお利口になった気がするよ、うん。
さて、と気を取り直して、先生が言っていた上半身のポジションの復習とやらをやってみる。相手がいないのでシャドーだが、黙々となんちゃってステップを踏んでいく。
いつの間にか、日が傾き、茜色の夕日が差し込んでいた。
「わお、今日はまた一段と綺麗ね」
バルコニーに続く窓を押し開けたその時、翡翠の間の扉がノックされ、ルーカスが来たことを告げられる。
扉を開けたルーカスの目に入ったのは、夕日を背にして、バルコニーに続く窓を押し開けている美月の姿だった。茜色の光に包まれた美月のシルエットから漏れた光は光芒となり、その光の中に美月が吸い込まれていくような錯覚さえも起こす。
ルーカスは一瞬息を呑んだ。
「ルーク!」
美月に呼ばれてハッとする。
「ねえ、ルーク、来て!今日は一段と夕焼けが綺麗よ!」
呼ばれるままにバルコニーに出ると、美月の喜んでいる意味がわかった。
秋の澄んだ空に、細く長い雲が夕日に吸い込まれるようにいくつも浮かんでいる。ひときわ鮮やかなオレンジ色に輝く雲の脇を飛ぶ鳥たちの群れ。浮き上がる山の稜線に、緑豊かな森に、そして城壁、この世界の全てのものが茜色に染め上げられていた。
「私、ここから見る夕焼けがとても好きなの。日が沈むまでのこのひと時がすごく好き。ルーク…、この国は、ハーヴェロード王国はとても素敵なところだね。自然に恵まれていて、とても綺麗…」
「そうだな、今日はまた格別に美しい。ありがとうミツキ。この国を好きだと言ってくれて」
「…うん」
「誰かと感動を分かち合うというのは、いいな」
「うん。そう思う」
「それがミツキであることが、とても嬉しい」
「ルーク…。私の方こそありがとう。大好きな時間を一緒に過ごせる人がいること、私もとても嬉しい」
互いに見つめ合って微笑んだ。茜色の陽射しに包まれていると、日常から少し離れたところにあるようで、夕日を眺めるふたりの時間は和やかに過ぎていった。
「そうだ、ミツキ。今度、城下に行こうか」
「え、良いの?」
「ああ、もちろん」
「ありがとう!ルーク!」
思わず抱きつく美月に、驚くルーカス。
「この先にある街に一度行ってみたかったんだ。ありがと…」
顔を上げた先、すぐ近くにルーカスの顔があることに気づき、慌てて離れた。
「ごめん!」
夕日より赤くなっていそうな美月の顔を見て、ルーカスは微笑んだ。
「そろそろ中に入ろうか。ダンスのレッスンの成果を見せてもらわないとな?」
そう言って手を差し伸べた。
「い、いや。それはちょっと、今日は、その…それは無いことに…」
次第に小さくなっていく声に、ルーカスは美月の顔を覗き込んだ。
「なんだ、どうした?」
「それがその…」
美月から話を聞いたルーカスは盛大に笑った。そして、美月の機嫌を損ねることになった。
「もういいよ!知らない!ルークのバカ」
「いや、まあ、そう拗ねるな…。大丈夫だ、俺は少々のことで倒れたりはしない。ほら、手を貸して?」
ルーカスに預けた右手がクイッと引き上げられ、腰を少し引き寄せられる。あとはルーカスが美月の肩胛骨のあたりに手を添えると、あれだけ昼間に苦労したポジションが出来上がっていた。
「え、嘘、なんで?」
「何が嘘だ?」
「いや、だってこんなに簡単に?えぇ?!」
「ほら、踊るぞ」
狐につままれた感が拭えない美月だったが、ルーカスのリードでは足を踏むことも、転がすこともなく踊り続けることができた。
「すごい、ルークってダンスが上手なんだね。楽しい。さっすが、王太子殿下だねー」
「見直したか?」
「ふふっ、見直した」
ちょっと揶揄うつもりだったのだが、満面の笑みで答える美月に、すっかり毒気を抜かれてしまい赤面するルーカスであった。
「俺はトールマンよりも大分背が高いからな。そのせいもあるだろうな」
「ううん、背だけじゃなくって…」
鍛えた厚い胸板も、盛り上がった肩の筋肉も…考えていると、急に意識してしまい恥ずかしくなってくる。
少し頬の赤らんだふたりのダンスは、それからまだしばらく続いていた。




