第五十五話 ビャクヤの手記
慌ただしい日が続いていたけれど、僕の大切な人たちが島を発った今、ようやくひとりの時間を持てるようになった。
誰もいなくなった部屋で、こうして筆を執っている。
これから何度も、海の彼方へ向けて文をしたためることになるだろう。
それなら、この島で起きたことを、僕の最初の記録としてここに書き残しておこうと思う。
シキという男は、本当に見事な手際で約束を果たしていった。
関所の外で腰を抜かしていた男たちを統率し、翌日には火矢で焦げた船を動かして、あっという間に島を去っていったのだ。
グレンの命によって、紅鬼の戦士たちが陰ながら人間たちを船着き場まで追い立てていたことは、あとで長老から聞いた。
あのお堅い首領にそんな真似をさせてしまうなんて、僕が眠っている間に、一体どれほど奇妙な信頼が結ばれたのだろう。
長老とは、話すことだらけだ。
話が長く、いつの間にか説教じみていくのが玉に瑕だけど、僕はこの時間も嫌いじゃない。
白い砂の道を歩くたび、僕は本当にここへ帰ってきたのだという実感が湧いてくる。
モモは、あの朝からまる三日、泥に沈むように眠り続けていた。
目を覚ましてからは見違えるほど元気で、僕の部屋にやってきては楽しそうに色々なことを話してくれた。
彼女は、僕の生涯で初めての、人間の友だ。
クロウという赤髪の男は、モモが目覚めるまでは死んだような顔をして座りこんでいたのに、彼女が目を覚ました途端、肩の傷も忘れて、片時も離れずその後についてまわっていた。
僕が少し話しかけてみたら、なんだかすごく警戒されてしまった気がする。
そして、大好きな兄様。
母は違うけど、僕のいちばんの理解者で、大切な人。
兄様は、僕の顔を見るたびに「よかった」と涙を浮かべたり、「僕のビャクヤ」と身体を抱きしめてきて、まだ小さな子供のように扱う。
そんな他愛のないやり取りの中にも、痛いほどの愛情がこめられているのがわかって、僕は今、とても幸せだ。
その兄様は、モモとクロウを人間の都へ送り届けるため、今はもう船の上だ。
結晶にのまれたままの右腕を、兄様は少しも悔いていないようだった。
「これは僕の勲章のようなものです」なんて、笑ってみせるのだ。
長老が言うには、あの結晶はもう育つことはなく、長い時をかけて、薄氷が春の水に還るように、少しずつ剥がれていくだろうとのことだった。
あの日、繭に入る僕がグレンに願ったのは、いつかこの封印が解けるときが来たら、あの力を受け止めてくれる器を――ということだった。
その願いは、僕の知らないうちに、祈りとなって海を渡っていた。
白鬼の里を襲ったあやかしたちは、もうこの島にはいない。
多くは僕の光に焼かれた。
生き残りは、僕が繭に入った夜のうちにグレンが海の向こうへ追い払ったのだと、長老が話してくれた。
これからは奇跡の力に頼らず、かつて僕と兄様が理想とした、誰もが笑い合える里を、自分たちの手で一から始める。
方法は、夢の中のモモが教えてくれた。
そしてこれからも、きっと。
僕の記録は、ここで一度、筆を置くことにする。




