第八話 夕暮れの船室
底のない、深い闇。
その直前に網膜に焼きついていたもの。
地に沈んだクロウ。
動かなくなったシキ。
そして、自分の身体から白い光が噴き出したときの、魂が失われていく感覚。
すべてを無くした暗闇のなかに、モモの意識がただよっていた。
そこへ、モモのようでそうではない、知らない感情が流れこむ。
感情のままに、身体のうちからあふれ出る力を振るった結果。
見知った里の景色は一変して、きれいな白一色に染まっていた。
争う声も、家屋を燃やす炎も消え、あとには何の音もなかった。
そこへ、空気を揺るがす炎の色が割りこんでくる。
責めるでもなく、ただ受け入れて、あふれ出る力を包みこんでいく。
声にならない声で、何かを話した。
でも、それが何なのかもあいまいに溶けていき、そのまま深い眠りに落ちていった。
◇
ぼんやりとした時間が、続いた気がした。
そこに、なつかしさすら覚えるクロウの声が重なり、これが夢ではないことがわかっていく。
「でさ、この先、船乗りたちの間では有名な霧の海が」
パチィン、とはじけるような音とともに、視界が唐突に切り替わった。
あの惨劇も、目の前で崩れ落ちた二人の姿も、抗うことのできない脱力感も、そこにはない。
目の前に広がっていたのは、夕暮れ時の琥珀色の光が斜めに差しこむ船室の風景だった。
波の音に合わせてゆっくりと揺れるせまい空間。
目の前には浅黒い肌――赤髪の青年。
けげんそうな顔でこちらをのぞきこんでいる。
「考え事か? いつにも増して、ぼやっとしやがって」
「え? あ、うん。そうだね。でも、その霧を抜けないと島にたどり着けない」
まだ頭が現実の境目を捉えきれず、モモはただ、記憶のままに言葉を返した。
クロウは太い眉を跳ね上げ、椅子に腰かけたまま身を乗り出す。
「なんだよ、知ってたのか」
「うん、だってこの話、もう二回目」
「はあ? さてはシキ、お前が?」
クロウが視線を向けた先、船室の入り口に寄りかかっていた白い衣服の青年が、肩をすくめた。
シキも、生きている。
衣服に血の汚れはなく、その瞳が優しくモモに注がれる。
これで三度目の廻り。
同じ日を、三度、生きている。
でも、いったいどうして。
頭の芯に残る炎のにおい。
激しいめまいがモモを襲う。
不意に視線を落としたモモは、自分の右手から目が離せなくなった。
白くなめらかだった肌が、指だけではなく、手の甲の一部にまで変異している。
夕日に照らされた結晶は冷たい光を放ち、船室の壁に赤銅色の影を落としていた。
前は、夜だった。
夜襲のほんの少し前に戻って、指が二本、凍っていた。
今は、まだ日が沈んでいない。
そして、手の甲まで。
戻るたびに、遠くへ。
そのぶん、わたしの身体が失われる。
それが何を意味するのかは、わからない。
ただ、猶予がある。
無策のまま島へ近づけば、前回と同じように関所へ向かい、あの真紅のオニ、グレンに殺されてしまうだろう。
言葉で伝えても、船乗りたちは信じない。
でも、そうだ――あの人の言葉なら。
混乱におちいった思考のなかで、モモは考えるより先に、その名前を唇からこぼしていた。
「ううん、トウヤがそう話していたって」
船室の空気が張りつめた。
クロウとシキが同時に、けげんそうに眉をひそめる。
「誰だ? トウヤってのは」
「僕の知る限り、そんなやつは乗ってない」
シキの声音が、詰問の響きをともなってモモに刺さる。
モモは「え?」と声を漏らし、あわてて両手を口にあてた。
まだ出会ってもいないはずの、この船に存在するはずのない人の名前を出してしまったことに気がついた。
こういうときの二人は、妙に結託してくる。
以前、鼻歌まじりに魚をさばいていたところを、流れ者に「故郷の歌だ」とおだてられ、気をよくして貴重な干物を分けてやったことがあった。
その時は「ひとり早めのゆうげをすませた」とごまかそうとしたのだが、それがばれて、夜通し追及された。
それにモモは一度、人攫いにあっている。
だから見知らぬ男の名前が出るたび、この過保護な二人は本気で心配をする。
「ち、違うよ? そういうのじゃないよ? あ、島……隠ヶ島から、舟で、漂流してきて、その……」
弁明の言葉を探そうと、モモの視線が宙をさまよう。
そこへ甲板のほうから、風に乗った濁声が重なった。
「前方に舟だ! 誰か乗ってやがるぞ!」
図らずも的中した、モモの言葉。
あり得ない符合を前にして、クロウとシキの動きが止まる。
思わず、二人は顔を見合わせた。
「おい、シキ」
「ああ。僕たちも甲板へ行ってみようか」
クロウの声からいつもの調子が消えて、シキの瞳には剣呑な光が宿っていた。




